揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 漢文

    漢文(コテチャンネル)

    https://youtu.be/N_cwvIjdYcA

    いきなり歌いますが、マシと思って良かったらご視聴下さい。

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  • 腐るもの、咲しむもの

    2020/12/22

    つまり、革命の失敗者をニヒリストと云ふ 菩薩様の衣を倣ひ慢情せる偬ら(わたしら)銀 心の一粒を、汲みに書物を読むのだ まつたく撓たれる応援に関わり コンビニの夢の淵に 貧しい夫婦を見ると 我(が)に欲のことをを 思へば 花になりし君を恥ずかしいと思つて 堂々と君其こにも居て、偬、垢抜けぬ愛の花がまた咲し そうはいくかと思ひ彼(こ)の憎しゐ 君蓮の只となるに 菩薩様の衣を倣ひて慢情せる偬らの銀 心の一粒を、汲みに書物を読むのだ 偬、黒き薔薇の朽ちるを たらくと云ふ  大澤氏云ふ、「線の省略を想ふアニメーションのうつくしさも物珍しひばかりの男と青と寝る」 訳をば知らぬ乙女の横 偬は その頃に起き、傷付く者なり 偬は濁(あか)るい御茶の銀色だ

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  • 人の色

    2020/12/22

    学問がどれだけひとをしつかりさせたのだろう。 詩が怖ろしい。自惚れの一色を超えることなど出来ないし、予言と言ったら予言なのだ。 優しさが怖い。仕方のないやり方では話せないものである。今一歩勇気がない。 世の中と云うのは、神々の世界から人々の心配により生まれた。此の稲荷の精霊の「原因」は優しさである。 彼を確かめることは、もし努力をすれば出来るが安易にはいかないものだ。 もっと、生きるとか辛い事を考えて欲しい この何とも云えない寂しさを寂光といい、 これまた光て、よく見ると光に溢れているではないか。最後まで光ることだと思う。 かっこよさ、かよわさや、臆病さ、皆いろんな光を抱えている。「それに先立つ長い闘争のはてに、アンティゴーネであると同時にカッサンドラでもあるような一 ニーチェ」 人には決まった課題が有り、 人の気持ちを守る人だっているだろう。 幸せの向こうは平坦なみちなのだ、生きる目的こそは生きることなのだ。横着な話し方をして傷つけたくないし、人と居る人の首をしめたくもない、夢を傷つけたくもない。綺麗事かもしれないけど、自由な意志は汚れずに濁つて行き、濁りはまた清まつている地や夜なのだ。 だから綺麗事をばかり伝えるのかも知れない 理解する気などさらさらない。 ずっと考えている。 考えることが考える目的なのだ。 自由は、動く想像であり徳なのだ、ナイフや爪を自分に向けた時色んな事がわかるだろう 歩く木、と云うのがあるらしい 突き詰めて自分を解明したい 太陽神の手立てとして、 優しさは、自分の中に起こる嫉妬や此れは「あなた」や「わたし」の太陽だ。感じてみよう、 目から光を受くて 孤独から光を感じ 光とはすなわち天地、 まつすぐに立つということは揺れているのだ。無とは有のことで、そこに有るものはかつて無い。無い間に、苦しんで居たのだ。 存在は無有の光で、抱えれるものではない。ひかりを食べてしまえ。ひかりを噛み砕いて知識や、目や、歯で噛むようにして、あたたかいものにするかしないかは自分である。全部自分の栄養にして、 自分が、傷んだとか誰がどのように理解しているのか? では、この夜のひかりとは 夢の途中である 渺神、如来はゆるされず 月有りき、そろばんに、淵に、 きままに暮らせる者有り 偬(わたし)と云えば着飾る牛です さう在つたとしても偬はかなしむ者に候 ないて ないて 人の「問い」そのものにたいする愛着は、 いとしささえこそに 豚で在ろうが豚ならざりしも 七転八起、 石の上にも三年、苦い想ひがひつようだ 明日は平等に来るのだから 孤独と云ふ光に汲んで、愛を学し、ないて 妬きもちと云ふ器に女の縁を思ひ、ただ余すことなくその苦と付き合い、 妬きもちと云ふ花に男の心を思ひ、ただ余すことなくその苦と付き合い、 かつと目を開け静けく雨になりたや 偬は「あなた」や「わたし」とただの友達になり (人が友達になるにはまず親友であり、次に恋人となるらしい)

     

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  • 絵画の説明

    絵画についての説明です。

    https://youtu.be/zNHFvbGl1mM

     

    最近はユーチューブにハマって居て、

    顔が動画になるのが大変新鮮で

    カメラに写ってる広がった展開した自分の客観性と、その距離のバランスを感覚で見る。

    色んな頭が働きますし、

    亦半ばサービスを媒体にして芸能人ではない私と、芸能を学ぶ意力のある体とが噛み合って、様々な発見をして居るところ。色んな、夢の話も出来るし好きに描ける。テーマは、柔軟剤など並べて香り比べをしたり、本を読み上げたり、お笑い。音楽をかけたり絵を飾ったり

    自分のチャンネル、小さな画面をおはじきのような重ねてキラキラしている。

     

    ご批評頂きました。

    https://www.breview.org/keijiban/?id=6600

    「夢とリアル」

     ここで彼方からの手紙という詩を読んで佇みました。素敵な比喩の鏤められた詩でした。 良い夢を話せば叶うと聞きました。インディアンの話だそうです。輪がつくられたとき、ある言葉で語り合ったのでしょうか。過去か今かを線を引くにはまず、 私はリアルについては、現実に夢を月明かりほど含むものだと思つています。現実は男の為に有つて、愛の為に有る。 詩を書かなけばと想い、  ねずの間になみまに、いかり過ぎず。挫折をする穂の先は亦、歩みは般若の相にリアルだろう。葡の黒いのも夢で、肌の艶も夢である。  木、なみまを掴むやうに般若をする。 欺きわらい、彼女の零した私の心くじける涙もまたばらだと知るだろう。 彼女のついた嘘なども、それが日だと知り、平気で私はやけどをするだろう。 そうゆう、心のあるじを空(くう)として、青、藍を詰めて運びたひ。  「私」が見た奇跡が、なんの程になるかは知れないが、この様に考へて未来へまで伸ばしたひ。

     

     

     

     

     

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