揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 秋のこえ

     魂を信じる場合、運命を信じる

     

     

    あなたを運命と呼んでも良いだろうか

     

     

    花を模すようなうつろなめを、

     

     

     

    踊り出すようなコミックキャラクターを、

     

     

     

    フェイクファーの染料の鮮やかな青や、

     

     

    この空に零れ落ちる程の娯楽的なくちびるだった、や、

     

     

    優しい、虚無の光の霧影で

     

     

     

    自分としか思えなくて

     

     

    私は、、いま唯一のきみに虫眼鏡を

     

     

     

    赦されたのだから次は放ってあげなければ

     

     

    一番きょうみがあるのが、想像と現実の差はどれくらいあるのか?

     

    そのことだ。

     

     

     

    虎口を脱し、いやいや、きみの心臓の歩いたお陰で

     

     

    神様は種芸を稜とできた

     

     

     

    そんな喜びが「うぶごえ」をあげた

     

     

    ベイビー、私は此処を先途と唱えるようにきみにつたえ、

     

     

    ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、ベイビー、
    ベイビー、

     

     

     

    おれらは血になり、髑髏から吹き出て

     

     

    飛べ! 疑問の冷蔵庫には何だって有る

     

     

    鮮やかに差し伸べろ

     

     

     

    疲れて、ぼんやりきみを見て居た

     

     

    勘違いをしながらラジオを聴く、勘違いでもいいから思いたい、

     

     

    この「思う」というのが、私の一番の仕事

     

     

     

    キスが出来るように起こして頂けないか、私たちはお前に酔って

     

     

    もしくは嵐に憤怒して

     

     

    寝てしまいそうだ

     

     

     

    私は痛みを上へ伸ばした

     

     

    見て居てもいたくて、お前は嫌なのだろう

     

     

    それでも目をつぶれ! なんて云わない

     

     

    じっとみていると

     

     

     

    しあわせな気持ちになった

     

     

    神を、目をふせ


    「あの人」と、私はこんにちはって

     

     

     

    心の私は、返らない、彼のものだ

     

     

     

    要は、僕になってしあわせになるより、互いを嫉妬する気持も大切だ

     

     

    なんせ何かを持ち越すのは自分自身の骨有るスマイル

     

     

    僕は花の綿毛、何も決めずあの人の笑顔に吹かれて

     

     

    まるで真っ平なパネルのうえを歩く

     

     

    しかし、割れたけど

     

     

    彼の作った、愛しさが籠った幸せな道は、

     

     

     

    その中からひとつの老いが、私たちの縁だった

     

     

     

    だから明日も踊る

     

     

     

     

    勧学院の雀は蒙求をさえずる

     

     

     

    と、云うようなことが今きみと私の関係の全てに等しい

     

     

    そのように、全てが「箱」の中

     

     

    外世界とは箱なのだ

     

     

    「講義するのを休んでいる」

     

     

    恋愛とは病気であると同時に精神的な治癒だった

     

     

    つまり、そこのきみからすると女の子は要は誰だっていいのだよと云う稗の詩の、

     

     

     

    回答として、打ち明ける真実として、打ち解ける事の出来る葉のそれとして、

     

     

    洋服の洗練や、展開、進化の様に、これを見つめるんだ

     

     

    きみに朦朧として、眩暈して、

     

     

    忘れずにイメージする、

     

     

    私がミキサーにかけられ、ばらばらになり、血に為る自然や、

     

     

    大量の物として、線やケーブルのように、

     

     

    こういう大自然の後に響き合うような

     

     

    ヘイトと愛、いっこの黄落として死や、

     

     

    こうやってもう澄み切ったお互いの恐怖が、これからの期待に

     

     

    日々は、今日種を埋める

     

     

     

    魂を抜かれる余裕を削り、咲けるまでの今までを忘れず、

     

     

    かなしみを清める純粋なこの感動と舞踊は

     

     

    己の眼球の揺れからはじまって

     

     

    めは波紋して、

     

     

    私は即座に彼氏の腕から零れる、舞う銀杏

     

     

    これがますますあかくなれば

     

     

     

    だから、私は恋などしないよ、と平均台で繊細に嘘をつく

     

     

    天使はリング、僕はそこに嵌った石、

     

     

     

    あなたは主人公

     

     

    こんなに綺麗な浮気ごころとは、無心だったあらゆるマイナーな現代絵画作品のストーリー

     

