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  • 幽霊の作り方

    2016/01/04

    論 説

    現実には存在しないはずなのに 

    その存在を意識させるものを「幽霊」とする。

     

     

    道化師がパントマイムで壁を撫でる動作をすると、観客は

    存在しないはずの壁があたかも目の前にあるかのように感じる。

     

    同じくドアを開ける動作をすれば 

    見えないはずなのにドアが開いたような気がする。

     

    つまり、観客は「壁」や「ドア」の幽霊を見たわけである。

     

    この現象を応用すれば 

    いろいろな幽霊を手軽に作ることができる。

     

    パントマイムを練習する必要はない。

    パントマイムをする道化師と同じ意識を持てばいいわけである。

     

    存在しないものをそこに存在するかのように意識する意識である。

    「存在感」の感受性を意識的に増幅することかもしれない。

     

    亡くなって数十年経っても話題になる人物なら 

    ほとんどそのまま幽霊である。

     

    人に話しかけるようにペットに話しかける飼主を見かけるが 

    あれは人の言葉を理解できるペットという幽霊に対して 

    意識的または習慣的に話しかけているのだろう。

     

    鏡の前で化粧に余念のない婦人は 

    もっと美しいはずの自分の姿という幽霊を 

    願望とともに鏡の向こうに見ようとしているのかもしれない。

     

    または、相思相愛のアイドルの幽霊が頭から離れず 

    その幽霊と授業中にデートを楽しむ男子高校生とか。

     

    さらに、UFOを見た人たちは、見上げる大空に 

    空飛ぶ異星人の乗り物の幽霊を意識したのではなかろうか。

     

    そして、画家はキャンバスの中に「理想の美」なる幽霊を見る。

     

     

    ・・・・いや、違う。

     

    むしろ我々は、幽霊しか見えていないのであろう。

    ほとんど実体のようにしか見えない幽霊を。

     

    だから、身近にいても存在感のない人の場合 

    たとえ怨みながら死んでも、まず幽霊にはなれまい。

     

     

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  • 切腹の作法

    2015/12/16

    論 説

    切腹には作法というものがある。

    切腹する人を切腹人、これに付き添い切腹人の首を切り落とし 
    検視役に首を見せるなど、切腹の補助を行う者を介錯人と呼ぶ。

    腹部を切り裂いただけでは死に至るまでに時間がかかり 
    非常な苦痛を強いるため、通常は 
    介錯人が切腹直後に介錯を実行する。

    切腹の際の腹の切り方は、腹を一文字に切る「一文字腹」 
    さらに縦にみぞおちからへそ下まで切り下げる
    「十文字腹」が望ましいとされた。

    しかしながら、体力的に実行は難しく、介錯人がいない場合 
    喉を突いて絶命することが多かったそうである。

    切腹人は、検視役に黙礼し、右から肌脱ぎする。
    左手で刀を取り、右手を添えて押し頂いてから右手に持ち替える。

    左手で三度腹を押し撫で 
    へそを避けた高さに左から刀を突き立てる。

    切腹人が刀を引き回す頃合いで、介錯人は首を皮一枚残して斬る。
    皮一枚残して斬ることを「抱き首」といい 
    こう斬るのが礼儀とされた。

    抱き首の形にするのは、首が飛んで落ち 
    土砂で汚れるのを防ぐため。
    または「身体を分割するは親不孝」との儒教思想の影響があるため。

    あるいは 
    「討ち死には敵に頭を向ける前のめりの形が美しい」とされ 
    胸にぶら下がる首の重みで体を前に倒すためともいう。

    ただし、切腹人があえて首を切断することを希望する場合もあり 
    必ずしも抱き首にしなければならないということはなかった。

    首を一刀で切り落とすのは剣術に長けた者でないと勤まらず 
    下手な介錯ではしくじっては何度も斬りつける事態になりかねない。

    介錯人は預かり人の家中の者が務める建前になっていたため 
    介錯の失敗は武術不心得として預かり人の家の恥とされた。

    そこで、家中に腕の立つ者なければ 
    他家から人を借りることもあった。

    江戸時代中期には切腹自体も形式的なものとなり 
    短刀でなく扇子を置き、それに手をかけんとした瞬間に 
    介錯人が首を落とす方法が一般的となる。

    なお、平穏な江戸時代には 
    どうしても腹を切れぬ武士も少なからずおり、そのため 
    切腹ならぬ「一服」という服毒自殺の方法も用意されていた。


    以上、Wikipedia「切腹」より編集引用。

    自殺および自殺幇助の作法まであるとは、じつに日本的。
    つくづくパターン化するのが好きな国民である。

     

