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2022/01/26
上品な、 にかまけすきない。 一途に、それは会話というものを愛すからだ。
愛しかたの定めによっては、単にLOVEとバウンドを押し込んだりするのだ。
私は自分を失くす日が有ることを、惜しまない。
昔、韓国人の知り合った方が、「聖書は物ではないからすてれる。」ような言葉を、ここに表現出来ないが綺麗な言葉であった、仏教典に触れず、経文を語った。
経文が、ざっと人の命が一回きりだ、という意味で有り難く、悉く重量をもった。経文は重いが、紙質は定価だ。
きんいろに輝く危うい限りの仏像を見せていただけた。しかし、綺麗だ。
経典は、ただ単に引き出しや置場所に直す大切な物。
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2022/01/26
起きかけに携帯を見たら画像が編集され残ってる。寝ぼけると隙をつくるのだろう。
自分にわかるような、ささやかに記号が入っていて、
それには私の無残なかおが、フレームで飾られている。そりゃまるでコーヒーのように苦いような思いもする。
時々、出会ったことも、縁もないのにとても恋しくうひと、ひとがいる。
会えないことが哀しいとただ思い出さないから、いつのまにか私は単なるリンクタグとなって、
少年から、いろいろ話ながら、「何てないことこそが絵になってる、今も変わらないよ。」と、気取りを合わせながら、
導き出す答えの、
くっと苦い味の奥を進行すれは、甘いムースが入っているのだ。菓子なのだ。・私もパティシェ職人のファンだ。
私は火事に遭い、市内を離れてのんびりしているが、散策をしていても、町のケーキ屋さんも町のケーキ屋さんとしての優れがあることを、
、全体を見逃さない。
パリ映画が流行る頃のハイヤーセルフの存在とともに時折。
曰く、驚きのミドリ色のエイリアンか宇宙人だか何たか知らないが、
いろんなからくりを試している問、オーブンが爆発することも、空気、人の空気を感じることと、そうやってためらいをしっかり持って居る人は偉いから、
何でもすることが出来る。不服。
オーブンが爆発、住む大阪の壇がもしあるとして、漫画の中なら爆笑だが、漫画の中でも笑わない真面目なフランス人なら圧にかかって、恥ずかしがる。
こっちのアホの味方をしなけれは結局のところをよそにわかってもらえない。
アホでいることは、賢くないと出来ない。
浮世だな、と言葉としてよく有るが、昔から有ってこの「浮世」が、わかっている大人の意識にたいして平和とかそうし厳めしいものを支えるから残るのだ。
「正心としている」から、「浮世」、「流行り」これが、何とも大事だ。
「流行り」は風として、従って強すきると良くないが、家の間が狭い国にとっては貴重な風通しの機能。
楽しい、と思って居たら、
あまり遠くでも「私もしたい」「良いものだ」
となるそう。
たとえそれが苦悩であっても。
どこか、遥かか、大天使。人がそういうものをお産するために、胎盤として気を惹かれたとしても、臓とは、偉いのだ。
人が、人がとうるさいのも、天にそぐう。
南無(天にまかせる)というのも、死臭がしても、気持ちを変えてどうにか明るく唱てみたい、祝福をこそ。 経(そんけい)を明るく歌いたい。
上品な、 にかまけすぎない。 一途に、それは会話というものを愛すからだ。
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2022/01/25
詩人の怒り。「お前は何故、体を悪くした。―――」」
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2021/12/22
幽霊の、
この上の無い醜さ
冷静にそれを感じるおもしろさ、
人間の。
それともう一つある、(自分の心)。
この両眼で見つめることが出来たら
恐いものなんてないのに。
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2021/12/10
最も格式的な麗の有る事こそに、人は落ちて好まれるが、空に落ちること、青に落ちる事、何か光に吸い込まれてしまう事、私はそれを下品だと思います。「失せること」を、
何が何でも夢の様で虚しかったのだが、
そのままで良いとも思って居た。私の若い虚無も生きて居るうちに身を尽くすだろうと思って居た。
人の云う現実は足りて居ないものです。リアルと云うのは、再び言い直せばもっと夢が有り人間らしく可笑しいものだ、と思うのです。たとえそれが幸不幸でも、
水でも何でも、自然なら、それに対峙出来て居る現実はやはり考えながら躊躇しながら、発見した喜びが止まらないのです。
手の中は、勘定をする事に趣が有る。
魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事。これを「愛」とした愛を、決して大きくも小さくも無い此だが。
釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。
髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、
女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れる、零れる花びらの魂として、私が純粋で醜き心の中を揺れる間。如来は男も女もそれ程、端た無いという事なのですが、
それは何度も、何度も、鏡を見る。女の怠慢はゆるされている。
女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。
花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、女に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、仏が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をして居る。
女として、光に身が辛く真っ黒に焦げそうな事が、この先も無限と云っていい程有る。
太陽がいくらでも幾許有る様に、見た目の美人は行く所有る。そのたびに黙祷をして自己と云う点において立ち返らなければいけない。
誰も知らぬ、私だけの人生を立てる事。 楽しめるようになれれば恐れはなく、自分だけの加工されない魅力は、これは苦しみが生むのだから、
先ず花を花と見なすこと、悩む自分に才があること、常に何かを感じて居る事、繊細に為る事、が、人の至極万能で有ります。そうして男は花として前に立つ事です。どちらでもない、欲のない星も有り、眩いのだ。
女に限っては、生まれたのなら低俗で有る事を意識しなさい。
嫉妬は、その対象が女の最大の恐怖で有り、自分でも大変みじめで、攪乱される心を持つのです。
そのときは、自分なりの真向うで、彼女を綺麗だと認めて口を開いて話しかける勇気を持つ事です。美は後天的なもので花の美しさだとか、気高さはここでこそ養われ、
人間として有る唯一の性を自分が育てる気で居ないといけません。女と女が珍しく話すうちに、自己の霊格が上がって、依って、その恋が、決して男と認識し得ないひとと見抜き、
嫌悪とは真逆であるゆき先についてを学す。
何故なら、人間は性を持つ限り、情けが有ろうが、お金を持とうが、成功しても、初恋などににたいしては馬の様に扱われるばかりです。
まして憧れとは病いなのですから、ペンを取りこの気持とついに仲良くしなければならないのに、花期を逃す女が何と多い。
自分からふつふつ沸いてくる感情と友達になった時、あなたの新しい感性は咲く事が出来ます。その花弁に自分を休ませるから豊かなのです。
理性を学び、その胸を養う。電光の様な美しい青年、それが本当に居るのかはわからないけど、が、あたかも天の川、ほくろ座、ニューヨーク、こな雪、
「君」と云うものそう述べて、女は、走ってついていきなさい。
天の川、ほくろ座、ニューヨーク、こな雪、そう健康的に口にする毎日で、女たちは走って。
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