揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 詩のいまの引き出し

     おやじいりゅうの云った。
    二度は詩を思えなくなってしまう。善の機能は、自分の最も高い精神でしかない。値段にして低価な、「」と云うことだ。Noizuだ。ノイズは、物の静態を却って探す。

    人は、同じ人ではなく陸を押しどける。
    海は人ではなく島を押しどけるのだ。

     

    俺は見たこともない漢字に出会って挨拶をする。
    へぇ、と一言。
     
    宝石と石ころでは、

    天地が叶わぬが、
    強さは無関係だ。
    石ころも丸けれは、強い。
    宝石は強いに決まっている。
    海を石ころは知って、いる。
    知らなかっただろう。一〇〇ある石ころのを。
     

     

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  • わなわなする2

    モニターでは無いが、

     

    どこでどんな人にあたるのかは、初めに決まった縁であるし、

     

     

    その人が、そいつが優しくないほど、

     

    アンタの世界が暖かく感じるだろう。

     

     

    心配するな、これは知識。

     

     

     

    アンタも私も、与えられているのだから、あらかじめの縁も、

     

    偶発的な、ここまでなら許せる縁も、

     

     

    受け取ろう。

     

     

     

     

     

    音声があるが、「トンッ」と、背中を押して聞くもん聞いたら帰ります、や、帰るように。という、システムになっています。

     

    強いドツキがあるが、祝福である。

     

     

     

     

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  • わなわなする

    私の男が、私の頭の上に乗って知らず知らず頭を踏みつけた。

     

    私は実際にとても痛いのと、怒って壁を壊してしまった。

     

     

     

     

     

    モニターでは無いが、モニターの中から見えるセカイと、


    モニターの内側の、心の会話中の世界は、


    別世界だ。

     

    よくその辺で、人が都合よく私たちに話しをしてくれるが、

     

    この人間と人間を、電話機にしてしまうやつがおる為の警戒なのじゃ。

     

     

    「話し」や音が流れる際も互いの霊の高域な了解があり、


    外のセカイの安全を守り、そんな私からも遠くの人の、同時に福を祝っている。

     

     

     

    お坊吉三のように、間に入って家族ぐるみの喧嘩の、全てが解決した。「人間どもよ、俺はいつか言ってやるぞ。」やるせない今という時に立ち上がるのだ。

    あらゆるやるせなさを三重四重救い取って、気を良くしたら後はこたつに戻る。高年配の人のダンスだ。

     

     

    ルール、ルールというが、人間なのなら実際にそうあれる空間があるのなら、本当にどうしようもない時だけ人の理に任せたら良いのだよ、と、私もいつか言ってやる。

     

     

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  • 目の大きさ、大きさの想念2

    大澤悠

     

     

    素人でも玄人でも、好きでもないものに触れたら、

    人が解釈の壁を越えることはないだろう。「理解」が出来ないのだ。

    そもそも、人のアート性なんて我々が信用するものの事柄からは全く枠外にされるものだ。全然、第三者の理性の方が偉いのだ。

     

     

     

     


    画家の心はは瞳孔の奥に辿り着こうと、至って静かな闇の中でも、明るい光に埋もれていても、
    自分が何か表現をする中で自他の目の成長を心待ちにしている。
    目はやっぱり大きくなるべきなのか、わからないが、

    純粋な心は、進化を思うのか、単純に「アゲアゲ」は、上に行くことがそれではないらしい。
     

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  • 目の大きさ、大きさの想念

     

    体は考える、という言葉を時々想像する。


    霊というのに語弊があるが、肉体とそれは全く別かと云われればそうではない気がする。

    それは、肉体がそもそも霊だという概念から始まる。

     


    「死」とは何か?

    かんがえてみることではなく、ひたすら想像がしたい。

    なので、死ぬことではなく、 死の概念を再びただす。


    こういう宇宙的なこと


    ハカセって意味の「宇宙人(如来よ)」。


    君や私、それらの人を集める無意識。


    蜻蛉としての私、指としての君。 

     

     

     

    悪い方向しゃなくて、


    善とか星の輝きの間に間に、吸い取られちゃうのが、流れというもので、


    道理とも云うんだろう。


    道ともいって、それを「考え」る。

     

     

        煙草を吸って体を痛めるという想像をしたのは、科学から数字を得てその様子を目で見てしまってからイメージが膨張した。内臓を見るという行為にいったん死を隔てるからこそ、
     「わからない」部分がおおいにあるのだ。

    確かに数字は有る。しかし美しい数字は心のショックなど考えてくれない。
    そんな無知な人間のことを私は信用しない。


    つまり、闇も有るのだ。「怖いと思う私」がいるのだ。

    そのことから目を逸らしたい人を同じように想像出来るし、気を配ることを忘れて居ない。
    確立せんとしている自我なのである。

    学問が解りにくいわけもここにある。それに感心しても有るし、「私とはわかりやすく伝えているのではなく、単純な気持ちで巷の熟語をお勧めしている。この詩的態度が、=モラルを守る。「愛してるもの」をただ語るのだ。ダンスしたいのだ。

    だから、漢字なのだ。

    心の会話でもどこでも、漢字であること熟していること、それを守れた時、それらは表現することが可能なのだろう。

     


    人は、幽霊に憑かれた私のように変な思考あまり辿らないだろう。

     

     

     

     

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