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  • そこにいない

    2017/01/18

    切ない話

    ふと思い出してしまう。

     

    あの夜、僕は電子ピアノを弾いていた。

    いつものデタラメな即興演奏。

     

    店内は真っ暗闇。

    ただし、入口の鍵は閉めていない。

     

    約束も何もしていないけれど 

    君が来るのを待ちながら弾いていた。

     

    外は土砂降りの雨だった。

    雷鳴さえ聞こえた。

     

    僕はいつまでも弾き続けた。

    なのに君は来なかった。

     

     

    翌朝、君から教えてもらった。 

    消灯していたから諦めたのだ、と。

     

    その心配はしていた。

    でも、明るい店内では待てなかった。

     

    あんな土砂降りの雷雨の夜に 

    ひとりきりでは・・・・

     

     

    やはり思い出してしまう。

     

    偶然の素敵なメロディが生まれた瞬間に 

    君はそこにいなかった。

     

    あの狂おしいまでに寂しかった夜に 

    君はそこにいなかった。

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  • モグラの問題

    2016/09/15

    切ない話

    見えないことが問題ではない。

     

    ずっと昔、決断してしまったのだ。

    見えなくなってもいい、と。

     

    深海魚だって同じ決断をした。

    そんなことはどうでもいいのだ、今さら。

     

    問題は地中生活が難しくなったこと。

     

    どうにも掘れないような硬い土が増えた。

    そのため獲物が極端に減った。

     

    路頭に迷うとはこのこと。

    唇もないのに、唇がさびしい。

     

    まったくもって、さびしいばかり。

     

    土の中で餓死しても、誰も気づくまい。

    ひっそり柔らかい土になるだけだ。

     

    ああ、空腹で目まいがしてきた。

    ほとんど見えないのに不思議なこと。

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  • 猫の魔法瓶

    2016/08/06

    切ない話

    ある寒い冬の夜、ある交差点において 

    大型トラックの窓から魔法瓶が捨てられた。

     

    それを拾ったのはホームレスの乞食。

    魔法瓶が欲しかったのだ。

     

    乞食が栓を抜くと 魔法瓶の中から仔猫が出てきた。

     

    なんということはない。

    魔法瓶ごと捨て猫だったのだ。

     

    乞食には猫を飼うつもりなどない。

    むしろ猫に飼われたいくらいだった。

     

    でも、コンビニのゴミ箱から拾った残飯をやると 

    仔猫は乞食から離れなくなった。

     

    寄り添う痩せた仔猫のために 

    善良なる通行人たちは乞食に小銭を投げた。

     

    仔猫はときどき信号機を見上げたものだ。

    赤青、赤青、赤青・・・・繰り返す。

     

    乞食の体が冷たくなった朝、

    いつまでも仔猫は鳴いていた。

     

    乞食の亡骸は持ち去られ 

    形見の魔法瓶は処分された。

     

    そして、その交差点に 

    もう仔猫の姿を見かけることはなくなった。

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  • 四幕の劇

    2016/06/24

    切ない話

    【 第一幕 】

     

    彼は、若い浮浪者を演じていた。

    破れた衣装、汚れた手足、怯えた顔、初恋。 

     

     

    【 第二幕 】

     

    彼は、凄腕の泥棒を演じていた。

    猫の眼、犬の脚、兎の耳、金庫の扉、銃声。 

     

     

    【 第三幕 】

     

    彼は、退屈な富豪を演じていた。

    広大な庭園、白亜の大邸宅、跪く女、再会。 

     

     

    【 第四幕 】

     

    彼は、老いた浮浪者を演じていた。

    破れた衣装、汚れた手足、怯えた顔、失恋。

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  • 紙ヒコーキの手紙

    2016/06/22

    切ない話

    初めまして。

     

    まず、ありがとうございます。

    これを拾ってくださって。

     

    そして謝ります。

    なんと言っても、ゴミの不法投キですものね。

     

    さらに開いて読んでもらえたら、とても嬉しいな。

     

    この手紙を書き終えたら、ヒコーキの形に折って 

    どこか高いところから飛ばしてみるつもりです。

     

    だけど内容ありません。

    なにしろ頭ん中、紙ヒコーキ並みにカラッポなんで。

     

    ホント、なんにもないんです。

    才能もないし、運もない。

     

    いえいえ、ケンソンなんてとんでもない。

     

    若いのに人生の目標もないんですよ。

    身を投げる勇気もないし、そんなことする意味も浮かばない。

     

    それで紙ヒコーキでも飛ばしてみようかな、と。

    私の身代わりに。

     

    なんてね。

    テキトーな夢見てます。

     

    それはともかくです。 

    近くの高いところを見上げたら、まだ私がいるかも。

     

    では発進。

    もし見つけたら、よろしくね。

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  • 珍しい生き物

    2016/06/01

    切ない話

    珍しい生き物を見たくないかい? 

     

    その変な鳴き声とか 

    その特有の匂いとか 

     

     

    えっ? 

    興味ないの? 

