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2022/02/03
お気に入りのフィギュア。
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2022/02/03
会話の方法(1)
起きかけに携帯を見たら画像が編集され残ってる。寝ぼけると隙をつくるのだろう。
自分にわかるような、ささやかに記号が入っていて、
それには私の無残なかおが、フレームで飾られている。そりゃまるでコーヒーのように苦いような思いもする。
時々、出会ったことも、縁もないのにとても恋しくうひと、ひとがいる。
会えないことが哀しいとただ思い出さないから、いつのまにか私は単なるリンクタグとなって、
少年から、いろいろ話ながら、「何てないことこそが絵になってる、今も変わらないよ。」と、気取りを合わせながら、
導き出す答えの、
くっと苦い味の奥を進行すれは、甘いムースが入っているのだ。菓子なのだ。・私もパティシェ職人のファンだ。
私は火事に遭い、市内を離れてのんびりしているが、散策をしていても、町のケーキ屋さんも町のケーキ屋さんとしての優れがあることを、
、全体を見逃さない。
パリ映画が流行る頃のハイヤーセルフの存在とともに時折。
曰く、驚きのミドリ色のエイリアンか宇宙人だか何たか知らないが、
いろんなからくりを試している問、オーブンが爆発することも、空気、人の空気を感じることと、そうやってためらいをしっかり持って居る人は偉いから、
何でもすることが出来る。不服。
オーブンが爆発、住む大阪の壇がもしあるとして、漫画の中なら爆笑だが、漫画の中でも笑わない真面目なフランス人なら圧にかかって、恥ずかしがる。
こっちのアホの味方をしなけれは結局のところをよそにわかってもらえない。
アホでいることは、賢くないと出来ない。
浮世だな、と言葉としてよく有るが、昔から有ってこの「浮世」が、わかっている大人の意識にたいして平和とかそうし厳めしいものを支えるから残るのだ。
「正心としている」から、「浮世」、「流行り」これが、何とも大事だ。
「流行り」は風として、従って強すきると良くないが、家の間が狭い国にとっては貴重な風通しの機能。
楽しい、と思って居たら、
あまり遠くでも「私もしたい」「良いものだ」
となるそう。
たとえそれが苦悩であっても。
どこか、遥かか、大天使。人がそういうものをお産するために、胎盤として気を惹かれたとしても、臓とは、偉いのだ。
人が、人がとうるさいのも、天にそぐう。
南無(天にまかせる)というのも、死臭がしても、気持ちを変えてどうにか明るく唱てみたい、祝福をこそ。 経(そんけい)を明るく歌いたい。
上品な、 にかまけすぎない。 一途に、それは会話というものを愛すからだ。
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2022/02/03
このことを思い出した。
鎌八幡神社というところで、二万円のお金を使い、腐れ縁のことを互いの幸せを願ったことがある。
縁切り神社に行きお金を払った時点で、これも勘違いされてないだろうか?
魔法とか、お祈りとか、古めかしい神社が好きです。
そこでそれなりとしてゃんとしたお金を払う。
こんな清潔な「お金」がありますか。私は総合的に気に入っています。このことを。
お金のことに本当に興味を持ち、価格がどんなものか知っている自分も褒めてあげれること。
ちゃんと願っていいんや、もっと自分を信じてええんや、
ということを、結果的に教えてもらった。
お金は、
鏡が真ん中に有るでしょう。
お札と聞いて、汚く思えたり、
綺麗に思えたり様々なの。
払い方と、付き合い方が綺麗か?真面目に付き合っているか?
私もそろばんを、サボってますから、一緒にぱちぱち、概念と「カネ」を磨きましょう!
ただの石を削ることから、原始時代も成ってるのですよ。
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2022/02/02
偶然生きるで歩合が良いのだ。あなた方はそんな必然的な高い身分か。肉体があるんだ、私もそうだ、論理的に「神」と異なるんだ。
何が入っていても、他人様にたいしては地柄からずーっと有る客観性を保っていようとする気持ちを諦めない。
日本人として、汚れたら終了とは浅過ぎるようになる。
白だ、一枚目だ、と思い込んだのだ。
国旗は透明に見える。透明の中に、想像勝手(赤)がぼんやりしてる。
勝手が良すぎる。
底上げプリン、からっぽのヒール。
麒麟とうたわれる武将などは、そんなことを捨てないて考えようとするから、
戦国の奇跡に居る。
「事だ。」なんて、現代の埃に生まれて誰しもそんな身分ではない、そういう身の感じの人が本当にいるとしてもだ。
あなたたちにも半分知って欲しいこと。
幽霊を信じるのに十年はかかった。
悪い物を良いと言ってひっくり返った表現をしない。
時代ががらりと変わった。現実をその形そのままにくり貫いてみた。
浪漫主義から成長が出来た。
言葉がないのならほっとくし、現実に言葉があるときは訴えて来た。
強みばかりではない、(;゜0゜)「お客様」と「人」を勘違いし過ぎである。
接客で働いていたが、私はそれらを臨んでいた。
水という水にふっかかってピチピチと元気な笑顔をしていた。
自分で受け止めることだ。
こう言うことだった。
じぶんがじぶんの「場所」を取って、憤りがあるのなら、現実で昇華して欲しい。
「関係がない」と思っていた人(私)の生活に関わるな。
どんな理屈、理論より、心を大事にしようよ、
してる、という切り方だったが、心を説明することが、自分から知っていくのだから、
大体なかった。
素直でいる理由が、この人になってみたい、と
焦燥でなく、恋でもなく、純粋に「憧れる」と言う気持ちが、
どこか自分の中に存在する、
というだけで十分じゃないか。
何かあったら、弱いものにたいして「謝れ。」
人はなよなよである。
そんな無意識が育ってしまったのも、
幽霊のせいかも知れないが、自覚出来るならこの上なく嬉しいのだ。
どうして、「話さない」という権利がないわけがあるの。
言い方によればわかるけど、真剣に現実を取らない、記憶がすぐ歪むから。
なにをもし考えていても、すぐ何かを思い出せるから、そうしている、想像力が大事だからだ。
古い話だけど人の関係が大事だ、と言うなら、「人」らしく。
決してそれは、「人間はこうやで。」って言って教えかかることじゃない。
それは自分の人生感想や、
出来ることと出来ないことが、人によって違うから、鮮やかに思うからなんの嫉妬もない。
隣の芝は青いが、確かにそう思うが、私は、
よそで、目の情報で、自分を忘れがちだから「自分、自分」と躾けがある。
鮮やかでないことを、単一な赤色を趣味にしない。
ただ、人から話されるそのことこそが豊かな色彩となっていて、許すことではないことを選択出来るのなら、
認められる。
この正しさを小躍りする。
あるだんじりには、夢の絵本があったり、良いなと思うし、
走りきるという気持ちも知れないし、
知れるきがないとずっとおもっていたから、
びっくりした。
この頃から黙ってしまって、
市内で喋ることを、つまり話かけることを覚えている。
スピリットでももし、自己を知ったら、なんだか嬉しいし、怖いこともあるかも知れないが懐かしめる。
総合的に、あんまり邪魔をしたくないからだ。
いたい居所、つまり近くの人、それが経験上いれる居所なら、確保する。
人生があって、何でも良いと思う。
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2022/02/02
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