     

     

    私のめから零れ落ちる、カーヴを描いて居た、それを見た、

     

     

    涙をきみに見せたいそういうこどくにならない老いの淋しさであっても、

     

     

    ささやかに友好する男女は

     

     

    海に出でて、切り立つ岩をみる

     

     

     

    それを花とする

     

     


    根っから両想いとは、

     

     

    何故なら、自分を打つ水や、心を砕く波に美の目的が有る

     

     

    カラーアニメの様に躍揺はないけど、

     

     

    つまらない、ということにベースと地(リズム)を

     

     

    持って居たりする

     

     

    だから、暇なんて無い

     

     


    汗をかいて惑い、きみだけの暁として私は

     

     

    昆虫としてふるえる心を、慎ましくきっと、きみの籠の中で

     

     

    黄落している、あなたにだけだ、だから、

     

     

    天使をみたときは、歌う

     

     


    きみもこのように云う、

     

     

    もしくは水を浴びて他の花粉を落とす

     

     

     

     

    銭湯にゆっくりつかると、色々「ワレ」が思い浮かぶ

     

     

    「では、では」と

     

     

     


    夏だ、様々な模様がきみのめにうつって

     

     

     

    天使から手から声からこぼれる感動が、私をマーブル模様に染め、

     

     

     

    黄落は風にふかれ危うく、

     

     

    いくつかの回顧は、ジャングルに繋がってるのだ

     

     

    鮮やかな木の色や、水や、光(しきさい)を纏った鳥、

     

     

    それらは何にてらされ、何でそれらを見ることが叶うのか、

     

     

     

    裸だったきみ、肌というつまらない色でも、色彩としては同質としての光のおかげ

     

     

    これを研ぎ、磨いている

     

     

     

    そして感情という海も色彩なのだ

     

     

    羽を借りるように、うまく服を縫う。私は、無色の水として囲う、

     

     

     

    別に何もない、順位も。目的が、

     

     

     

    服を作るという作業にたいして、楽しくいて、もう

     

     

     

    果たされているから、お腹がすかない

     

     

    喋ったりしない不機嫌さと、少しの愛想が、唇を乾かさない

     

     

     

     

    どれかが、きみにとって綺麗事かも知れない

     

     

     

    ママ、BANANAを食べようぜ、花かんむりを縫おう、鳥のせに乗って

     

     

    ママ、私のことを「純朴」と云って

     

     

    いつかのあなたを

     

     

    この、「ちぎれながら落ちていく」実の、ほし

     

     

    ママの領域で凍える、こ獨

     

     

     

    モクレンの並木道を二人で歩いてる、ふと

     

     

    思い出すことが不思議でないのは、星が生まれているのだと思う

     

     

     

    あなたの答えの正しさを、評論するのは現実

     

     

    並木道で、私の答えの正しさを、「きみ」に行きつく秋の畔道の

     

     

     

     

    私のめから葉が鳴って居る

     

     

     


    葉のように腐ることを人間に例えた時、とは肉体の枯渇だ、

     

     

    その中に、

     

     

     

    「私」の感情から、はみ出るようなおろかな球

     

     

    接着剤で固定されたヴァギナ

     

     

     

    低迷、勇気を抱いて扶養する球

     

     

     

    むしろ、自ら切断を望んだような外部(きみ)の棘

     

     

     

    自己否定、それでいながらきみに胸のかずを押し当てる

     

     

    これらが有る。

     

     


    涎のだらしなさ、

     

     

     

    あなたにたえれそうもなく、こらえきれない、

     

     

    私は虫に

     

     

     

    愛に恵まれたから

     

     

     

    「小虫はこのまま、「誰かと」結婚するかもしれない」彼女が囁く、

     

     

     

    こういう私たちの希望は、くるしみの二人のめの穴の中で

     

     

     

    ささっと枯れる。

     

     

     

     


    夏の青葉として抵抗するきみの文化にたいして

     

     

     

    否定として且つ外側に向かわず自傷に濡れる

     

     

    夏炉冬扇

     

     

     

    の、軍事的なあかるさを、その清めを、

     

     

     

    「ママの領域」とし、

     

     

     

    私の孤独にたいしては、慰めることもなく、

     

     

     

     

    それこそ性的な、野暮な、動物的な、進化的ではない真昼間の茶会だとして

     

     

     

