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2022/01/24
光は初めから光だ。
しかし、時空というものは、時間の想念が空間なのだから、
前後がない。
人の方にこそ可能性がないわけじゃないから、私は堪えている。
光がまずあなたにとってどんな様子か、天使か精霊か、学問か、物か、完全に無形なのか、私のように理屈家的なのかって
ぎんぎんとしたどぎついものが、濁りである。大阪さんのように形として成ってたらもう「光」なのだろうけど。
「ああ、違ったぁ。」じゃなく、
そこから、研ぐ。自分を定める。
外側とのズレに狼狽することもあるが、自分が自分を知ってあげていたら、これ以上は他に対しても安心なのだ。
休憩しながらだ、ひたすら自分を磨く。
すっかり気付いたことがある、人のもともとの強さを「こうして」拝んでいるのだ、これが念仏ではないという実践の懺悔としてわかったとこから飛び出たのだ。
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2022/01/14
神社は「願い事」が良い。
「なりませんように」ではなく、願い事。
それが何なのか見つけること、ここまでが、冒険なのだから、
大変なことなんだ。
ひとのことは良いから、何でそれが気になるのかわかったら、
自分が安心できるし、
もっとちゃんと指摘して、倒すことが出来る。
イキってる、ことが、上手になりたい、だとか、
上手になりたい、ことが、真面目な向上や才能だ、とか、
何で、考えられなかった自分は、その失敗を次に伝える。
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2022/01/14
もぐらたたきに耽るよりも、
成功とは、地元を眺めたり、自己ルーツから習ったり、
することってそれしかないんじゃないかな。
私は確かに、べきことに捉われていて、面白くないけれど、
面白いからといって、
することがそれしかないのは、同じだから、
同じとこだけ見てたらいいんじゃあないかな。
「あいつ」に何か言うためにも、
「あいつ」に自慢したい
こんなに地元の仲って深いんやで。
何が成功かってわからんやん、
だから「成功」なんて諦めるべき夢ではないと思うで。
明日死ぬからとは言わんけど、明日はあるけれど、
焦らんでええってみんないうけど、
焦らない準備からしなあかんかってん。それって何かって、思うことから思考って始まるで。
言葉がへたなんじゃなくて、全部頼ってるんやと思ってん。
ほな、また。
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2022/01/14
プラチナ
汚れ、というものが好きですので、
近づかないでください。
このどうしても清潔よりも清潔な感じが、
色々自分が濁って考えてきた記録帳に思え気に入っています。
仕事済んだら、なにも焦ることなく、風呂以外汗もないような
つまり余裕が、美しいのです。
メインストリートの道頓堀が、何故あんなに濁っているのかわからない、わからない、この感じ、
詩的で良いと思う。それでも々、わけは抑えて居たい。
橋のありかたも、ここ数年の新品工事でミチガエタし、
川の色が、
色彩的な色でなく、全然綺麗ないし、何色ともおぼつかないより色彩的で良いと思う。
成分を調べてみたところ、大腸菌ヘドロ、ってやつが含まれるらしい。
それでも、魚もクラゲもいるし、みんなと一緒に苦労すればいいと思う。
あの筋がコロナで、大変だったけれども、
道の表情を見て居た。
それはかえって懐かしいような、初めてみたようには思えない「顔」を
その中を思いきり、滑って、から、たこ焼きを買った。
これが、それにしても、向こうの大川でさえ、海に続いているが、
実際どうだか。自己憐憫のような想像。
疑うことは、信じないことではないから、
川が、海に行かない、と、
本気で信じているほど、
それは恋がくだらないからかもしれないし、
優しくない男のせいかもしれない。
誰しもぬいぐるみみたいに思い込んでいられないからだ。
世間にはいろいろあっても、趣味が合わないのか、暇で、
その空気で
いつまでも、漫画喫茶を起点に、バー行ったり、ホスト行ったり、
絶交された、っきりのかなこ、親友を待って居る。
その子に教えてやるブティックや、店を沢山鞄に
ためて居て思(おも)い。
しゃっくりするほど詩は、私を綺麗にしてくれる。
川の詩、歴史的なことだ。
そこに佇む理由として、泥のようなものとどう付き合うか、
誰が何を決めたのか? 好きって何、
後悔ならしてるけど、愛していることが単色なんて哀しいから、
「あなたのものに決まってる」時、道が勝手にどいてくれて、
そこに芽を見つける。
しかし、泥はある。 あなたが降りて守ってくれないのか?
拒否の、美しさについてだ。彼は、認めているよ。
「ぷらちな」と名付けてみて、神と泳いでいるしかないじゃないか。
そんなことが、 好きではない。
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2022/01/11
生玉神社の「男祭り」では、
男が顔に髭を書き、鼻に爪楊枝を誂え、踊って、女子供を笑わせる。
男のポイントは、
劣っている
和やかで
美しい
「私」に、こんな基本の動きが有るのを忘れている長らく、
何か優れたロボットにしかアイデンテティを発見出来なかった。着物も、服というよりは、「お着物」から、どうしても抜け出せない。
「心」がでは何か、heartではなく、ハートは何だったのか、理解にとてつもない時間がいる。
形の無いものでは決して無いし、自信が無いのに「I」からコミュニケーションを取る等出来ない
そんな「怒り」で満ちている。
中国は一人一人で、人は皆万人だ、共に国を。そんな巨大なテーマを臨む。
寂しいといわれるが、意見や問と質問を持つことを、自分が耳を貸すことに踏み込んで、
こちらも相手に倒れ込む、そこで「答え」を必ず頂ける、この方法を知ってみなくてはわからない、と思う。
イザナキとイザナミで「キミ」と云う。
以前、ここで福岡の女が、すごい厚い化粧を施して、
厳かに構えた。
三つのポイントは既に勘でしている。
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