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2022/01/08
僧だからといって、仏に興味をもつのではないだろう。
激しい修行を動画などでみるが、
どうしても男になりたい、人のすることだ。
ひょっとしたら、龍や精霊のほうが、当人を浄化するのかも知れない。
宗教と聞くと、何か猛烈な欲が芽生える。
強くなりたいのだろうか?
だったら弱いということか。
弱さは、
哀しいことを哀しいと云えないことだ。
脱シューキョーも出来て、信仰も出来る。
それが、道ではないかな。
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2022/01/08
おおさわくんの顔真似だね、とたまに云われる。
おおさわくんを、私は歌うことで、
自分の怒りをなだめたい
自分の優しさを慰めたい
そんなことはあんまり言えない
人は大なり小なり過ちがある。
「客観的な電球」はその過ちに住む。
これは、その中の成功例だ。
ぶつかった互いの頑張りが、昇竜してみのった。
ちゃんと、玉の城として「形」になっている。
そう見習うのか、憧れなのか、浄化的な欲なのか、
綺麗でないものを綺麗といいたくはないが、
でもそれで、全体的になんなりと生きれることなら、自分に拘ることの無意味感がある。
ない筈の通路を、あると云って作れない。
コロナの存在と、個体としての人間の大きな過ちが、
平行している。それと知るのが、話を終えたあとの今だった。
何かの判断を、自分はどう思うかを思うにしろ、それを考える間くらい
実際あるものだから、ぺたんこになっていて答えれなくて、
ともすれば、その難が、ずっとおって、優しさを打ち明けることの出来る仲間だったのかもしれないのに、
隠れてしまったら、何が繋がっていようが
気付けない。
見つけて欲しい、のかもしれないが、
ここに気付かぬことのゆえに神が神でいれて、
自分たちが神秘的だったんだ。
前世の記憶を失っているように、、美しいんだよ。
そんなのあとから言われても、
自我がなかった、とか、私のせいじゃないよ!
そう、はっきり言って、
私は「あだ名」が、コロナ。
コロナとは関連がないが、
コロナという「名前」と、私の名前を絶対に混同しないでください。
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2022/01/08
これは「客観的な電球」と云って、下の斜線、スキャナーを持って居る。
気に入った女を、スキャン(好きやん)する
スキャナーから幽体を伸ばす
自分をすっぽり包む、世の中の恐れがなくなる
可愛いキーホルダーを付けて完成
めっちゃキモイ。
それならそれで良いんだけど、
平気で自分のボケを利用して、
それだけで、
そのスキャン、自分の理想型からの大きなはみ出しを埋めるのなら、
満たなくなってしまったからだ。
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2022/01/08
向上ではなく、何かじぶんの罰や悪いことを今後隠し続ける為に
躾けを強いられることがある。
これだけやってれば、世の中はオッケー。
私はこの日々に、ながい恋をしていたが、
その人が「呪い」に遊びで関わって実行している、と知って
ちょっと馬鹿過ぎる。
即座に断念した。
思い出せない、ではなく、もう思い出してはいけないということが、
本当につらい。
女のひとが、男のひとのことを全部被ってしまう事が多いらしい。
だから、大変だね。と、友達が云って居た。
それがもし、つまんない男に引っかかったとしたら、、
そのつまんない男は、よく見ると既に自分のことを全部忘れてしまう病で、
何をしたのか、その忘我の幸せがひどいらしくて、
そのテンションときたら神レベルに向かう。
他者の声で、神を名乗ったきり。
助けるのはいつも他人。
他人が小さく何かしてしまったことを
それより何かしている自分の前に掲げて (恐い為に)
罰を被せる。
男はそれを今もしていて、
その秘密を、墓場まで持って行きたかったそうだ。
あんまりショックでみにくいので、
そういう時はとっさに、接触を回避する為に逆を云う。
「ワルやなぁ。」
その言葉を今も信じられている。
「本当のことを言え。」など、いわれる。
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2022/01/08
どんな動機だか知れないが、
食える肉まんを「九つ」くらい
自分のノートか何かに書いて
全、線をピーって引かれた
見せてもらった。
って、いう呪いをされているよ、教えてくれたのは
昔からの詩友人。
このおかげで私の精神も腹もぺこぺこ。
気持ちはかっかとし。
呪いとは、術者の魂の長さと、その名前と、善意の気持ちの思い込みで成り立つ。
つまりそれを材料に、それらをそれだけ削る、と云う事。
その人は、若いのにボケてしまった。
人を呪わば穴二つ。
犯人は現場に戻る。
私のことを「好き」だと云う。
古い縁は、
そのロープもまた腐り、自然と千切れるように
もしくは、再び結い合わされるように
浄化されていく。
だから、今も、私がどんな感情を持って居ても、
その人を思って居たりしようが、
何も問題はない。
何かをされたときが大事で有る。「地の底」で、何かを願うこと。
同じように憤るんじゃなくて、何か別の「願い」をすること。
自分の希望を闇の中から引き抜くこと。
これをやり遂げるにはありあまる優しさと、相当な筋力がいるが。
感情の重力に負けない。
願ったあとは、叶うまで多少時間がかかるが、
それまで呪いを観察しよう。
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