    朝がある限り、夜があったように、

     

     

    それが肉体に巡ることとして、常に

     

     

     

    夕暮れや、明星の溜息を、23時、それは曖昧な

     

     

     

    ただロック的なものは、上気をし、自分が向かうところであるから

     

     

     

     

    内面性にも種類と場所と表裏があるが、きみの愛はきみのものでしかない

     

     

     

    内面的なもの、あなたのレディー、すなわちきみの外の広がり、私の目、

     

     

     

     

    それに限っては華を去り実につく、ように唱える

     

     

     


    「歌」が気になるので、もうやめる

     

     

     

    色々なことは広く伝えたいな

     

     

     

     

     

     

    Mさんに、私の心を少し上げてもらった。


    私は、心が悪いから、きみとは合わない


    きみが私であれば寂しさは無いはずだ


    結局きみの考えが嫌いだけども、変える事も出来ず


    いつでも実存として有る


    私にとって「知」らしきもの、きみ


    何の記憶も無いがきみばかりは善しとして


    全部が自分だ、こう運命にたいしては希望をみるまでだ

     

     

    逆にこれら羨ましいと思う感情を持つことこそ、本質主義で

    そのままを見て居て、大人すぎたことだと思う

    字は、マス目に沿って書き続けたが

    良いトスしか受けれない体を作ってしまう

    墨を使うと、違うのは

    自由が果てしない所。

    果てしないとは、一生も二生も有る技術に自分が触れている

    ということ。


    墨は黒くて透明だ。皆がそれを表現出来たら良い。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ある日、木肌のすべすべした様な思考に止まったまま

     

     

     

    きくづの匂いを嗅いできみを思い出すくらい

     

     

    尊いなにかを感覚で察す、清潔として居て翡翠で有れ

     

     

    ダイヤで有れ何だかわからないのですが

     

     

    老うことも美しさが有るのなら、先は彼女のものなので

     

     

     

    私も、ゆくさき老婆になる苦しみや惨めさ、悔しさにしても、

     

    その辺りが、どうしても自分にとってビーチと思え

     

     

    楽しみで仕方有りません。

     

     

     

    何の抒情も有りません、いま、絶賛的に存在しません。

     

     

     

    歩くこと、知る事、磨きにたいしては、

     

     

    こんなに高いテンションで、育ってます。

     

     

     

     

     

     

    私はずうっと好きでいないといけませんか

     

     

     

    360ぶんのいちもくれないのですか

     

     

    お昼にみた、こういう平行線の画像とは

     

     

     

    何と気持ちの悪い、かなしく、いとしいきみをおもうと

     

     

     

    受け手のない涙が止めどなく、きみが、きみが、きみが、

     

     

     

     

    その様な体勢から私を力ずくで氷へ沈めることに

     

     

     

    永久に浮かばせない可愛い娘を手のものにする花火の作戦でしょうか

     

     

     

     

    菌床としますか

     

     

    静かに抑えて怒っているのですよ

     

     

     

    私はあなたに比べれば想像力はおろかだが、

     

     

     

    奔放な笑顔をいつでもいつでもあなたにみせたくて

     

     

     

    時間を、ピンに刺さった紙のように

     

     

    心細く私を見るあなたを思って

     

     

     

     

    正す形を描いて

     

     

    魚吐白の腕をたらりと垂らして居ます

     

     

     

     

    そんなことを云ったらあそべなくなる

     

     

     

    私のほうがずっと悪魔で有るから、しっぽでもひっつかんでくれれば

     

     

     

    みみずくの私の胸を打つことが出来るのに

     

     

    きみの愛を尊敬して

     

     

     

    ぼやっとかんがえる月曜

     

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  • 統合失調症についての記載

    「わたしのダンス」として、パフォーマンスと云うカテゴリを付けて作品欄に載せたが、ぼろぼろで有ったのだ。

     

    ぼろぼろで有ったのだから、それらをとがして纏め、そういう精神状態になった時にやり直す。

     

     

     

     

     

     

    統合失調症になったわたし

     


    私は統合失調症です。

    それは心の背中合わせで、両者が恐らく責め合うところに幻聴が現れ、とても煩い。

    大学の頃、偶然心が他人と衝突し事故を起こし、ある拍子に自分で頭を打ちました。思うところそれまでに確かに「病気」は既に潜在していて、そこに大きな傷が付き、発症に至った、

