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2022/01/23
私は自分の客観を間違い続けて、
大幅に自信がダウンしていた。
考える時間のあるほうだから、考える。
僧侶(オトコ)が寂しくなった結果が哀しいと思う。
亡くなっても墓がもしかしたらわからなくなって、毎日手をひいてつれていく。
想像し得ないことが、恐怖ではなく徳にあるんだと思う。
私が僧侶になれないのは、
自分から遠いのだ。
僧侶になる近道は結婚について考える。
自分としての嫌さに耐える男の女の、そういった習慣が、
私をキラーにする筈だ。
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2022/01/21
寂しい、という感情も私にとっては花のように、
抱きしめられることよりも数倍大事です。
喜んでいるのは、あなたの家族か?
私はゆっくり、何事も感じたい。
「孤独」でも、なぜ暖かいのか?
そんな質問ですね。
これは、人の関わりというよりは技術なんです。
たとえば、木は好きですか?
あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。
それが葉の色が、自分には理解できないようなあの緑のカタチ(色、色彩)と、感じる。
すごい、と思いませんか?
無意識では「見て」いても、「イメージ」のほうが日常である。
あと、感情っていうのが、自分から出るもので、
生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが
ないのですよ。
だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、
火がともりますね。
感じないから、ムカつくんです。
それが憎しみになって、
憎しみって、もはや感情ではないことが、
分かるのです。
感情という水に浮かぶことが出来る。
龍は、一説「水」の神様なのだから、龍好きなら
その性格の暴れ方など、孤独から立っていて、
孤独とは、寂しい、切ない、そう言われるが本当は、
何か夢中であることです。
するとあなたがたも、今孤独なのかもしれない、
じゃなくて、孤独だったらいいな。と、そう思っています。
こんなんでは。
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2022/01/20
言葉を聞かされた自分の悪くなさ、
こういうふうな誂いにされている、思いやりにたいしてちゃんとキャッチし、ぎゅっと受け取ること。
話す順序の、意地悪なような、可笑しいような、奥ゆかしさに、
何となくわかる、という態度が、我が下、自分がしたですという言葉になる。
自分は耐えれないけど、だれがが何かしてると思うなら任せる。
誰も、人が死んだりすることを切に願わないから、
一度はそういうことを激しく想像するが、結局、妄想であるから目が覚める。
だれかに向けて「哀しい」とずっと言ってる。
それが苦しんで「シネ」と表現される。言葉としてこれを見て減っていくのは良いが、
心が存在しないなら、心の中なんて存在することなんて無い。
「存在者」、なにか豊かな自分にたいする輝き、
そういうのが欲しい、を言っても誰も助けてないのは、同じくして。
思えば思うほど、人を馬鹿にすることが無くなっていく。
そんな自分を新しく迎え入れる為に、だから辛いことをこそ暗記するのだ。
パーならパーで良いけど、セットされるストレスに耐えたくないと思うだけ。
耐えれない、んじゃなくて、耐えたくない。この違いが大きいとか感じるだけ。
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2022/01/08
僧だからといって、仏に興味をもつのではないだろう。
激しい修行を動画などでみるが、
どうしても男になりたい、人のすることだ。
ひょっとしたら、龍や精霊のほうが、当人を浄化するのかも知れない。
宗教と聞くと、何か猛烈な欲が芽生える。
強くなりたいのだろうか?
だったら弱いということか。
弱さは、
哀しいことを哀しいと云えないことだ。
脱シューキョーも出来て、信仰も出来る。
それが、道ではないかな。
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2021/12/22
嫌なことから率先してやっていく、そういうふうになれる準備をする。
あかんこと、ちゃうことは人に言って、自分を試す。
傷を付くこと。 それが大人になって必ず役に立つ。
これらを、そのまま(施設に居る)子供に言い聞かすテレフォン。
大人の言葉が、そのままの言葉が、かえって人(こども)に強く訴えるのだ。
役に立つ「からな。」 、 覚えるまでその二つをして「下さい。」、
クッションの言葉にたいして、丁寧に気持ちを込めて伝える。
自分が子供だったとき、子供は誰でもそうだが、母に我慢してほしくなかった。
気遣いが要らなかった。
こう考え、八歳の本人に言わないが、恋も私はする。
父が有った方が良い等、
めちゃくちゃ悩んだ。
結果、ただただ「好きな人」がいる。その現状を自分自身が認め、
夢を諦めず、身を雨にさらし、風にさらし、自己の母をなぞる。
母に出逢う。
合掌のまいにちを辿る。
、
世の中の親を応援してくれる歌がある。
椎名林檎さんの「カーネーション」である。
「小さく丸めたからだは今、哀しみ隠し震え
命を表している」
から始まる。
私は祖母ごと思い出して、涙をこぼす。
親も親で、自分の本当に「好きな」ことなら、
結果、ながくは彼ら(こども)にたいして情的ではないかと色々考える。
親に栄養を与えると、全部子供に流れる、
つまりは、親の元気にすべてがかかっている。私は髪をふりみだしても笑い、「気」を整える。
煙草、
目には色んな美が飛び込んでくる。そこには毒のあるものも含まれる。
そんな日常茶飯事で、毒は毒で蒸発、制すことが挙がる。
量が正しければ、表されていない数値として存分に有り、身体の耐性を増やせ、
依ってかえって寿命を伸ばす可能性がある。煙もまた感謝さえすれば「気」にたいして清めの力になる。
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