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2012/02/18
熱気球のゴンドラに乗って
僕は雲ひとつない大空に浮き上がった。
バーナーの炎に熱せられ、
青色のエンベロープが小さな地球みたいに膨らんでいる。
熱気球操縦士技能証を習得して、最初の単独フライト。
しっかり浮遊許可の届けも出した。
どこにも邪魔者はいない。
バスケットとも呼ぶ籐製のゴンドラは、
燃料の入ったシリンダーの他、荷物も多くて狭苦しい。
けれど、ここからの眺めは広大無辺。
もう最高!
熱気球は風まかせ。
ただし、風向きは高度によって変わる。
さらに上昇。
高度計の針がゆっくり目盛を刻む。
高い上昇率を示し、バリオメーターが高い音を鳴らす。
さあ、僕の風を迎えに行こう!
2012/02/16
生家には大きな振り子時計があった。
小さな子なら入り込めるほど大きかった。
観音開きの扉を開け、時計の奥に潜り込む。
ただし途中、振り子に触れてはならない。
振り子が左右どちらかに寄った瞬間を狙う。
もし振り子に触れたら、気が狂ってしまう。
そのように祖母におどされていた。
僕など、振り子に何度触れたかわからない。
兄もそうだ。
でも、兄は本当に狂ってしまった。
兄の場合、振り子を止めてしまったのだ。
止まった時計の奥、膝を抱えた兄の姿。
もう兄は一言も喋れなくなっていた。
それが偶然だったのかどうか
僕にはわからない。
当然だが、すぐに振り子時計は壊された。
その直後、迷信好きの祖母は倒れ、
最期まで振り子時計の祟りを信じたまま亡くなった。
それから色々なことがあったけど、
高校を卒業すると、僕はすぐに上京した。
都会でのひとり暮らしは楽ではなかった。
友人もできず、孤独な毎日だった。
それでも、やがて僕にも恋人ができた。
恋人は、あの振り子を連想させた。
あちらへ揺れ、こちらに揺れ、
暗い観音開きの扉の中で揺れ続け、
触れると気が狂ってしまうような少女。
でも、彼女の体に触れるくらいなら大丈夫。
僕など、彼女に何度触れたかわからない。
揺れる振り子を止めなければいい。
振り子時計を壊したりしなければいい。
(つまり、彼女と別れなければいいんだ)
そんなふうに、僕は単純に考えていた。
ところが、ある日突然、
彼女が消えてしまった。
なんの予告もなく、置手紙すらなかった。
彼女の服も靴も持ち物も、みんな消えていた。
僕と一緒に撮った写真まで消えていた。
はじめから恋人なんかいないみたいだった。
僕は膝を抱えて床にうずくまった。
その姿は、あの古時計の奥にいた兄と同じ。
目を閉じると、振り子が見える。
目に見えない時を刻み続ける振り子。
暗い扉の中で左右に揺れ続ける振り子。
この振り子を止めてはならない。
もし止めたら、気が狂ってしまう。
僕はうずくまったまま、そう思った。
おそらく迷信に過ぎないのだろう。
だけど今でも僕は
そう思っている。
2012/02/15
笹の葉を
折って切って
切って挿し
折って切って
切って挿し
お舟できたら
川に浮かべて
流すだけ
うまく浮かべば
よいけれど
どこまで流れて
ゆくのやら
2012/02/14
私は宇宙飛行士。
カモメではない。
地球周回軌道上の有人人工衛星
いわゆる宇宙ステーションの中にいる。
現在、私の生活空間は、ほぼ静止しており
ぼんやりと風船みたいに赤道上空に浮かんでいる。
無重力に浮遊しながら、私は考える。
