揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • イギリスという言葉

    ドラゴンが地上に住んで居るのを知ってるか?

     

     

    そいつにかかると火炎放射をあびる。

     

     

     

     

    華やかで、群がりが強く、強い執着、、褒める言葉なら一杯あるが、

     

     

     

     

    「ライバル」として思うこの価値としては、勝手にきみあなたを忘れる。名の話は心にはなく、

     

     

     

    私、私、として出来ること。こんな「巨大な」教えを「私」がとって、辛くなったことは全く過去。

     

     

    おいらはドラ猫おばさんよ。

     

    私の自殺を救ったきみあなた、I do engrlsh    と、いう名前だ。

     

     

     

    本来アメリカにどこか行きたかった、どうも光のほうが強く、網のように吸い取られる魚(な)の自分。

     

     

     

     

    そんな自分の方は、そとの人が漢字を書いて、間違えたりしたら失礼だ、という風潮が、あんまり良いと思ってないが、放って居る。

     

    全てをコミュニケーションにかける、という人もいるから何も言えない。数にたいしても人にたいして賛同する、といったこの気持ちを自分で纏めたのが自慢。

     

     

     

    有名にならなくても、感覚的には何か武道の初段を取ることで、主観の解決は出来でしまうから、そういう、休まりが面白い。

     

     

     

     

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  • 自分の納得に向けて

    レベル確認でも、自分の有り余る向上心にたいして納得するなら

     

     

     

    何でも良い、と思う。

     

     

     

     

    それは、その枠組みが、心という何ともしっかりしたものだから。

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  • 自分だけの世界が成り立ってしまう

     

     

    他者の認否を「ま逃れる。」ためには、いくつの手間が必要なんだろう。

     

    目的は世界であったり、宇宙であったり。

     

     

    花生けは、

     

    それらが、自分の手から零れる、素敵だろう。

     

     

    寂しい、しかし、何の寂しさもない。

     

     

     

    絵画は、キャンパスが大きいので、体を使うんだ。

     

     

    アーティストは宙に浮いている、そのことと、

     

     

    それらを理解しようとするだけに花がいる。

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  • 心で確認することも、ことばで確認することも、

     

     

    同じようなことだ、角度が広がるだけで。

     

     

     

    それが良いか悪いかは別。

     

     

     

     

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  • 顔のはなし

    どこでも人間をやめない、といった余裕がある。

     

     

     

     

    身体がまた精神なのだから。

     

     

     

    いくら体を伴うこと、言葉の一致だ、と口では云っても、

     

     

     

    海、空などをいくら思っても口をあけたら降りるというものではないし、

     

     

     

    「歩く」とはまず、重力に逆らって地面から体を起こすこと、

     

     

    向かう方向があること、だ。文章を書くことだって、いちいち直立している。

     

     

    私に降るのはつらい、とだけ言う雨。何よりも見知らぬ人間と急に会うということが

     

     

     

    あやしいから、心のいたわりとしても機能のあるブログを書いて居る。客観的なことは自分で整理すればいい、と私は思う。

     

     

    だから、精神が伴っていないと私に何か言う相手を拒む権利があるし、自分が弱ければ「へへっ」と思う。

     

     

     

    拒否を理解することが、思いやりと精神だけど、

     

     

     

    それがないのに、はじめから受け手ではないのに、我などと言い出すのは肉の固まりで、

     

     

    まだまだ夢の中。

     

     

    「優劣、優劣、優劣、優劣、優、劣」と、どちらも睨み歩いて、目的を見る。

     

     

    偶然や縁が必ず前提で、悪意について学習したとき、

     

     

     

    中国人のもしマフィア的な人だって、昔から全員が美味しいように、肉の焼き方を思考している。

     

     

    それに比べたら、妥協点が低すぎる。

     

     

     

    美味しくない、そんな純粋な感想が、趣向のより高いゲテモノについて、物珍しさに酔うのは「物」としてよりかは、

     

     

    人生について。経験としてのエネルギー。それを明かす。

     

     

     

     

    奥行きはまたそれを生むときに光り、「バッタ、コオロギ、バッタ、コオロギ」見分けていく。

     

     

     

    ゲテは、素朴だから、貧しいから強い味があるんだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    許せないとおもって断絶なのかを受け取るのは自分にかかって、

     

     

     

     

    その精神があやふやで、

     

     

     

     

    それは単純に歳というものを知ってたり、それは上だからどうこうではなく

     

     

    そんな人にたいして含めた強さの理解力であったりする。

     

     

     

     

    強さの理解は、たった弱いと知ることで、力の外側に立つ。

     

     

     

     

     

    「強弱、強弱、強弱、強弱、強、弱」どちらも認めて、目的を行く。

     

     

     


     

     

     

     

     

     

     

    顔についてだって、

     

    感覚的に焦がれていることが、イコール興味がある、というわけではない。

     

     

    興味のある顔とは、もっと奥行きのある顔とは、理性を含有している。

     

     

    「顔がない」のは多い。

     

     

    顔とは、よく切り取った性的な対象として、浮いた、

     

    自分の事柄のすべてとして、浮いた

     

    そんなようではあるが、

     

    顔とは、身体なのだ。

     

     

     

     

     

    私の顔はすっかり空白に埋もれて居る。穴だらけだから、

     

     

    いやらしい。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    言わないこと

     

     

    ・優しさ

    ・縁がないこと

     

     

    自分と同一の、、と心の中は叫ぶ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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