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2020/09/29
かんがえたら止むこともあるが、乗り越えて行ける、しかしコロナは良くはないと思う。
・唐草となる前に
相手の「お里倫理」から導く「私の答え」として、一そうして目の(もとはとぼしい)色彩感覚を人間は増やして行くのかも知れない。と昔からある「相手」との対面、対話、こういった云わばほんまの休憩でしか叶わないんじゃないかと思います。
片一方は未来的志向「お里倫理」ですが、もう一人はお里倫理(相手の全て、其の)に対しての「私の答え(私のお里倫理)」。
感性の成長はネット文でも出来ますが、色彩は人間がもっているのは肌色一色で、触れ合いにより亜熱帯の動物たちに近づく、とまでは行きませんが日本人でいわば色相の豊かな(優しい)、それに自分を「戻す」事が出来る。柄もそれぞれ面白い形をしており、持ち分をパレットのようにして二人は記憶して行く。色とはここでは此の女にとっては形なんだ。そしてあなたたちは操ることのない、出来ない色彩を描きたいのだ。其れが自然体でありナチュラル(Natural/MINMI)であるから。纏めてみよう。
生(は)える黒色、栄える黒の散るか 枯らせぬかし、枯(から)し、ろりいた咲きに
(私の思う夢にはゴッホ「ひまわり」が御座います、少し残った黄色がゆうやけのようで、草(くさ)り、枯れる花弁に咲いたのだと描かれて。)
(何も)かんがえては居ない、苦しみを歌つたらめっきり貴方の思考から逸れ
輪廻よ、此様男から食われる体は枯れた果の末、松と云へば筆の、待つ筆に於く私の予想の宿六や、憂わしげ
私の詰まらなさ、食べる肉との病ひに、昆布を早々巻く次第であり、此れの花等わからぬ鼻の穴から、りんね、アルファ星と41番星とを入(い)てください、御花(おんばな)、
後ろを振り向かない事を「お里倫理」として、この事を「私の答え」として、一そうして目の(もとはとぼしい)色彩感覚を人間は増やして行くのかも知れない。それを対面、対話に実感するように取り戻して行く事は出来る。そして防弾服としての「私の詩」である。
読み始めたものに良い本がある。
「想像の世界を支配する論理をさぐる、蛸」
“このようにして、限定された一点に焦点をしぼって、想像の世界を支配する自然の傾向の存在をはっきりと見きわめるよう試みることである。”
しかしながら特殊な奇跡であっても、想像力を揺り動かさない場合には、その注目すべき種類の動物を恒久的な注意の対象として保っておくことも、人々に広く告げ知らせることも出来ないことは、はっきりしている。
「 空想の動物と動物学の動物を区分する事は容易でない。
(この方がそうだという場合、そうなんだぁとだけ聞く)
しかし、一角獣のような動物は、長い間自然科学の著作のなかで種別され、叙述してきた。十七世紀に出た動物要覧、たとえば、初めラテン語で書かれ、一六七八年に英語に訳されてロンドンに出版された、
ジョン-ジョンストンの一
実際に、一角と同じように、一角獣もありふれた動物だと考えられていたのである。さらに、一角の角が、一角獣の角として長いあいだ一般に通用していた。」
Ⅰ 古代地中海でのたこ
たこは特に選ばれた位置をしめている。
たこはほとんど抽象化されたものとなる。
ミュケーナイⅢ期以降になると吸盤は姿を消す。触腕は並外れて長く引き伸ばされ、くねくねと曲げられて、最後には、もはや唐草模様にすぎないものとなってしまう。
武士道シックスティーン
「あの、これはアルファの41番(アルファ星と41番星)やないっすか。大体にしといて下さいよ)(牡羊座の力が欲しいと云いました)」
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