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2008/08/05
あいつと一緒に丸木橋を渡っていたら
背中を押されて谷川に落とされてしまった。
落ちる途中で気を失ったくらいだから
かなりな落差があったはずだ。
気がつくと、私は谷川を流されていた。
あいつの罠にまんまとはまったわけだ。
二人だけで山歩きしようなんて誘われて
のこのこのった私が愚かだったのだ。
いまさら悔やんでもしかたないけど、
まさか突き落とされるとは思わなかった。
もう私は流されてゆくしかないのだ。
川はすでに谷川と呼べなくなっていた。
流れは緩やかになり、幅も広くなっていた。
水面に浮かんでも山並みは消えてしまい、
川沿いに人家や看板などが見えたりした。
水面に浮かんでばかりもいられなかった。
空から鳥が急降下してきたりするからだ。
どうも私の目玉を狙ってるらしい。
水中に潜れば魚につつかれたりする。
なわばりというものが魚にもあるのだろう。
ときどき川の底を転がったりもする。
石ころに当たってアザができることもあった。
「おねえさん、なにしてるの?」
水面に浮かんでいたとき、声をかけられた。
橋の欄干から男の子が見下ろしていた。
「あら、見てわからない?」
「わかんない」
「私ね、流されているの」
「どうして?」
「いろいろとあるのよ」
「わかんないな」
「大人になったらわかるわよ」
「ふ〜ん」
あいつにもこんな時代があったんだろうな。
大人になんかならなければいいのに。
見えなくなるまで男の子は橋の上にいた。
ずるずると私は流されてゆくのだった。
警察官に不審尋問されたこともあった。
「おい、そこの君。なにをしておるのか?」
あわてて川底まで潜って水をにごした。
友だちや親兄弟に説得されたこともある。
「流されてばかりいてはいけないぞ」
「一度くらい、流れに逆らったらどうだ!」
ぶざまな水死体のフリをしてやった。
そんなふうに私は流され続けるのだった。
あいつの顔なんかもう忘れてしまった。
夜、川に流されながら星空を見上げる。
そんなとき、ふと私は思ってしまう。
どこまで流されたら、川は終わるのだろう。
いつまで流されたら、海にたどり着くのだろう。
もう十分、大人になっているはずなのに
ちっとも私にはわからないのだった。
2008/08/01
爆弾を抱えたまま授業を受けていた。
教科書と鉛筆と消しゴムがおもな材料の手製爆弾。
机上の小型コンロで、魚を焼くように爆弾を焼く。
やがて教室に危険な臭いが立ちこめる。
「たまらないな」
神経質そうな教師が神経質そうに窓を開ける。
校庭とポプラ並木、そして青い空が見えた。
なんだか悲しくなってくるのはなぜだろう。
その窓から遅刻した同級生の顔が現われた。
彼は、おもむろにナス型の手榴弾を教室に投げ込む。
「みんな、くたばってしまえ!」
その手榴弾は教師の頭に命中した。
そのまま床に転がったナス型の手榴弾は
よく見ると、本物のナスにしか見えない。
そういえば、彼の実家は八百屋だった。
ナスのヘタ部分がむしられているのは
安全装置をはずした、という意味か。
笑うべきか悲しむべきか、迷うところだ。
「もう手に負えないな」
教師は黒い帳簿を開き、なにか書き込む。
その瞬間だった。教室が爆発したのは。
2008/07/26
「ねえ、お母さん。見て、あの人」
幼い娘が声を震わせ、指さした。
それは性別さえ区別できない人だった。
アゲハチョウに似た格好をして、
歩道にしゃがんで横笛を吹いていた。
その瞳のように美しい調べだった。
母親はしばらく黙って聴いていた。
それから娘の頭に手を置いて、
「向こう側に行ってしまった人よ」
娘は首を傾げる。
「道路の向こう側?」
「ううん。もっと向こう側」
「あの人工太陽くらい?」
「ううん。もっともっと向こう側」
「そんなのわかんない」
「そう。わかんないところ」
娘は心配そうに母親を見上げる。
母親はやさしく娘の頭を撫でながら、
「人を指さしちゃだめよ」
2008/07/22
あんまり汚れてるから
とにかく洗ってやることにした。
泥だらけの足。
手なんか血まみれだ。
わけのわからないものが
背中に付着している。
髪もひどい。
坊主にするしかない。
「くそっ!