    というのが私のこの観察です。

    私は精神病、というのが恥ずかしくてたまらない。

    大泣きをしたあと、
    心が幼児にかえりましたが友達は私を見放さなった事に、

    人の傷みを知りました。

    自分は何も傷んじゃいなかったのと、知りました。

    後、精神が弱かった。精神が弱い、というのは良く言いますが本当に有って、

    父親のいない家庭をずっと、母とやって来たので、

    あらゆる理不尽な優しさに触れ、揉まれる機会が、それを予め持って居なかった。

    心を孤独にしたとき、一人でも頑張ろうという、

    答えを出す人が居る。

    私は心を孤独にした時、社会のせいにして、世の中を離れてしもた。

    後、人が、自分を好きだと言うことがからきし頭に入ってこなかった。

    疑り深いのが原因ではなく、父を持たなかった事に、恒常的な鈍感さがあるのでしょう、

    これこういったのが、精神の弱さとして、これは魂の意志の強さとは異なり、

    私は自分では意志の強い者だと思っています。ある時の苦渋の余り、傷ついた事で私は死のうと思いませんが、もうやってられないと、棒にタオルをくくり自分の首をぐっと締めた事があります、経て、後悔と、かえって生きる勇気を持ち何か開き直って生きています。

    幻聴は、自分が自分を責める何か見えないものの音だと、わかった時私は静寂にあたり、こういう回復の仕方も有りました。

    今は父にも積極的に連絡を取り、話し、

    病気をする事で、色々考えるようになりました。

    逆境とはチャレンジであり、プラスに変えて行けるのとわかって、元気が出て、

    精神病に対する異常な偏見もこう書いてたら治まってきつつあり、

    それこそ平気に病いをしていたと、切に感じ致します。

    心が病んでる時、詩は書けない、道で誰かが云って居ました。

     


    ……………………………………

     

    私は自分の書く詩を「作品」と呼んだことはない。それは、「作品」と呼べるほどのものではないという、ま、自惚れるなよという自戒も含めた自覚があるので。
    で、この詩は、そんな私のくっだらない心とはまったく別の意味で、「作品」とは呼ばない、私は。
    これはもはや、詩ではない。
    人の心の生の声であり、人の心を撃つ言の葉である。
    この小部屋に来られているすべての方に、お読みいただきたい。


    《ほら、人間って、さ。
    集ったもん勝ち、みたいなとこってあって、さ。
    個人的には、それはあんまり好みじゃなくて。》

    《ほら、人間やってて、さぁ。
    生きることさえ、放棄したくなる時もあるけど。
    でも、死ぬのが怖いって理由だけでも、生きていってしまうじゃない?》

    この二つの《 》は、私の心の奥深くの、言葉、かもしれないけど、この「詩」では、それどころではない、作者の方の、述懐をお聞きすることができる。

    さっき私にとっては、「作品」ではない、と言い切りましたが、もともと詩って、さぁ、なんのために読むのか、という視点に立って考えれば(あ、答えは、(って、エーッ、答えちゃうの勝手に、人が詩を読む意味?)、心に響く文章を読むため、だよ)、この文章はふつうの詩、以上の「詩の価値」を持っていると思うのです。

    もし、
    もし仮に、ですよ、《感想》から先に読む方がこの(感想》をお読みいただいているのなら、絶対に、この「詩」はお読みください。

    その感性を揺さぶられること、私が保証します。

    ○澤 20/02/29 16:06

    〇澤様

    価値について視点を強く持ってみて、「詩」とは違うだろう、でも詩性をしつこく内面に残して作ったものがコレです。
    主観を日頃詩に於いて磨いていましたので、それに価値を加えると
    構造主義的になるんだなぁ、すごいなぁと、書いて感じています。すなわち新しい客観性が作られる、と言う事です。最もな叙述ありがとうございます。私も感激致しました。


     20/02/29 17:36
    続けてすみません。

    「価値について視点を強く持ってみて、「詩」とは違うだろう、でも詩性をしつこく内面に残して作ったものがコレです。」
    何故かと言うと、
    黒色と云うのは扱うことが難しい色なのです。例えば“人間として”の範疇に居て、愛からま逃れたような愛。どこかへ勝手にその水が零れて行くような、枯渇の色、黒。利用するのではなく、詩の彼方や、有るとは言い難い詩もある、其受け止め方によってその向こうで見つめれるもの、と云う創造、その創造に関わりたい。
     20/02/29 17:56


