1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2021/10/28
季語はピストル
の模型
玉は入って居ない
漢字ならどんどん使えば良いし、何か無い限り間違いをほっとく事でも無いだろう
まして、昨日まで「新しさ」は無いと云われてたし、そんな背丈の俺らが、何を決めることが有るのか皆目わからない
俺も勉強途中だし、隙を見計らってくれるのは、楽しいし人間的にとても有り難い
今の時代、砕けた騒動の中に紛れる、そういう饒舌さがなければパンも買えない
俺? 俺の鞄は、
埃や空の露草
千円のCD
これは、私の飴色の町から枝を分け滝の有る方に買いに行くから
良い物
黒と赤、ジョウネツ、
哀しくてとっぽい町から来ました、妖怪だって居(お)るんだ
下品な風情や、心臓から叩かれた新聞紙やスリッパが出てこないようにこちらでは黙ってる「キツイ」だろうから
や、俺が下町の丈夫で、腹違いの兄は、本当に貴族かと思うほど出来が良いから、臭い、汚い、ばばちい俺と一緒にするな
このピストルを、メディウムに浸けて四角い入れ物に入れる。
乾いたら透明になって、
付き合う気があるのが生半可じゃないから、かといって仲でも友達でも無い、
そういう水にひらけた関係性の中で
別に好きな事をする事って意味。
俺が、すきならすきでいい、って事。
夜半、山手を上がって龍の瓦の家に行って、
色々考え事を話しに行く
歌舞伎を観る
古典を観るとは限らないけど、色々馴染むから、
その、言語的に滑らかなこと、そういうのを美しさって云った言葉がフランスに有って
マス目で躾けられたノートが、
俺はこれではいけないと思ったが、社会の円滑は、報告、連絡、相談に有り、
それはそれで上手く行ってると思うから、
壊さないように、思想は書籍に挟む
月のように垢抜けた形を、メモに書いて本に挟むこと
俺は知らね、だって言葉も行為も、頭も、靴紐も、
「あなた」が選ぶのだ
外は寒い豸
砂利みちは、ころんころん突くような音がする
香しい匂いさえして居るが、ささっと歩いて
足の裏に地をいちいち付けて、自分の心が自分の心に述べるようなテンションを保つ
美学が縁で金の無いような商いがしたい
それも架空の商売で銀を磨く為の弥
こうやってものを譲るって云ったら
そりゃ、あなた後の、くやしい気持は有るだろうが、
街に来たのは俺が後だし
元が月か惑星みたいにつやつやした“思い”だから、それで通った者がゴロゴロするものだと
鞄の作り手としてはその軸は失えないの豸
21/10/28
___________________________________________________
なぜモノクロに目がむかないのか
2009/06/09
「哺乳類の体は色彩的にみてとても貧弱なものにすぎない。みんな潜在的な色盲なのだ。
けれど、しかし不思議なことに、人間は化粧をしたり、色鮮やかな衣服を身にまとうことで、もう一度、鳥や熱帯魚や昆虫のように豊かな色彩の世界をとりもどそうとする。
人間に至って、哺乳類ははじめて、鳥や蛇やとかげや昆虫や魚たちが楽しんでいるような色彩の世界の歓びをとりもどすことができた。」中沢新一
漫画が好きで短編をいくつか描いたのは、もう3年以上まえのことだった。
この感覚とは、熱中している当時は気づきもしなかったが、今思いかえせば、天田草太やAlbert Brecciaおとこのこが憧れる漫画家になりたくて、その一心にはじまったが、しかしながらそれ以上の進展は望めそうにもないことに絶望していた。
性別の枠に閉ざされた、おとこのこの憧憬の感覚。そこには黒やシロや灰色のトーンにかぎっては、道端の道路標識の程度に理解され、本を開いたとたん目線はもっとも注目すべきキャラクターの絵と、コマの内にあるフキダシをのぞむようにできている。こうしたことの繰り返しであった。漫画とは印刷されているメディアの、その紙の質などはとくに筆記するに値しないことは今でもそうである。
色彩の実感のない当時の私のやりたいことの方が、いまよりももっとアートをしていたといえるだろう。単純ないち、に、いち、に、と足をはこぶ行進曲のようにして、乏しい調子にしてみると、なぜかもっともっと身をまかせれるようになるのだ。
そうして生まれたモノクロのまんがの面々は、身体の輝きや色彩感覚の豊かさということになると、他のメディアアートのものに自慢できるような豊かさはもっていなかった。
町ではみんなテレビやインターネットや雑誌などによって色彩感覚はもはや取り戻されているといっても過言ではないだろう。豊かな色彩感覚をとりもどした生活を送るなかにいて、その言葉通りの生活をするために私は印刷を選んだ。
ログインするとコメントを投稿できます。
2021/10/27
編集後
ログインするとコメントを投稿できます。
2021/10/27
ログインするとコメントを投稿できます。
2021/10/27
悲しみは性欲の未消化とも云う。
悲劇とエロをなぞって求める事から、立ち上がり、飽きる頃とは、
自身のアートの始まりなのだ。
笑うこと、喜劇には筋力かいる。
フォレストガンプのように真実を求め、大阪を半ば行ったり来たりし、
心中では劇的な旅をしている。若干勇気と、忘我忘失を「諦めた」強い年齢意識と、自意識の、その結果が、相手に増してブラックジャックに救われたように、
もう一度生きる時間を能わってる。
青春時代や、昔から、何かに憧れたりすることが全くない程、無気力だった。
その中でもやはり対局で、美しい物は、近くに転がっていて、
死が、醜い。と云われるようになったのだから、ますます生きてることも隠すようになった。
人や物事から距離を置いて、
私はある音楽テープを聴いて素晴らしく感動していたが、
「何か良い事がある。」と云う言葉さえ無い平和のうちに、その中で首を吊って死ぬ者だと、自分をそう思ってたので、
くじけてはいないが、自惚れてはいない態度として助かりたいと願った。
涙、排泄物、体重、色んなものに潰れて、その微笑みがやけに綺麗だったらしい。
その時に、美しさ、後天的な想念のタイトルを船にして、
まさか命を試すような事は完全にしなかった、その態度と経験や哀しさの数が、気高い「自分」の前提だったから。
ただ繰り返し経験する人をおいて、嫌悪と好きがあったから、自分ら子供だけで、行った。
出会った闇は、参ったが、闇はと云う考察を得た。
だがますます死っぽくなった。
例えば何事も起こらないことが、私の望みだった。
何者とも結婚しようなどとは夢にも思った事がないのである。
執着せず固まらないで考えると、
少しは、恋などは受け入れ
自分の付ける、終わりまで見て行こうと思う。
「母」が、急に死ぬとかは、全くの何事かで、
そこまで行くと罪というもので、
消えたくても生きてる人をみてきたから、消えるって願望を叶えるような雰囲気はとても嫌い。
どちらでもない人は、どちらでもないまま、その額縁をぶら下げて死ぬときまでそうすべきだ。
そうしないあなたを私は見れない。愛して欲しい。停止しろって云ってるんじゃない、
火のようにブレて、軸を持ち、柔らかく生きると云ってる。
昨日の写真は芸術と思って出したのだが、
PCで見ると目が粗く、わからないものであったので、
引っ込めようと思う。
何事かを、
何が嫌でも避け、回避し、
卵と牛蒡を食べ、細く生きる。
ログインするとコメントを投稿できます。
2021/10/26
アラーキーに憧れてる。
ログインするとコメントを投稿できます。