     

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  • 存在理由

    2015/12/07

    論 説

     「なぜ宇宙はあるのですか?」

     「神様が創造したのさ」

     

     「では、なぜ神様はいるのですか?」

     「神様の神様が創造したのさ」

     

     

    そもそも存在するものの存在理由など存在するのだろうか。

     

    仮に、まったく何も存在しないとすれば、当然ながら 

    「なぜ何も存在しないのか」などと問う者も存在しない。

     

    しかしながら、存在するものの存在理由を求めるとすれば 

    このまったくの非存在から導かれなければならないはずである。

     

    でなければ、ほんのわずかにせよ何事か存在することになり 

    さらにその存在理由を問わねばならなくなるから。

     

    従って、存在するものの存在理由を求めるとすれば 

    どんな理由も存在しないはずの非存在から 

    存在理由を導かねばならない。

     

    つまり、すでに矛盾している。

    矛盾した問いに対しては神様であろうと答えられるはずもない。

     

    どうやら存在するものの存在理由など 

    どこにもなさそうである。

     

    いくら死体を解剖しても「死」が見つからないように。

    あるいは、いくら恋人を責めても「恋」が抽出できないように。

     

    なので、こと「存在」に関しては 

    どうも因果律が破綻しているように思える。

     

    せいぜい我々は、我々が我々であるから我々であるように 

    こうして現に存在しているのだから存在する 

    としか言えないのではなかろうか。

     

    もし反論あるとしても、次の瞬間 

    パッと消えてしまわないとも限らないのだから。

     

     

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  • 回覧板

    2015/11/30

    論 説

    外国には回覧板のようなものはなく、日本だけのようだ。
    そもそも町内会みたいな自治会もないらしい。

    調べてみると、どちらも日中戦争の頃から始まった、とある。
    上意下達じょういかたつの有効な手段なのだろう。

    しかし、はっきり言って、回覧するまでもない内容が多い。
    まるで、回覧板があるから回覧物があるみたいに。

    マンション自主管理組合の理事長をさせられているので 
    自動的に町会の班長もさせられている。

    それで町会から定期的に回覧物が届けられ 
    それをいくつかの回覧板に振り分けることになる。

    各棟の掲示板に貼って済ますこともあるが 
    問題になりそうもない連絡事項なら、あえてまわさない。

    それが問題にならないとも限らないが、そもそも 
    どうでもよさそうな情報をまわすことが、すでに問題なのだ。

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  • 中略の多い報告書

    2015/11/24

    論 説

    我が国における低反発性青少年の実態調査の結果を報告いたします。
    (中略) 
    たとえ理不尽な内容であったとしても、さして抵抗する様子もなく目上の指示に従う若者が多い、という声を耳にし、また個人的な実感として意識もいたします。
    (中略) 
    過去の文献を調べましたところ、このような傾向は最近になって始まったわけではなく、近年でもなく、時代背景によって多少の差はあるものの、記録に残っている限り昔から指摘されておるようです。
    (中略) 
    社会的環境に対する依存性が高い状況においては、現状の人間関係を損なうわけにもいかず、唯々諾々と目先の部分的なシステムの強化と維持を担う他ありません。
    (中略) 
    このような状況下において、グローバル化は我が国固有の排他システムを根本から覆す選択であり、許容限度を超えた場合、システムの維持、さらにはその存続すら危ぶまれます。
    (中略) 
    なんらかの痛みを伴うのは当然とは言え、修復や改善の見込みもない改革路線を目上の立場から指示するのは、高反発性青少年の少なからぬ増加が懸念されることもあり、いかがなものかと考えます。
    (中略) 
    まことに簡略ではありますが、報告は以上です。

     

     