    …………………………………………


    「寛解の試み」

    一芸術のゆくえ

    アーティストが同人誌を踏み付けました。

    ほなら、アートといった尊いそのテコで私はジャンプのページを数ページ千切ってキャンパスに貼り付け、そう有る嘘で、「黒い色」に傷ついた者に黒色(こくしょく)を認識させそれを乗り越えるものをこれから創作します。

    [例えば比喩で有り、事実に私はジャンプが好きです。この場合如何にも然許(さばか)り道徳に於いて考えを尽くします]

     

     

    ラインより

    これは良い曲です。初音ミクご存知ですか?虚構のアイドルですが、ガラスの液晶でライブをするアニメです、かなり前衛芸術を行っています。高度な最先端技術と、アニメーションキャラというチープで繊細なものが重なって、何枚もの花弁を液晶画面に埋め作っている。会場で私は発狂しました。

    ちなみにそしてこの歌はあなたにたいする、私の困殆(こんたい)です。

    https://youtu.be/15afHTADtBs

    ギコ猫バージョンも有ります。私に似ています。

    キャラは、・触れられない・美しい・好きにできる
    という事が、元来のあらゆるアイドル象徴の想念を包括しており、極めて薄い次元に在るアニメの彼女を神レベルの「アイドル」にさせます。思うに理論的にAIなのだと思います…、古来から有った幻聴幻覚というものを私は身に抱いて考察して来たのですが、幻聴はそれ自体が二次元的な理性を持っていて、「極めて薄い次元に有るアニメの彼女」と、キャラに対して無駄な線の多くある乏しい人間の顔を理解した時、愛らしさ、人間の方への対するいとしさによって迷妄と騒音が無くなります。

    https://youtu.be/RAQ_SWpABrU

     

    __________

     

    木は優劣が既に無いように美しい。

     

     

    幻聴幻覚よりも高く登り有りたいと思う、それはどういうことか?日頃感じる優劣感や自分の外側に心を置いてしまう事も、空の高さを目指す様に輝きに対しての弱さで有る、木には、優劣が無い、とにかく、人間のアート性とは全く信用のないもので、ほぼ何らかが棚上げされ白比べをされたままだ。「アート」と云えた時は既に大人になって居る。自分が今まで指先の方から認識した手の感覚は、こういった幸せは、苦しみを数えた感性による。男性の理性の成長は、美しさに由る。
    存在は、啓蒙するときに「私」が客観的になり自分が自分に対して他者になったとき抵抗として強く有る主体が為に約束を「実際」に繰り上げることが出来て緊張したもので、例えば、存在的なとしてアニメは虚構として私たちに置かれるが、しかしその内面にある物語が、まるで非フィクションとなり現実として目が思い、詩としての感動を伴い成長する理性が認証している頃、その抵抗は自分と近づき、一瞬一体となり、それその現象が何かの実在性を証明し私たちはそれぞれの感性で理解をし続ける事が可能だ。
    旧来式は、神を「語る」とはこのように手間が懸かる。どの様にシステム化され、彼氏彼女されたかと云うと、やはり輝きよりは、幽霊や人の本当に嫌う者の方を見きわめ退治しようとしたことが伝説となり、失えぬ光が古事記に通じた。それがシステムの心を掴んだ。


    こう以て作品を創る、創って行くこと、人の持って居るアート性まででは納得出来ないと云う事は、可能性に対する意欲が非常に偉大なのだなと感じて居ます。常識とすべき事や、今ふさわしい枠組み、美にはいくつも前提が有って、啓蒙は至極、道徳をこれに加える事であるのだが、誰もそれをやって
    居ないというより、出来ないので有る。此れを知る事の真新しいかのような驚きに、心が震えるばかりで有る。高鳴り、其れに依るならば私は加筆、修正、また一つの全く異なる変形、雛形として真新しく書かれる事、批評等、ご自由にお願いを致したいと思うのです。その場合私は生活を大事に思う故約無責任でお願いします。

     

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    その時にやっと初めて「作品」になる時


    「初音ミク」そう呼ぶ事で、人のほうは「この通りに有る副次創作的な事柄をいっているのだ、」と云う。
    私にとって誰かは「人」だ。「誰(人)」も見て居ない間に余裕が有った。詩性は生活だからだ。
    「誰(人)」かが見てる時、変化したい意志はある美、世間のその水のような緊張感に合わせたい、と云うもの。
    「何なのかわからない」と云う余白を残す事がアート。
    これは「ああなんだ」としんじる自分たちのカケラ、生活。