まったく、こんなところで
いったい私は何をやっているのだろう。
互いに等速度で運動する慣性系において
光源の運動状態に係らず光速は一定であるという。
しかしながら、わずかなりとも光にはエネルギーがある。
だからおそらく、エネルギーのない光のようなもの
そのように仮想される何かの速度が一定なのだろう。
そしてそれは、この宇宙そのものの性質や状態を
表さないまでも暗示しているに違いない。
さらにまた考える。
ある瞬間とそれに続くように感じられる次の瞬間との間に
もし仮に切れ目のようなものがあったとする。
さて、その場合、その時間の隙間のようなものを
私たちが感じる、または計測することは可能だろうか。
時間とはなんだろう。
そもそも、宇宙とはなんだろう。
また、なぜこんな宇宙があるのだろう。
もし意識できなければ
私たちは宇宙の存在に気づきもしない。
ならば、意識できない宇宙も存在するのだろうか。
いつ、どこに・・・・
こんなどこでもないところにいると
こんなとりとめもないことばかり考えてしまう。
私ハ クラゲ
海ガ ワカンナイ
2012/02/13
私は「核の申し子」なのだそうだ。
この高原には、あの大国の
核廃棄物の処理場が多く点在している。
私が生まれ育った土地の近くにもそれがあり、
私の声が人と違うのは、そのせいだと言うのだ。
甲状腺異常だ、と。
子どもが大気中の放射性ヨウ素を吸い込むと
甲状腺の異常が多発するらしい。
甲状腺は喉のあたりにあり、
蝶が翅を広げたような形をしている。
甲状腺では、ヨウ素を材料として
発育や新陳代謝などに欠かせない甲状腺ホルモンを作る。
そして、成長期にある子どもの甲状腺は
特にヨウ素を吸収しやすい、という。
近くの核廃棄物の処理場から実際に
放射性ヨウ素が大気中へ放出されたのかどうか、
私は知らない。
でも、私の声が人並みでないのは、事実だ。
私の声は、この世界最大の高原の端から端まで届く。
世界一高い山脈を越えて渡るアネハヅルの群を
呼び寄せることだってできる。
私の歌声だけで
大規模な暴動を治めたことさえある。
神はいないかもしれない。
でも、核はある。
ならば、核の申し子として死ぬまで
私は歌い続けたい、と思う。
2012/02/11
弓道の基本動作に「射法八節」がある。
足踏み:的に向かって両足を踏み開く。
胴造り:両脚の上に上体を安静に置く。
弓構え:矢を番えて弓を引く前の構え。
打起し:弓矢を持った両拳を上に持ち上げる。
引分け:弓を押し弦を引き、両拳を開きながら引き下ろす。
会(かい):弓を引き切り、矢は的を狙う。
離れ:矢を放つ。
残心:矢が放たれた後の姿勢。
そうやって射たのだが、また的を外してしまった。
「お嬢様。いい加減になさいませ」
婆やが私をたしなめる。
「これで五人目でございますよ」
今日だけで、私への求婚者が五人も亡くなったのだ。
求婚者は正座させられ、頭頂にリンゴを載せられ、
その的の置台になってもらう。
途中で逃げたり、リンゴを落としたりしたら、失格。
甲矢と乙矢の二本一組で一手というが、その一手二射で
私がリンゴを射抜くことができたら、合格。
リンゴが射抜かれず、かつ勇気と恋心と命が残っておれば、
再度挑戦のための順番を待つことになる。
あまりに前近代的な仕組みであるが、仕方ない。
これが我が総領家の婿選びの儀式なのだ。
私は目を閉じ、再び射位に立つ。
射法八節。
(・・・・・・今度こそ!)
