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2022/01/23
美しい花を咲かせている人が、芸能の方でも沢山見受けられる。
メッカだから身構える。
「なってしまった」と云う偶然性を抱えて、過剰な怖さ、そのほどよい怖さが透明だった。
これを感じれたのは、やはり神を守っているからだ。
応援するのは茶の間から。
大人になって素直になれた自分の今だって、今に再びキャーキャーと云う心の楽しさ。
テレビの向こうに「人間」がいることは、あまり知られていない。
もし逆の立場になって恐怖しているほど、鈍感なやつだと隙を見られる。
自分であればあるほど、怖くはないし、優しさが多少あってしまうからだ。
人間が、こちらを見返している。だから、色んなところでも、
働かなければ、同じくらいの世間知がない。
私のこと、私は、体調の理由でとうとう働けなくなってしまって呆然と佇んだ長い日があるが、
区役所には、ちゃんと聞き手になって相談をしていたので、今の年金生活を耐えることが出来ている。
明るさも少しずつ取り戻している。働きものなのだ。
同じくらいの世間知なら、寿司の食べ方だって教えたい。
と、そんな人はいるだろう。
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2022/01/23
私は自分の客観を間違い続けて、
大幅に自信がダウンしていた。
考える時間のあるほうだから、考える。
僧侶(オトコ)が寂しくなった結果が哀しいと思う。
亡くなっても墓がもしかしたらわからなくなって、毎日手をひいてつれていく。
想像し得ないことが、恐怖ではなく徳にあるんだと思う。
私が僧侶になれないのは、
自分から遠いのだ。
僧侶になる近道は結婚について考える。
自分としての嫌さに耐える男の女の、そういった習慣が、
私をキラーにする筈だ。
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2022/01/23
なんでも、しつけてもらうのは、
怒ってもらうのは、縁で、
対話のきっかけにもなり、
大切にしないといけないから、出来ない。
ずっと、挙手がた。
自分だと思ったら、さっと自己に反省(そうだな、そうじゃないと想うこと) する、自由。
嫌、と言っても、ずっと嫌だったの。「これ」は、やってきた。
自分じゃない、と知ってかわすこと、ものいうことだって潔さ。
みんな、生活者だから良く思わない。
お化けが、だけが、気を良くと言って、騙されるのを括られて焦るしかできない。
どなたか、モラル(その時は仕方がない、互いに忘れてあげると思うことや、それは守りたいだろうなぁ、と感じる想像力があること)が、必ずいつでも存在している、とお伝えください。
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2022/01/23
「それ」を書く方法が見つかりません。
真面目にしていたら、間違っていても、あるいは条件があっても偉そうに出来る。
と、言う噺に感動しました。
読書を乗り越えてあられるのか、
書物に書かれてあることをどのように乗り越えてあられるのか、
おもむきにたいしては無知で「すいません。」
立ち位置からして、お国と云われるときどう感じるのか、
それとも、もっと独立されたものなのか?
私の知識としては、自然体が一番、
最も大きく書けるということです。
はい。
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2022/01/22
幽霊と対峙する苦行の結果、ランナーズハイのように事実上人より疲れなくなった。
だからって、幽霊さえ何か教えてくれているのだと崇められたらたまらない。
何故なら私に苦行を施したのは、神仏なのだ。
マイナスがプラスになることではなく、この、何も頼れないところに妙味というものがある。
怒らなくなったのも「私」の優しさなのだ。ここを、自覚して、得たポジティブだ。
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