揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    第69章「無関心」

    「おばあさんは本当に重いものだけは持たない。」

    人は人と付き合って行かなくては行けないので、小さくならないといけない。みんな、私も小さくなっている。これは自分を出さない、心を開かない、と云う意味ではなくて、小さな愛を抱えて行くとするのは大きな心で、感情量によって無関心があったりするわけで、心の無関心とは似て非なる。

    私は人に役に立つと喜びを感じます。
    今は失念中のですが、
    大体皆そうですが、倦怠したひともおる。何も考えないひともおる。あまりそういう事を気にしないでぼちぼち上がってゆく。とんでもなく疲れてたらあれやけどだるい中でやっていったら、いつの間にか力が付くし、可憐でない事をオニババに云われたとして、憤怒して、体を起こして行きます。下がらなければ行けない時もある。上ばっかりじゃなくて。

    第70章「空海」

    メインテーマ…夏祭り
    ・氷塊
    (かき氷)
    妻、Oの発案から五年、シロップの改良の断念。開店当初のシロップを再現して夫の私が制作。詩夫(しゅふ)なりに、妻の苦労を知る。看板を「ありがとうポイント」で修復。インド人も手伝ってくれた。時折楽器を奏でる音が聞こえる。そばにいるひととセッションしているが、我らは遊びたいのをぐっと堪えて、植物図鑑を制作しなければ殺される。
    私は今は自称詩人の旗を畳み直し、シャーマンで家業し、月明けには山に登ったり、体調が良ければ剣道などに参加し、正月のためにもちの粉のピッキングをしている。町の皆が美味しいといってくれるような製品を開発したい。店の目安ボックスも完成したし、あとはペンキを塗るだけだ。
    水平線から水平隊が望遠鏡でこっちを見ている。手を振ってもいいのかな。
    去年は炎の中たい焼きを大量に焼いた。
    希望に胸が溢れた。
    つまらない恋、遠方への憧れ、そんな安物に間違って流れてしまわないように私はユーチューブとこの雑記の二本でロープを括ってる。堺の人が気さくに手伝ってくれた。私は店に来る子供たちが腹を壊さないように病菌の探索までした。毎日大量の野菜を頬張り、都会の工場に出発したが私は町のレッドエネルギーを受けた呪いがかかっているので断固と断られた。変わりに持って帰りなさいと水鏡を頂いた。水鏡で出来ることはこうだった。
    自己内の病菌…この手にこびりついた白比べする意識、モチベがいくらあっても適齢期が過ぎ需要が一向に無い。私は自分のことを「皆様」と名付けた。このやろう、皆様め、そう自分に言い聞かし町内会のパン食い競争で子供と一位を獲得する事が、出来た。特別に「ユーモアがありま賞」をもらったが、妻は何に腹を立てたのか気を塞ぎ、私の事などちっとも見てくれなかった。
    第22章 茶道 は、誰かの言った要領をすんなり纏め悲しみを歌い切った、まだその輝きが褪せなくて私のご飯のお茶碗できらきらと。
    第31章 燃え尽きた愛のゆくえでは、「漆黒の競技」が、黒バラや黒龍などが愛を奏でた、黒と対象に肉まんの飛び出る真っ赤な雑誌を中国人が渡してくれた。走り回るのは町内。どこなと行って回りたかったが、私は病気にかかっていて迂闊に外に出ることが出来なかった。妻と喧嘩してますますへとへとで疲れた。
    隣に座って居た海外の方が「大丈夫。」と言ってくれた。

    その後高熱を出し、光にまみれた走馬灯をみた。遺書に子供の字を書くと熱が引いて、生かされるまで生きよう、もらった数珠で人のために拝もうと心に決めるようになった。今までは一人が立つと周りが立つのでそれだけしっかりしてれば良かった。自分では恨んで死んでも良かった。

    第20章 「卵」
    「私」のチームは龍だった。
    精霊の還る卵である。森の方から頂いた。

    ・歌う心…可・可・欠、と書く。
    笑って楽しむ。

    ・フランクフルト

    ・おっぱいプリン

    ・始めから見たい野球

     

     

     

    [特訓 感情を強くする]

    感情とは目に見えない為、表しがたい。
    掴んでみようか。

    ①心に流れるその感情の形容を漢字で書いいてみる。べつにひらがなても可。「嫌」やったらそれだけじゃなくて、そう思ったときの受けた時の憎しみを書いてみる(腹式呼吸) 嫌って言えてる時はもう解決したあとで、その直前に受けたむかつきから解決していこう、という試み。

    ②縦に積む。自分の道のりを見れば心の負担が軽くなる。勝ちたければ物の理由をちゃんと学ぶ。

    ③横にしっちゃかめっちゃかに飛ぶんじゃなくて、上に飛ぶ感じで、上に飛ぶには地面がいる。

     


    第71章「飛龍頭(ひりゅうず)」
    ・昼行灯としての私
    ・鏡ばりの間
    ・激辛カレー     ・ボケ
    ・まばらに炒める
    ・超スローモーションの三色パプリカたち
    ・大きな焦げを出したので控訴、大学での裁判

    火の玉…何か悲しいことがあったんだろう
    怒りの奥には悲しみがある

    明かり…火取り虫(ひとりむし)…明るすぎて眠れなかった

    硝石(神)…欲…惹かれる…横から近づくよりも縦から近づくように書き貯める…日々の生活態度、体へのいたわり、心のケア(金欠でも安いホストクラブで世界を見渡してみる、緊張感とテンションを養い学ぶ)