2012/02/10
私の心は海の底
大きな貝の殻の中
もしも朝日が射したなら
真珠色に輝いて
うっとりさせて見せようものを
なかなかに
貝の殻は開かない
ましてや
海の底なれば
2012/02/09
どこかにある古い館。
あなたが玄関のドアノブを叩くと、
執事らしき男が嬉しそうに出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。お持ちしておりました」
長い廊下を渡り、
あなたは広い居間に通される。
「ここでしばらくお待ちください」
居間の壁には大きな肖像画が飾ってある。
おそらく、この館の主の肖像。
あなたは、それが自分の顔に似ていることに気づく。
あるいは血の繋がりがあるのかもしれない。
あなたは思い出せない。
この館を訪れた理由さえも。
しばらくすると、
さきほどの執事が私服に着替えて戻ってくる。
「そのうち主はお帰りになるはずです」
壁の肖像画を見上げ、感慨深げな表情。
「では、これで私は失礼いたします」
そのまま男は館を出て行ってしまう。
時は流れずに淀(よど)み、
いつまで待っても主は戻らない。
あなたは館の中を歩きまわる。
あなたの他に誰もいない。
居間に戻ると、壁の肖像画が微笑んでいる。
最早、あなたの顔とは似ても似つかない。
あなたは執事の部屋を見つけると、
ハンガーに掛けてあった執事の服に着替える。
あなたは主の帰りを待ち続ける。
与えられた執事の仕事をこなしながら
なんの疑いも持たず、
いつまでもいつまでも。
2012/02/08
お医者さんごっこをするというので
タケシ君の家に僕たちは集まったんだけど、
なんだか話が違っていた。
「さて、具合はどうですか?」
「ちょっとオナカが痛むんです」
「そうですか。では、診察しましょう。
まず、服を脱いでください」
「はい、センセ」
タケシ君はいつものようにミヨちゃんを診察する。
僕はミヨちゃんが好きだから
ミヨちゃんを診察したかったんだけど、
タケシ君もミヨちゃんが好きで
タケシ君は僕より年上で力も強いから
僕はミヨちゃんの担当医になることができない。
それならそれで僕は
タケシ君の助手でも看護師でもかまわないというのに
もうひとりの女の子のチーちゃんがいて
僕はチーちゃんの相手をしなければならないのだった。
僕はチーちゃんが苦手だ。
ちょっと気が強い。
それに、なぜかチーちゃんは患者になりたがらない。
「あたし、女医をやりたい」
「えー。それ、おかしいよ」
「おかしくないよ」
「だって、お医者さんごっこなんだよ」
「女医さんごっこだっていいじゃない」
「そりゃまあ、そうだけど・・・・・・」
チーちゃんが怖い顔をする。
実際、チーちゃんが本気で怒るとちょっと怖い。
僕は聴診器をチーちゃんに手渡した。
白衣も脱いで渡した。
席も交代しなければならなかった。
タケシ君のお父さんは本物のお医者さんなので
僕たちの使う医療器具は、みんな本物。
僕たちのお医者さんごっこは、なかなか本格的なのだ。
「さて、おカゲンはいかが?」
「どこも悪くないです」
「どこも悪くないのに、どうしてここに来たの」
「あの、ちょっと居心地が悪くて・・・・・・」
僕はイスの上で、腰のあたりをムズムズさせて見せた。
「それはいけませんね。では、診察しましょう」
「えー。いいですよ」
「良くありません!
命にかかわるかもしれないんですよ」
「ま、まさか」
僕はちょっと気が弱いのだ。
チーちゃんは一番大きな注射器を手に取った。
「さあ。 半ズボンとパンツを脱いで
センセにお尻を見せなさい!」
2012/02/07
あの事件の真相を申しあげます。
当時、あの事件は世間を大いに騒がせました。
そもそも事件そのものが異常でした。
あまりに異常なので、これは事件ではないのではないか、
という意見すらあったほどです。
しかし、あまりに話題になってしまったため、
いまさら事件でない、とは言えなくなったのです。
そういうわけで事件として扱われましたが、
じつは、あれは事件でもなんでもなかったのです。
ただの噂でした。
そういうことが起こりそうだ、という予感。
そういうことが起こったら嫌だな、という気分。
そういうことが起こったのではないか、という憶測。
そういうことが起こっても不思議ではない、という確信。
そして、そういうことが起こってしまった、という妄想。
その噂になんらかの価値を見出した者たちが
まるで噂ではなく事実であるかのように広めたのです。
その判断基準は、それが事実かどうかではなく、
面白いかどうかの興味本位だったはずです。
なぜなら、なんら証拠もないのに
あれほど話題になり、事件にさえなったのですから。
派生的な結果として、死者が出る事態になりました。
しかし、たとえまったくなにも起こらないとしても
ある一定の割合で死者は自然発生するものです。
そのような確率的な現象を因果的必然と同一視する危険性は
現代人が回避せねばならない常識のはずです。
なにはともあれ、ただの噂は事件として仕立て上げられ、
異常な事件として処理されてしまいました。
これが事件の真相です。
つまり、なにもなかったのです。