     

     

     

     

     

    統合失調症の寛解にむけて

    2021年九月


     

     

    幻聴を事実として、思考しています。私も統合失調症の患者で有り、大変苦労していました。

     

    その様子も載せて居ますのでご覧下さい。

     

    形而上、神仏、病い、生活、様々な事から、常に考えて居た結果、自己と他者の理解、単純な理解ですが、

     

    それを深めて病気を受け止める事が出来ました。

     

    ドーパミンの過剰が直接的な原因とも思えず、二次的な結果で、原因は不明だと思います。

     

    見えないものの仕業かも知れないし、それは口には出せないからです。

     

    幻聴が起こる時に引っかかっているのが過剰なドーパミンで、それを抑える事は一部正しいと思います。

     

    薬もまた適量を守る事です。暗くなりたく、ざっと飲んでしまいたい所で、

     

    しんどい事ですが客観的には必要です。

     

    症状が不思議であり、他に何か理解出来ないかと思い、

     

    考えない場合こそ良い事かも知れませんが、原因については本当の事に興味を持っておりました。

     

    そういう方が亦いらっしゃいましたら、参考にして頂ければ幸いです。

     

    幻聴って云うのが、これ何やろ、とそう思って日々聞いて過ごしています。面白い事も聞こえます。

     

    出来るだけ無視しているのですが、しようとしているのですが、何か私の場合は霊障と絡んでいて、

     

    何かがあって。先生に聞いてもいまいち。ただ、先生は医者だし、精神力が必ず随分あると思います。

     

    自分よりはあり、ゆえに少なくとも合わせて行くことが、こちらがスピードを縮めて合わせていくことが、

     

    最も治まりやすいと思います。

     

    霊障だと言いましたが、統合失調症って病名があるくらいだから、

     

    精神病とはいえ広く心を、自分が、受け止めなきゃいけなくて、

     

    一方で、理解されないという部分を持つことも大切で、何が嘘でも、相手を思うなら「はい」と一言だけ言ってあげる。

     

    社会的なこれも優しさなんですけれども、必要だと思います。

     

    私は精神を病ませると聞くと「キチガイ」になる、って意味だと思っていたのですが、精神に本当に傷が

     

    ついてしまった事でした。私の場合、本当に幻聴は休ませてくれました。

     

    ただそれは、「心の声」とかで、聞いてはいけない悪い方の「幻聴そのもの」もある。

     

    それが、感じると言うのも因果関係にある人もいれば、偶然起こってる人もいます。

     

    何はともあれ、周りの忍耐が大変です。周りのしっかり普通にして来た人。

     

    これも、努力の方も偶然のひともいますが「今現在こうなっている自分」よりかは感じやすいひと。

     

    そう思ってこれも苦しいのですが、自分を認める事によれば、つまり自分を認めると周りもラクになり、

     

    だからとことん整理して生きてください。どんどん整理して生きてください。

     

    話を変えて、霊。霊って言ったってわからないし、霊媒師が周りに本物がいるのかわからない。

     

    シャーマンとかが自分は好きかも知れないし、巫女系かも知れないし、スピリチュアル系かも知れないし、

     

    参考書がなくて困りましたが、師弟関係や、時代と、場所と、向く所は存在すると思います。

     

    いーってならずに、正しくしてれば、あると思います。

     

    いずれも、そういう人の「テーマ」って苦しみだと思います。

     

    能力や、気術を扱った漫画についても必ず、孤独と修行であり、それを続ける事。

     

    さらにそれを自分がしてさえいても、逆境はあるし、希望すればね。

     

    それらは治療としても触れて居ることが出来るという点がある。

     

    もう一つ、傷を治すこと。心がちゃんと人の心に揉まれること。

     

    普段私たちは「傷付いた。」と、言いますが、単いその自分をヘコませる事とは、

     

     

     
    傷付いたっていうのではなくて、水をかけられた、水がかかった、様な事であると思うんです。

     

    人は、そうは思えず、そうは思わずになよなよして老いていく事が今凄く多い事だと思います。

     