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  • 墓は建てるな

    2015/11/14

    論 説

    お盆になる。
    帰省せにゃならぬ。

    先祖の墓がある。
    墓参りせにゃならぬ。

    横断歩道があるから 
    そこを渡らねばならぬ、みたいに。


    たとえ車道にクルマの影も形も見えずとも
    横断歩道と信号機あらば 

    世間の目が気になって
    信号を無視してまで渡りにくい。


    世間の目なんぞ気にせにゃ良さそなもんだが 
    この閉ざされた島国では気にせぬわけにもいかぬ。

    たとえ良い子のお遊戯とわかっていても 
    おのが善良で誠実であることを示し続けねばならぬ。

    世間の態度とかムードとか付き合いとか 
    あとあと響いてきて居たたまれなくなる 

    と、直感してしまうからだ。


    だから、言いたい。
    「これ見よがしな信号機や墓は建てるな」と。

    しかし、それすら咎とがめられるのだ。
    おのが善良さと誠実さとを世間に示したいがため。


    外国との戦争、もし再び起こらば 
    やはりまた同様な結果になるのではなかろうか。

     

     

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  • 分別ある分別を

    2015/11/10

    論 説

    人間は同質でもなければ平等でもない。
    だから、関係する相手を分類せにゃならぬ。

    実際、それぞれ人は、それぞれの経験や心情により 
    それぞれの基準で相手を区別しているはず。

    好きな人がいて嫌いな人がいる。
    役立つ人がいて迷惑な人がいる。

    老若男女、貧富の差、貢献度。
    会社組織には上司がいて部下がいる。

    それらは便宜上の役割り分担かもしれないが 
    むしろ思考停止の平等主義こそ便宜的と言える。

    分類基準を波風立てずに統一できないため 
    とりあえず無難な無策対応をしているだけ。


    ゴミの分別もできない無分別な人は 
    勝手に処分できないだけにゴミより始末に困る。

    共同ゴミ置き場のゴミの出し方を見て 
    そんなことを思った。

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  • 声援が聞こえる

    2015/10/31

    論 説

    休日のお昼近く、近所の運動公園から声援が聞こえる。

    おそらくサッカーの試合でもやってるのだろう。
    それとも陸上大会か。

    あるいは運動会かもしらんが、なんでもいい。
    スポーツ観戦に興味はない。

    どれもこれも似たり寄ったり。
    写真を撮る楽しみも減退気味だ。

    それにしても、他人事を我が事のように 
    なぜあんなに観客たちは熱中できるのかね。

    身内や仲間ならマナーということもあろうが 
    まったく無関係な人まで勝手にファンになって応援する。

    おおっぴらに大声出して騒げるのが嬉しいからか。
    酒に酔うみたいにムードに酔っているのか。

    それとも虫や鳥が鳴くみたいな求愛行動か。

    「おまえを愛してるぜ!」
    「あんたが死ぬほど好きよ!」

    なるほど、本能の解放か。
    我慢を含めた気持ちの発露にはなるだろな。

    しかし、そうだとしても、ようわからん。
    なぜ、どいつもこいつもスポーツ観戦なのだ。

    ほとんどの人たちにとって

    どちらの選手やチームが勝とうが負けようが
    どうでもいいことではないのかね。

    他に気になることないのかね。

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  • 詰将棋

    2015/10/21

    論 説

    それが有名かどうかは知らないが 
    高名なるプロ棋士が考案した詰将棋である。

    さして難しくもないが
    よくできていると思う。


    ピタゴラスの定理の証明にアインシュタインが使ったとされる
    直角三角形の直角から対辺に垂直に下ろしただけの補助線。

    これも素朴で美しいと思う。


    こういう素朴なものばかりで世界ができていたら
    と思う。

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  • 四面体と内接球

    2015/10/16

    論 説

    四面体における各面の内接円は 
    対頂点を光源とする内接球の影とは限らない。

    なぜなら球の影のほとんどは 
    楕円になるから。


    さらに物理的に 
    光源は幅のない点ではあり得ず 

    また必ずしも 
    光が直進するとは限らない。


    (そういう具合に僕たちは
     しばしば君たちを誤解してしまうのさ)

     

     

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