どうしたらこんなに汚れるんだ」
こすってもこすっても落ちやしない。
さすがに腕が疲れてきた。
削るようにしなければ
落ちそうもないところもある。
「この汚れだけは
落ちないかもしれないぞ」
眉間にしわを寄せるが
女は泣かない。
その汚れた目で
じっと見上げるだけ。
2008/07/18
恋人の脚に根が生えてきた。
きれいだった彼女のふくらはぎが
今では見る影もない。
「木になってしまうんだね」
僕がそんなことを言うから
彼女は淋しそうにうなずく。
針葉樹に似てきた緑の髪がゆれる。
そんな動作さえ苦しそうだ。
すっかり痩せて、木の枝のような腕。
ほとんど食事をとっていない。
このままでは枯れてしまう。
諦めよう。もう限界だ。
恋人を腕に抱え、庭へ運ぶ。
軽い。
信じられないくらい軽い。
「ここ、日当たり良さそうだね」
僕がそんなことを言うから
彼女は無理して苦しそうにうなずいて
籐椅子が軋むような音をさせた。
2008/07/15
エリコちゃんがスケッチブックに
エリコちゃんの絵を上手にかきました。
クレヨンでかいたエリコちゃんの自画像。
ママの手鏡を見ながら
苦労してかいたので
とてもかわいらしい女の子にかけました。
それなのに、それをかいたエリコちゃんは
あまりうれしくないのでした。
スケッチブックのエリコちゃんの方が
手鏡にうつる本物のエリコちゃんより
なんだかかわいらしく見えたからです。
エリコちゃんはおもしろくありません。
エリコちゃんはぷんと怒って
スケッチブックを床にほうりなげました。
ところがそのとき、エリコちゃんは
大変な失敗をしてしまいました。
手鏡を床に落として
割ってしまったのです。
しまった、とエリコちゃんは思いました。
ママのたいせつな手鏡だったからです。
スケッチブックのエリコちゃんが
手鏡を割ったエリコちゃんを見上げて
いかにもうれしそうに笑っています。
エリコちゃんは頭にきてしまいました。
スケッチブックを床からひろい上げると
黒とか灰色とか黄土色とか
きらいな色のクレヨンばかりえらんで
自画像のエリコちゃんの顔を
メチャクチャにしてしまいました。
途中でクレヨンが折れてしまったほどです。
こうして自画像のエリコちゃんは
すっかり汚れてしまいました。
いい気味だ、とエリコちゃんは思いました。
なのにエリコちゃんは泣いてしまって
なみだのせいで部屋がゆがんで見えるのでした。
いつまで泣いていてもしかたありません。
床にちらばった鏡のかけらをひとつひとつ
エリコちゃんはひろい始めました。
かけらをひろい集めて、テープでくっつけて
鏡をもとどおりにしようと考えたのです。
でも、最後のひとかけらだけは
どんなにさがしても見つからないのでした。
ですから、エリコちゃんが
つぎはぎだらけの鏡を持ち上げてみると
ガタピシャしたエリコちゃんの顔のまんなかに
指が入るくらいの穴があいているのでした。
そして、汚れたエリコちゃんの自画像が
その小さな暗い穴のむこう側に
ぽっかり浮かんで見えるのでした。
2008/07/08
ある山の麓に泉があった。
ただの泉ではなかった。
湧き出る水を飲めばどんな病気でも治る。
そういわれていた。
仙人も山から飲みにおりてくる。
そんな言い伝えさえあるほどだった。
「けほん、けほん、けほん」
ある晩、山の仙女が麓までおりてきた。
「あーあ、霞が喉に詰まっちゃった」
美しい横顔を月の光が照らしていた。
それを見てしまったのが、村の若者。
「ああ、仙女様。おらの嫁さなっておくれ」
曇ったしわを眉間に寄せ、真剣な表情。
そう、若者は恋に落ちてしまったのだ。
仙女は、泉の水を手にすくって飲んだ。
それから、にっこりと微笑むと、
村の若者にもすすめた。
若者はおそるおそる仙女に近づき、
その白い手を器にして泉の水を飲んだ。
すると、若者の表情は晴れやかになった。
「ああ、仙女様。おら、嫁なんぞいらねえよ」
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2011/07/09 03:31
「こえ部」で朗読していただきました!
2011/01/24 14:02
AA(アスキーアート)にしていただきました!
AAなにっき
2011/01/24 13:44
朗読していただきました!
「しゃべりたいむ」かおりサン
2010/08/24 01:24
ケロログ「山猫亭奇譚」の山猫亭銀猫さんに頼み込んで朗読していただきました。
「ああ、銀猫様。おら、感激ですだ!」
2008/08/01 23:42
小説現代「ショートショートの広場」にて、生前の星新一氏に認められた、最初の入選作品。
掲載された雑誌を読んだ時、震えるくらい嬉しかった。