    本当に水がかかったと思えて、やわらかく、構えれば、当然社会には構えが必要であり、

     

    辛い人が、何とかそれを弾いてついて行く事が出来るかも知れない。

     

    人の心がそもそも美しいものではありません。水や氷も通っている、ぶち当たっていく、何を言っても海の国ですし、

     

    岩の様に切り立った自分を、丸いすべすべした黒い石ころのような自分を私は想像します。

     

    ちなみに傷が付くっていうのは、人間として罪を自らに固定され得る、とか、

     

    今よりもっと色彩感覚のあった子供の頃、許せていない自分自身とか、

     

    このような自分の「課題」。もう一度、針を進めてもいいんじゃないでしょうか?

     

    以上、
    統合失調症の纏め。

     

     

    皆さんも、神社に行って「耐えます、この苦しみは何でしょうか? 頑張ります。」

    この苦しみを耐えますと、お願いをしたり、

    お墓参りに行ったりしましたが効果はありましたので、参考になされて下さい。

     

     

     

     

     

     

     

     


    苦しみに耐える精神的な方法として、私が考えたのが、

     

    手を合わせ、「辛いです!苦しいです!痛いです! 」と、声にして、気を強く持てば、

     

    離れていく嫌な気もあります。

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  • 幽霊を置いて行っちまおう

    解答が、どんなに大きなものでも

     

    これがよもや私のものでは無いと云った、宇宙の考察で有り、

     

    詩の眩さにたいして立ち眩みをするわけでも無いが、

     

    何故かと云うと、この客観的な宇宙が、無色の火で有ると思う美しさに於いて、

     

    ひれ伏した時に

     

    藍色が副次的に悟るのだ。

     

    ちなみに火は、1毎F揺らぎという数値を持って居る。

     

    めの中を横行して居る。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    僕がお前に一番ツッコミたいのは、

     

    ばかの様に、一回読みでは、

     

    全てを暗記したことにはならないし、

     

    何の為に記録しているのか分かりますか。

     

    理解できるまで、繰り返して良いのが恋だろう。

     

    いつも終わりに告げるのは、本当に僕に云いたい愛想なのか、

     

    「誰か」への言葉なのか。

     

    お前は世界を恨んだ。

     

     

     

     

     

    君たちがよく云う、絶望で有る美しさは、

     

    優しいだろうか?

     

    むしろ、美しいだろうか?

     

     

    なんせ、“ママ”は魂を私にあずけたのだから。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     彼はさう独り言ちて、 むんずと手を伸ばして 《世界》を握り潰せし。

     

     

     

     

     

     

     

     

    そして、《世界》は憤怒の喚き声を発せし。

     

     

     

     

     

     

     

    ――何する《もの》ぞ。《世界》と呼ばれし《吾》は、お前なんぞに変へられてたまるか!

     

     

     

     

     

     

     

     

    虚しき喚き声のみ残して《世界》は《存在》を始めてしまった。 その時、《世界》は一言呻いたのだ。

     

     

     

     

     

    ――あっ、しまった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    世界とは、六角の粋な穴に凍って居る。

    恋人とは、数値に為り得ない資本だ。

    物事とは、わたしの神様だ。

    藍色とは、宇宙の様に純粋で有るのが定めだ。

     

    天界を、今日も目指して。

     

     

     

     

     

     

     

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  • 第85章 「完結」

    「誰かに」 わたしは、自己を伝えよう。

     

     

    良い事は、これからも考えて続けて行くが、

     

     

    覚えることの出来ないこともあると知れ、

     

     

    好き と云う責任には、傷付きたいもので有る。

     

     

    その限りは、終わりなど来ないが、もう戻れないので有る。

     

     

     

    こんな事を以前大澤が云っていた。

     

    「ほんまに良い映画って云うのは、少し面白くて、少しかなしいねん。」

     

     

     

     

     

     

    振り返らないとは、過去を捨てるのではなしに、

     

    今とは過去の蓄積か連続で有る。

     

    こうして上に積み立てる事が出来る。

     

    何かを無理に「してくれた」と思うのじゃなく、

     

    自発的に頑張った、とそのままの事だけが「けじめ」になる。

     

     

    本当にすっきりした。

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  • 理不尽なことがあって、口がもごもごする。

     

    感情は火を噴いて居る。

     

    云いたい事が心にあふれているが、

     

     

    詩情とは、生活であり、宇宙であり、心であり、霊だから、

     