    火の気…火は火、水は水によって…火に水をかけると消える…水は水であるのか…水が水であるとき火もまた同じ態度である。火が火であるとき水もまた水である。
    水は何か? 暮らしの一部始終である。
    そればかりか、
    私はどんな水なのだろう?…冷たくて何何色をしている。

    ゴール…龍の住む滝

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  • 力と優しさ

    黒い服は、力のあるひとしか余り着れないと聞いたことがあります。

    優れている、と書いたとして

    優しさと力がある事は違い、劣った自分にも力がある。

    過去そういう情けない自分を抱きかかえて、

    陰と陽が揃う。つまり光だ。

    比較とは受け身で、人を動かすなら自分の行動であり、

    二者が有り、比べるものが有り、だから、

    それらを抱えたりする価値、と云う光である。聞いたことよりも、

    想像のままの価値を持っておく。複雑であるほど美しく、何を省けば良いのか自ずと分かる。

    では、逆に「何ともない自分」光を知る前の自分、

    これとは、もっと高貴な存在かも知れない。優しさについてを“知る”存在。対して、私は光として歩んで行きたいのだ。

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  • 無関心

    「おばあさんは本当に重いものだけは持たない。」

    人は人と付き合って行かなくては行けないので、小さくならないといけないので、小さくならないといけない。みんな、私も小さくなっている。これは自分を出さない、心を開かない、と云う意味ではなくて、小さな愛を抱えて行くとするのは大きな心で、感情量によって無関心があったりするわけで、心の無関心とは似て非なる。

    私は人に役に立つと喜びを感じます。

    大体皆そうですが、倦怠したひともおる。何も考えないひともおる。あまりそういう事を気にしないでぼちぼち上がってゆく。とんでもなく疲れてたらあれやけどだるい中でやっていったら、いつの間にか力が付くし、可憐でない事をオニババに云われたとして、憤怒して、体を起こして行きます。下がらなければ行けない時もある。上ばっかりじゃなくて。

     

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  • モノノカミ

    第68章「ピエロ」

    「この人たちが悪い」と言っても、そう言える論理観が無い。世界が終わるとかそう言う理論がある時出てくるのは当たり前で、その上でどうするか考えてほしいと精を想って居ます。大正解ばかりじゃなくて、間違ってても間違いを学ぶし、「学ぶ」と説いた仏陀は凄いのだと思う。その心境で初めて善悪に差し掛かる事の出来る私たち。誰にもわからない、わかってても伝わらない。
    悲しみの端はいつも忘れられてほっとかれるらしいが、
    「世界に丸い私、三角の私があってもその人っていうのは唯一や。」
    私は何の怒りの対象にもならない、憎しみを唯一の人間として、その人間の成仏を祈る。
    あれや、と云う話が多くて楽しくございます。「御ありがとうございます。」等、私が言っていいのかわからない。そこがまず難しい事です。

    アートするにはまず、
    正しい位置付けが必要だ。
    物を物とし、色を色とし、見てみる。
    人はイメージと繋がっているので、あまりそれを破らず、心や、愛と対話しながら彫って行くように、鉛筆よりも鉛筆でできた白色が、物が立体だと語ってくれる。
    夢のなかのイメージの世界から、「私の現実」が砕かれて行く。その過程で、自分の実際の夢、誠を学び、研ぐ。
    実と夢の間に敷かれたレイヤー、これとは妄想であり、削ぎ落として行く。

    磨かれて行くと、世界が変わる。

    第68章「ピエロ」

    「この人たちが悪い」と言っても、そう言える論理観が無い。世界が終わるとかそう言う理論がある時出てくるのは当たり前で、その上でどうするか考えてほしいと精と考えて居ます。大正解ばかりじゃなくて、間違ってても間違いを学ぶし、「学ぶ」と説いた仏陀は凄いのだと思う。その心境で初めて善悪に差し掛かる事の出来る私たち。誰にもわからない、わかってても伝わらない。
    悲しみの端はいつも忘れられてほっとかれるらしいが、
    「世界に丸い私、三角の私があってもその人っていうのは唯一や。」
    私は何の怒りの対象にもならない、憎しみを唯一の人間として、その人間の成仏を祈る。
    あれや、と云う話が多くて楽しくございます。「御ありがとうございます。」等、私が言っていいのかわからない。そこがまず難しい事です。

    アートするにはまず、
    正しい位置付けが必要だ。
    物を物とし、色を色とし、見てみる。
    人はイメージと繋がっているので、あまりそれを破らず、心や、愛と対話しながら彫って行くように、鉛筆よりも鉛筆でできた白色が、物が立体だと語ってくれる。
    夢のなかのイメージの世界から、「私の現実」が砕かれて行く。その過程で、自分の実際の夢、誠を学び、研ぐ。
    実と夢の間に敷かれたレイヤー、これとは妄想であり、削ぎ落として行く。

    磨かれて行くと、世界が変わる。

    スマホを使う私たちもモノノカミであるかも知れない。諸説があればばんばん言ってくれて構わないのだ。普段そばにいる人が、大きな治療薬なのだろう。

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  • アートのやり方

    アートするにはまず、

    正しい位置付けが必要だ。

    物を物とし、色を色とし、見てみる。

    人はイメージと繋がっているので、あまりそれを破らず、心や、愛と対話しながら彫って行くように、鉛筆よりも鉛筆でできた白色が、物が立体だと語ってくれる。

     

    夢のなかのイメージの世界から、「私の現実」が砕かれて行く。その過程で、自分の実際の夢、誠を学び、研ぐ。

    実と夢の間に敷かれたレイヤー、これとは妄想であり、削ぎ落として行く。

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