揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 徳を養いなさいと言われる

    私は自分の客観を間違い続けて、


    大幅に自信がダウンしていた。


    考える時間のあるほうだから、考える。

     

    僧侶(オトコ)が寂しくなった結果が哀しいと思う。

     

    亡くなっても墓がもしかしたらわからなくなって、毎日手をひいてつれていく。


    想像し得ないことが、恐怖ではなく徳にあるんだと思う。

     

    私が僧侶になれないのは、

     

    自分から遠いのだ。

     

     

    僧侶になる近道は結婚について考える。

     


    自分としての嫌さに耐える男の女の、そういった習慣が、

     


    私をキラーにする筈だ。

     

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  • 感情が花

    寂しい、という感情も私にとっては花のように、

     

     

    抱きしめられることよりも数倍大事です。

     

     

    喜んでいるのは、あなたの家族か?

     


    私はゆっくり、何事も感じたい。

     

     

     

     

     

    「孤独」でも、なぜ暖かいのか?

     

     

    そんな質問ですね。

     


    これは、人の関わりというよりは技術なんです。

     

     

     

    たとえば、木は好きですか?

     

     

    あの寂しい色をした、そのままの、それでいながら良く見ると立派に葉まで沢山持って居る。しかも緑だ。

     

     

    それが葉の色が、自分には理解できないようなあの緑のカタチ(色、色彩)と、感じる。

     

    すごい、と思いませんか?

     

     

    無意識では「見て」いても、「イメージ」のほうが日常である。

     

     


    あと、感情っていうのが、自分から出るもので、

     


    生まれた「私」の感情が、いずれにしろ、どの感情も、悪いわけが

     

     

    ないのですよ。

     

     

    だから、恐れず感じてみて、「無」になれば、

     


    火がともりますね。

     

     

    感じないから、ムカつくんです。

     

     

    それが憎しみになって、

     

     


    憎しみって、もはや感情ではないことが、

     

     


    分かるのです。

     

     

     

     

     

     

     

    感情という水に浮かぶことが出来る。

     

     

     

     

     

    龍は、一説「水」の神様なのだから、龍好きなら

     

     

     

     

    その性格の暴れ方など、孤独から立っていて、

     

     

     

     

     

    孤独とは、寂しい、切ない、そう言われるが本当は、

     

     

     

     

     

    何か夢中であることです。

     

     

     

     

     

    するとあなたがたも、今孤独なのかもしれない、

     

     

     

    じゃなくて、孤独だったらいいな。と、そう思っています。

     

     

     

     

     

     

     


     

     

     

     

    こんなんでは。

     

     

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  • 心のヒーローは誰

     

     

    言葉を聞かされた自分の悪くなさ、

     

     

    こういうふうな誂いにされている、思いやりにたいしてちゃんとキャッチし、ぎゅっと受け取ること。

     

     

     

     

     

     

    話す順序の、意地悪なような、可笑しいような、奥ゆかしさに、

     

     

    何となくわかる、という態度が、我が下、自分がしたですという言葉になる。

     

    自分は耐えれないけど、だれがが何かしてると思うなら任せる。

     

     

     

    誰も、人が死んだりすることを切に願わないから、

     

     

     

    一度はそういうことを激しく想像するが、結局、妄想であるから目が覚める。

     

     

     

    だれかに向けて「哀しい」とずっと言ってる。

     

     

     

    それが苦しんで「シネ」と表現される。言葉としてこれを見て減っていくのは良いが、

     

     

     

    心が存在しないなら、心の中なんて存在することなんて無い。

     

     

     

    「存在者」、なにか豊かな自分にたいする輝き、

     

     

     

    そういうのが欲しい、を言っても誰も助けてないのは、同じくして。

     

     

    思えば思うほど、人を馬鹿にすることが無くなっていく。

     

     

    そんな自分を新しく迎え入れる為に、だから辛いことをこそ暗記するのだ。

     

     

     

    パーならパーで良いけど、セットされるストレスに耐えたくないと思うだけ。

     

     

     

    耐えれない、んじゃなくて、耐えたくない。この違いが大きいとか感じるだけ。

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  • 宗教と道

    僧だからといって、仏に興味をもつのではないだろう。

     

     

     

    激しい修行を動画などでみるが、

     

     

     

    どうしても男になりたい、人のすることだ。

     

     

     

    ひょっとしたら、龍や精霊のほうが、当人を浄化するのかも知れない。

     

     

     

    宗教と聞くと、何か猛烈な欲が芽生える。

     

     

     

    強くなりたいのだろうか?

     

     

     

    だったら弱いということか。

     

     

    弱さは、

     

     

     

     

    哀しいことを哀しいと云えないことだ。

     

     

     

    脱シューキョーも出来て、信仰も出来る。

     

     

     

    それが、道ではないかな。

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  • 教育に向けて頑張る

     

     

    嫌なことから率先してやっていく、そういうふうになれる準備をする。

     

     

     

     

     

    あかんこと、ちゃうことは人に言って、自分を試す。

     

     

     

     

     

    傷を付くこと。 それが大人になって必ず役に立つ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    これらを、そのまま(施設に居る)子供に言い聞かすテレフォン。

     

     

     

    大人の言葉が、そのままの言葉が、かえって人(こども)に強く訴えるのだ。

     

     

     

     

    役に立つ「からな。」 、 覚えるまでその二つをして「下さい。」、

     

     

     

     

     

    クッションの言葉にたいして、丁寧に気持ちを込めて伝える。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    自分が子供だったとき、子供は誰でもそうだが、母に我慢してほしくなかった。

     

     

    気遣いが要らなかった。

     

     

     

     

     

     

    こう考え、八歳の本人に言わないが、恋も私はする。

     

     

     

     

    父が有った方が良い等、

     

    めちゃくちゃ悩んだ。

     

     

     

     

     

     

    結果、ただただ「好きな人」がいる。その現状を自分自身が認め、

     

     

     

    夢を諦めず、身を雨にさらし、風にさらし、自己の母をなぞる。

     

     

     

    母に出逢う。

     

     

     

     

    合掌のまいにちを辿る。

     

     

     

     

     

     

     

     

    世の中の親を応援してくれる歌がある。

     

     

    椎名林檎さんの「カーネーション」である。

     

     

    「小さく丸めたからだは今、哀しみ隠し震え

     

     

    命を表している」

     

     

     

    から始まる。  

     

    私は祖母ごと思い出して、涙をこぼす。

     

     

     

     

     

     

    親も親で、自分の本当に「好きな」ことなら、

     

     

     

    結果、ながくは彼ら(こども)にたいして情的ではないかと色々考える。

     

     

     

     

     

    親に栄養を与えると、全部子供に流れる、

     

     

    つまりは、親の元気にすべてがかかっている。私は髪をふりみだしても笑い、「気」を整える。

     

     

     

     

     

    煙草、

     

     

     

    目には色んな美が飛び込んでくる。そこには毒のあるものも含まれる。

     

     

    そんな日常茶飯事で、毒は毒で蒸発、制すことが挙がる。

     

     

    量が正しければ、表されていない数値として存分に有り、身体の耐性を増やせ、

     

     

     

    依ってかえって寿命を伸ばす可能性がある。煙もまた感謝さえすれば「気」にたいして清めの力になる。

     

     

     

     

     

     

     

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