    かゆいと思うのも生活としての詩情なのだが、

     

    何か嫌なものを自分で弾く潤いとは、

     

    あらゆる愛着なのだ。愛情は、時間と過ごすのだ。

     

     

    心読は、心理学とは違い、悉くそれを除けて居る。

     

    老人の様に、自分の葉が、ふさっと有るならそれを見てゆけて、

     

    三十、四十、と若いうちに新しい芽を増やしたい、

     

    と、思ったら書き続ける。

     

    お能の「花」は、七十で有るのだから。

     

     

     

     

    霊とは、「見えない」と書きます。

     

    昔よく聞いて居た「アゲアゲ」とは、霊格のアップのことだった事に気付いたのが、

     

    クラブに街に出るようになって気持ちまで明るくなって来た、良い音楽のお陰だ。

     

    何でも聴いて居た。「良い音楽を聴きなさいよ。」と、口をすっぱくして、お兄さんがクラブで

     

    美しいレコードをかける間中、全員に語って居た。

     

    それを聞いて居たが、「好きな人」や、「悪い音楽」の存在を知らなかったので、大人(お兄さん)の云う事を無理解にして、

     

    飛んだり、跳ねたりのラクなダイエットを評価して居る事が、

     

    孤独を守れたり、茶を呑んだり、自分の暗い一室を閉ざす事が出来て居たのだった。

     

    お兄さんは、「恥を知りなさいよ。」とも云って居た。

     

    自分に失念したのちのそれは養い方の為で有るが、学校の先生も、「最近の子は喋らんね。」と云う。

     

    テープやCDばかりを聴いて居たのだった。それを「上品」だとか気を使って、回議にたいしてはそっと触れる先生。

     

    私は東大阪のアクイースと云う、クラブでキャッシャーをしていたのが高校生を卒業してからだ。

     

    とんでもなくかっこいい仕事だ。

     

    イベントに人が来なかったら来ないで、部屋から太鼓を取り出して来て、オリジナルの歌を歌ってくれ

     

    毎日笑って居た。

     

    「かっこいい人、もの」のことをいつも考え、

     

    私が、大人になって、大人の云う事が聞こえて来る頃、

     

    とは、ようやく「自分の面」というものが咲いてきた、外の世界をまに受けるのである。

     

    それでも経験が有るから、「育ち」としての楽しさを幾つも見出す。

     

    「初めまして。」と“DJ”と挨拶を交わしたのだ。

     

    「雨が降る」ことを知覚して、足(ペン)をのばして、発達するのはやはりこの時期だ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     


    音楽から連想される宗教のカンジとは、それとはまったく逆の対比された「弱さ」なのだ。

     

    哀しいことを哀しいと云い、思い、そうやって立ち受ける、ということをきっかり受容する。

     

    幸せとか、天使の輪とか、かえってこれを舐めて居る。「アガル」とは、海の世界、森のセカイで、

     

    水として存在している感情の忘却をする事では無いんだ。即身成仏を叶える人も居るが、

     

    寂しいとか感じるときにこそ、上手く弾くことの出来た笑顔の、

     

    この地面との抵抗力の大きさが、重力になって人を集める。

     

    空は、下に居る人間にとっては鳥の領域で有る、こういった箱を、

     

    どのように解体するか? と、感じて居る仲俣さんの本で有るが、

     

    一ページ読むのを、10分費やして居た。楽し過ぎて読むのを惜しんだので、どんな内容だったかは覚えて居ないが、

     

    「僕が僕」でオリジナルなら精神力、即ち「知」を付けることに、上手く地人(ちじん)と繋がれる。天がすべれると云うことなのだ。

     

    天地は、最も立体的なはなしなのだが、

     

    空や海は、所詮この地にたいして箱の中の天井部分。

     

    弱かった私が、弱かった私を今も呼んで居る。 記憶の円環が球体なので有る。データ数値とは異なった感情を、重しめて自分を浮かべる。 弱さとは、他人の弱さを踏み台にして強いと思ったまま成長しても、帰線を描けないことだ。

     

    私はもっと強くなりたい。

     

    いづれも原因は、肉体と霊が同一でない、べつだからだ。。

     

    自分は問題に取り掛かるが、花こそを伸ばしているうちに、原因のほうは消えてくれる。

     

    「咲かない花」をまだ抱えさせられて。

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