揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 霊媒という体質

    前世巫女等だったひとは今世で幽霊をあつめる体質を持っていて、

     

    その中で天界の勉強をするカリキュラムがある。

     

    天より「これまでの自分の知」を使い果たし、この大霊界の思考を咲かせるのが仕事。

     

    現世で積み重ねてきた知識が、霊界の人とあるところでシンクロ、一致し、

     

    みんな一緒である、ということが素晴らしいのである。

     

    あくまで補助霊のもとで、こういうふうに祈りを繰り返して、繰り返しているうちに中には高級霊になっていかれる方もある。

     

    霊魂は上がるために訓練をしなければいけないらしい。

     

    それは身を削る程大変な作業である。私は自分の体質が嫌だったけど、よくその地の文化を教えて頂いたり、(私は文化が好きだから)龍や稲荷さんと出会うこともある。悪いことばかりじゃないと気付いた。

     

    霊界は豊かで、天界は厳しい。が、どちらも真面目な魂の研磨である。特に天の方から常にエンターテイメントに霊界を紹介してもらうので、楽しいものであるがとほほといったところもある。物事の善悪が剥き出しなのは、ここがそういう格調であるから。

     

    感謝をされていることを伝えてくれたり、私は現世人であるし、使われながらしばしば地獄を見つめているから、修行がた足りないせいで「気」が移り、物事を忘れかけたりしているところで、ふと天を思い出す。その記憶は段々強固になって、信じることが出来ているところ。

     

     

    「可哀想だけど、(この苦しみは)その人の掟」なんだと。

     

    いずれも、無闇に忘れることである。

    数々の心配事の為に生かされている、とは言えないけれど。

     

     

     

     

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  • 映画で見かけたアーティスト“様”と云う言葉について

    (では、仏とは?)

    (自分)は「居ない」も一緒です。

     

     

    おにみたいに知る所以(ゆえん)がない。心違えば言葉が一つ有る様に。違うその意味を大事に「思い」ます。

    (では、人)

    先輩を持ち、知れずに頑張る事かも。。私のポエジーはまるっきり人間で、だから私は詩を書くのが怖いのだと思う。その辺が若く、人は神が好きであり、そしてそういう人の部分から私(人)は嫉妬しているのだと思う。それを癒やすメディア、であるがよそに。メディアから受ける興奮を、自己認識で独りで解決すると人が温かくなる。そのアート(絵画、空間時間の芸術、音楽、など)を自分なりに「感じる」こともまた(私)の学びであるから、「誰」も何も云わない。

     

    こういうふうに、独りで立たされる時のみに

    ひとがその「アート」と一体になっているんだ、…ひとが「人間」を学ぶ…この時。そうやって丸くなっていく、(小さくなる、という意味に非ず。)

    嫉妬と云うのがこのように書く。

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  • …。

    「そんなにそこまで従事(じゅうじ)してあらへん、と、」云う事で、 キハラはそんなに私を持ち上げたいが為であるが、頭から自然体の心意気で此こまで生き延びて来たんです。人の云われることをよく聞いて、頑張ってください。下手でも良いとはレター教室(三島由紀夫)を読みましたが、上手く行かなくても良いと考えるキハラが、私に強い影響を与えました。

    「本人が忘れている」のだから全然私達には関係がない、と、揶白告げる。ここ今に熟考であるのだ、恐らく彼女の。素晴らしいわ、私の考えは違って居る。

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  • ただしく云う

    宜しくお願いします。

    隣壁(となりかべ)は厚い此、而も父母と云ふ。

    釈迦が其の母、例えば其の諸霊の背後に見えるが、光りはまたもや彼女自身であり、此の時ばかり釈迦で在り無ニ、親はいつまでも年上で、私は全く失う。どうかこの日から私が始まれば、病いなども失せて居るのに。只し、を正すと書いて此の人がその過去に及ぶ、供養と為ります故。

    何となしに自分が乗り越えて行く何処へか。

     

    友人へ、どうかのんきのままで(私が、あなたが)居ます様に。 どうかのんきのままでこれに於いてわたしは。

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  • 恩(お)ぼへ

    私の隣の壁は厚い

    ここから書いたが、ここから書くことに

    その後「あらゆる釈迦」に守ってもらえるよう伝えて、このように

    自分がわかってくる、自己理解をする、

    母親に手を合わせれるわけがない。と云うことだ。

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