     

     

    ふーん 

    そうなんだ 

     

    よく知っているものにしか 

    心が動かないんだ 

     

     

    ううん 

    ちょっと意外だっただけ 

     

    それに

     

    その生き物が 

    ちょっとかわいそうな気がするだけ

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  • 袋の鼠

    2016/03/14

    切ない話

     

    飼っていた鼠を一匹、紙袋に入れたまま 

    駐輪場の自転車の前カゴの中に置き忘れてしまった。

     

    曇りか、まだしも雪でも降れば良かったのだろう。

    真冬に晴れたものだから、昨夜はひどく冷え込んだ。

     

    翌朝、紙袋の中で、鼠は凍死していた。

     

    もうカチカチで、完全に凍っていた。

    丸くなって、陶器の置物みたいだった。

     

     

    どうして逃げようとしなかったんだろう。

     

    こんな紙袋、破るのは簡単なはずなのに。

    普段なら段ボールだって穴あけちゃうくせに。

     

     

    もし僕が鼠の立場だったら、どうだろう。

     

    紙袋の中で、ひとりぼっち。

    いくら待っても誰も来てくれない。

     

    すっかり忘れられてしまったらしい。

     

    ものすごく寒い。

    寒くてしかたない。

     

     

    そうだ。

    やっぱり寒かったからだ。

     

    こんな薄っぺらな紙袋の中でも 

    外にいるより寒くない。

     

    袋の中の鼠には袋がとてもありがたく感じられて 

    とても破ることができなかったんだ。

     

    あまりにも寒すぎたから、昨夜は。

    それで逃げようともしなかったんだ、きっと。

     

    どこにも逃げるところがなかったんだ。

    それで、そのまま凍え死んだんだ。

     

    こんな誰もいない寂しいところに 

    うっかり僕が置き忘れてしまったものだから。

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  • 粘土の恋人

    2016/01/29

    切ない話

    とても美しい恋人がいる。

     

    誕生日にプレゼントするため  

    彼女そっくりの人形を作るつもり。

     

    きっと彼女は喜んでくれるはず。

     

    「どうして、そんな目で私を見るの?」

    「だって、君がきれいだから」

     

    驚かせるため、本人には秘密。

    こっそり制作を続けた。

     

    誕生日の前夜、ほぼ完成。

    彩色もして、本物そっくり。

     

    恋人の等身大の粘土の人形。

     

    乳首の形を修正していたら 

    背中に鋭い痛み。

     

    振り返ると、鬼のような憎しみの目。

     

    恋人が立っていた。

    手には血まみれの包丁。

     

    とんでもない勘違い。

    人形なのに、馬鹿みたい。

     

    意識が薄れてゆく。

     

    受け止めてくれるのは 

    粘土の恋人のやわらかな胸。

     

     

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  • 段ボール箱

    2015/12/23

    切ない話

    彼女は段ボール箱なのだった。

     

    宅配便とかで届いた荷物の梱包材を捨てもせず 

    部屋の片隅に溜めておいたら、生まれてしまったのだ。

     

    「困るなあ」

    僕が呟くと 

     

    「そうよね。困るわよね」

    波状の断面をゆがめ、彼女は悲しげな顔をした。

     

    途端に心がざわつく。

    「いやいや。早く処分しなかった僕が悪いんだけどね」

     

    しかし、このままにしてもおけない。

    なんとかしなければ。

     

    とりあえず、彼女の素材の段ボールについて調べてみた。

     

    19世紀イギリスにおいて、当時流行していたシルクハットの

    内側の汗を吸い取るために開発されたのだそうだ。

     

    また、腐食性ガスがわずかながら発生するので 

    電子部品の長期保存には向かないとのこと。

     

    由緒あるのはかまわないが、腐食性はいただけないな。

     

    「あの、私、出ていきます」

    僕の心を読んだのか、彼女の方から申し出てくれた。

     

    「そうかい。悪いね。そうしてもらえると助かるな」

    彼女のために玄関ドアを開けてやる。

     

    「大丈夫かい?」

    「・・・・大丈夫です」

     

    「段ボール箱だもんね」

    「ええ。段ボール箱ですから」

     

    そうして段ボール箱の彼女は出ていった。

     

    見送るために庭に出て、僕は曇り空を見上げる。

    雨が降っていないのが、せめてもの幸いだ。

     

     

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  • カオルちゃん

    2015/12/11

    切ない話

    カオルちゃんが教会でオルガンを弾いています。

    その美しい調べは聴衆をウットリさせます。
    この曲は小さなカオルちゃんが自分で作りました。

    カオルちゃんはうまく喋れません。
    学校にも通えないくらいです。

    でも、音楽の才能はたいしたものです。

    どんな曲も一度聞くだけで演奏できます。
    それも完璧に。

    文字は書けませんが、楽譜は書けるのです。
    その小さな手で一生懸命に。

    楽譜も録音も膨大な量になりますが 
    どれも素晴らしく、どれも捨てられません。

    そう言えば、カオルちゃんは捨て子でした。
    この教会のこのオルガンの前で泣いていたのです。

    この教会で育ち、この教会で大人になり 
    やがて、この教会で老いてゆくはずです。

    カオルちゃんの音楽はいったいなんなのでしょう。
    あるいは、天使の歌が聞こえるのでしょうか。

     

     

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