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2021/09/06
フォト蔵はじめました。
2010/01/30
こんな変な写真をのせています。よかったらみてください。
フォト蔵
普通のしゃしんはすべてイメージに近づけレタッチ済み。
なにかとややこいいデジカメの相談ならどうぞお気軽に。
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「ウニ プリント」
ブログ
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2021/09/06
ただ、考えてる間に精神は錆びて、
使い物にならなくなるから
自然に触れに行く忍耐がどうしても必要だ。
賢くなるには、神社に向かう。
ほかに海遊館とか、大阪城。セックス。
「日記帳」にこれが要。敢えて一度この文体で書きます。
たけたけ、
たけたけが、私をどんなに好きかを云って、
それを全部飲み込みにーくんが、「ちぇけらっ」と云って、跳ね睨んでましたね。
その反応にたけたけが、顔色を変えず片足を長く伸ばして佇んでいました。
その後にーくんが、腕をくんで顎を引いて、
お腹が痛い程面白かったです。
にーくんの猫が、にーくんそっくりで、
大阪の猫は基本人相がわるいが、
目がくるんと大きかった。
可愛がってるうちに、なんだか昔のことを思い出してきて
昔の事、じぶんが可愛いとか、バイトをしていた時に
いつも中古のBMで谷六まで送ってくれて、ついで私が千円するうどん屋に
行きたいのだと連れてもらったら
「高いな。」と言っていたのを、
結局、立ち食いうどんが旨いと、気付いたのではありますが、
「つるとんたん」はそれでも自分の中には余裕で殿堂入りするくらいなので、
連れて行って良かったのだなと、納得しました。
あの頃、気が多かったというより気が遮断されていて、
それを探していたような素振りで、またその自分の素振りが
心細くて、
ひもじくて
こう何でも繊細に感知して、人の顔をあんまり見れない年頃というのを、
満たしていました。
時に道頓堀、一見風情の無い長堀通りでも、
一本中にいくと良い画材屋や、良いアンティークショップがある。
上をみると、お水の看板が立っていて、
大阪はどんどん切り返していかないと流される、とそこで読みます。
濁っているから、ごちゃごちゃして居る、その中でも
光はきらりと見つけやすいから絵画的で至って、詩。
だから、本当の事を誰しも云わなくていい。
川が冷たくて至上にあたたかく、歳を上げれば高いほど安らぎを得るようなからくり。誰かの。
着物を今更千円で古着を買っている。
着物、新作も何も変わらずに美しいが、町から自分を切り立てる自信というもの
これがなかったので、なんとか折りの羽織も、すすめられた大島を、着ない。
自分の着物を持っていないのに大島を買うのは努力がいる。
感謝祭に向かった時、色んな人を横目にしてあれもこれも着て、
畳を歩き回り、
「いいね、いいね。」と笑っていた。
付き添いが、道路に出た後「皆キツネさんみたいやった、やめとき。」と云ったが、
「知るか。」と考えて、
私はこれが欲しいから、寝る時でも想像をどんどん膨らませた。
少なくとも三代は雑巾になっても残せるので、ハンカチやオブジェになったらまったく安いと思うのだ。
宇宙の、どこを見ても輝きの有る設計を
未だに手にせず。
お金がない事が言い訳にならない程、強力に馴染んでる。
たけたけ、私は着物が欲しい。
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2021/09/05
家のうちでは、一人でけへへっと笑う時があるが、
本当にいうとそれは家だけで、けじめを付けていて霊憑きで気が滞っていて気分が悪い。
近所の神様やご先祖にも、そう伝えちゃんと述べて、
「客観性はあります。人に迷惑をかけないように思ってます。」
一方これは地元の仲とのチャネリング、
「一人オーディション」だ。
https://youtu.be/_iLt8UZKgoI
世を舐めているわけじゃないが、こんなに小さな所だし自分の為に動画を集めよう、と思って。こんなものを恥を捨てアップしていたら秘かに見ててくれた高校の人にえらい心配されていたよう。
物凄く、性格が弾けてひねくれているというか、馬鹿に出来ず珍しいというか、飛びぬけてワルイ、ようで面白さもある。
周りはパッションかなんかだと思っている、大阪市の都会のある界隈。
それを「写真(動画)」にして自分で観てみて、「キモイ」と思うだけだが、これが「自嘲」として心の明度を保ってたりもする。
身近にあるツールを使って時代を楽しんでいる。ルール的に守ろうとしているが、
性表現でアカウントが消えた事もあるがこれは自分が悪いのだし、こんなペースであるのでついていけないこのご時世を、
受け流したり、聞く事は聞く形で、ナチュラルを目指す自分からは器用に省いている。
考えたり想像したりしているうちに気付いたが、大阪の都心は、
大阪市のコアは格別であって、格別として「きもかった」のだが、当然のことながら笑みが溢れる。
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2021/09/05
この頃のギャルを見ていると垢感がする。
「バカ系お嬢さん高校」という言葉を漫画で読んだ。私はそれで、
大阪女子学園と云うのだが、ケバ学とか、可愛学、と周りからはそう呼ばれていた。
ただ、メッカではなく、よその公立の人の方がファッションを楽しんでいたような気がする。
心斎橋や、ロフトのエスカレーターで見かけるお洒落な女の子…。
エクステを付け、ラルフローレンをオンして、「靴下」を飾る。スニーカーではなくぜったいにローファー。めちゃくちゃ楽しかった。
髪を整える「コテ」はバイブルやで、と、鞄に入ってなければ注意されていた。それは美しい女性で、
200度のコテの上に腰を降ろして大やけどをしていた。
ふと、戻りたいとさえ思う。みぞおちまで伸びるミルキーアッシュの髪を弄んでいることが
点滅した点線に変わって、思い出になっている。
その時考える。要は、何が良かったのだろう?
私は抽象化をしてみた。するとわかるのは、にわかに「気」が良かった、努力して満たしていた、という点である!
「オタク」。そんなとは対比された自分に気付く歳でも、「ノリ」良くいることはやさしさに違いないような。
とかいって、唐突に「帰る」と言い出す私の事でも、
今なら「あの人」と仲良くなれそうな気がする。
心を誰にも開かなかった暗黒の青春から、今光を見つけ出す。
何故なら、外界に気を張って、艶やかに上がるプリクラのように、
家でも、外でも何か綺麗でいる事の漠然とした「私の夢」は、いまの現実がどうあれ、
褪せていないのだ。あれはまったく、褪せていない。
お水で働くたしなみ、猫耳で世間ズレせず活躍できるクラブ、ミンミのCD、コンパクトになったディズニー。
マセると、うつくしい紙の「レコード」に触れているあのコ、そんな価値観。
よって私の世代は、確実に良い”モノ”を見てきた、たづさわってきた。その延長上が美術であったり、博物館だったりする。
ギャルの写真を見て、数年後も私は心を洗っていた。
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2021/09/05
過去的な機械、のような怪しげな
堕落を楽しめる人もいるかもしれないが、
リフト、のようなものから膝の上に乗り、
そのまま喋っていたら思い出したが、
こういう事は喋れないんじゃなくて、条件があったんだ。
上手であること、だ!
根拠もなさげ、Tの青年が、中国人が自分を好きだ、と決めつけて、
その後、リ、リフトを降りるとき、前後間に詰まった中国人を助けようとお祈りしてたら話が流れた
もう爆笑した
今日は何も掴めなかった。
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