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2021/11/25
「誰かに」 わたしは、自己を伝えよう。
良い事は、これからも考えて続けて行くが、
覚えることの出来ないこともあると知れ、
好き と云う責任には、傷付きたいもので有る。
その限りは、終わりなど来ないが、もう戻れないので有る。
こんな事を以前大澤が云っていた。
「ほんまに良い映画って云うのは、少し面白くて、少しかなしいねん。」
振り返らないとは、過去を捨てるのではなしに、
今とは過去の蓄積か連続で有る。
こうして上に積み立てる事が出来る。
何かを無理に「してくれた」と思うのじゃなく、
自発的に頑張った、とそのままの事だけが「けじめ」になる。
本当にすっきりした。
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2021/11/25
理不尽なことがあって、口がもごもごする。
感情は火を噴いて居る。
云いたい事が心にあふれているが、
詩情とは、生活であり、宇宙であり、心であり、霊だから、
かゆいと思うのも生活としての詩情なのだが、
何か嫌なものを自分で弾く潤いとは、
あらゆる愛着なのだ。愛情は、時間と過ごすのだ。
心読は、心理学とは違い、悉くそれを除けて居る。
老人の様に、自分の葉が、ふさっと有るならそれを見てゆけて、
三十、四十、と若いうちに新しい芽を増やしたい、
と、思ったら書き続ける。
お能の「花」は、七十で有るのだから。
霊とは、「見えない」と書きます。
昔よく聞いて居た「アゲアゲ」とは、霊格のアップのことだった事に気付いたのが、
クラブに街に出るようになって気持ちまで明るくなって来た、良い音楽のお陰だ。
何でも聴いて居た。「良い音楽を聴きなさいよ。」と、口をすっぱくして、お兄さんがクラブで
美しいレコードをかける間中、全員に語って居た。
それを聞いて居たが、「好きな人」や、「悪い音楽」の存在を知らなかったので、大人(お兄さん)の云う事を無理解にして、
飛んだり、跳ねたりのラクなダイエットを評価して居る事が、
孤独を守れたり、茶を呑んだり、自分の暗い一室を閉ざす事が出来て居たのだった。
お兄さんは、「恥を知りなさいよ。」とも云って居た。
自分に失念したのちのそれは養い方の為で有るが、学校の先生も、「最近の子は喋らんね。」と云う。
テープやCDばかりを聴いて居たのだった。それを「上品」だとか気を使って、回議にたいしてはそっと触れる先生。
私は東大阪のアクイースと云う、クラブでキャッシャーをしていたのが高校生を卒業してからだ。
とんでもなくかっこいい仕事だ。
イベントに人が来なかったら来ないで、部屋から太鼓を取り出して来て、オリジナルの歌を歌ってくれ
毎日笑って居た。
「かっこいい人、もの」のことをいつも考え、
私が、大人になって、大人の云う事が聞こえて来る頃、
とは、ようやく「自分の面」というものが咲いてきた、外の世界をまに受けるのである。
それでも経験が有るから、「育ち」としての楽しさを幾つも見出す。
「初めまして。」と“DJ”と挨拶を交わしたのだ。
「雨が降る」ことを知覚して、足(ペン)をのばして、発達するのはやはりこの時期だ。
音楽から連想される宗教のカンジとは、それとはまったく逆の対比された「弱さ」なのだ。
哀しいことを哀しいと云い、思い、そうやって立ち受ける、ということをきっかり受容する。
幸せとか、天使の輪とか、かえってこれを舐めて居る。「アガル」とは、海の世界、森のセカイで、
水として存在している感情の忘却をする事では無いんだ。即身成仏を叶える人も居るが、
寂しいとか感じるときにこそ、上手く弾くことの出来た笑顔の、
この地面との抵抗力の大きさが、重力になって人を集める。
空は、下に居る人間にとっては鳥の領域で有る、こういった箱を、
どのように解体するか? と、感じて居る仲俣さんの本で有るが、
一ページ読むのを、10分費やして居た。楽し過ぎて読むのを惜しんだので、どんな内容だったかは覚えて居ないが、
「僕が僕」でオリジナルなら精神力、即ち「知」を付けることに、上手く地人(ちじん)と繋がれる。天がすべれると云うことなのだ。
天地は、最も立体的なはなしなのだが、
空や海は、所詮この地にたいして箱の中の天井部分。
弱かった私が、弱かった私を今も呼んで居る。 記憶の円環が球体なので有る。データ数値とは異なった感情を、重しめて自分を浮かべる。 弱さとは、他人の弱さを踏み台にして強いと思ったまま成長しても、帰線を描けないことだ。
私はもっと強くなりたい。
いづれも原因は、肉体と霊が同一でない、べつだからだ。。
自分は問題に取り掛かるが、花こそを伸ばしているうちに、原因のほうは消えてくれる。
「咲かない花」をまだ抱えさせられて。
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