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2008/09/14
夕陽が校舎を赤く染め、
やがて藍色の黄昏が訪れる・・・・
くたびれた職員室、
教師がひとり。
「先生。遅くまで大変ね」
入口から女子生徒が顔をのぞかせる。
「なんだ。まだいたのか」
「うん。大会が近いから」
汗に濡れた頬、
擦りむいた膝小僧。
「あまり無理するな」
「うん。先生こそね」
首をかしげる子猫の仕草。
「おれと一緒に帰ろうか」
「うれしい! すぐに着替えてくる」
元気な足音が遠ざかってゆく。
・・・・そうなのだけど
いつまで待っても戻ってこない。
2008/09/09
殺風景な氷原を歩いていた。
白夜の空の下には氷原しかなかった。
歩いても歩いても殺風景な氷原を
ただ歩き続けるしかないのだった。
まるで立ち止まっているみたいだった。
それでも黙々と歩き続けた。
疲労感はなく、空腹なのに食欲も湧かない。
さびしいとも思わなくなっていた。
どこまでもどこまでも殺風景な氷原を
ただ歩き続けるしかなかった。
やがて、不意に変化があった。
クレバスだ。
氷原が裂けていた。
かなり大きく裂けていた。
縁に立って見下ろすと、めまいがした。
跳び越すことはできそうもない。
橋を架けるような材料も道具もなかった。
迂回するしか方法がないようだ。
とりあえず右へ曲がってみた。
クレバスを左手に見ながら歩き始めた。
しばらく歩き続けた。
クレバスはなかなか終わらない。
いや。
むしろ幅が広がったように思えた。
悪い方向に進んでいるような気がしてきた。
ついに諦め、途中で引き返した。
クレバスを右手に見ながら歩き始めた。
曲がった地点を越え、さらに歩き続けた。
クレバスはなかなか終わらない。
いや。
むしろ幅が広がったように思えた。
悪い方向に進んでいるような気がしてきた。
ついに諦め、立ち止まった。
クレバスの前で立ちつくしてしまう。
跳び越すことはできない。
迂回することもできない。
ついに氷原を進むことができなくなった。
もうなにも考えられないのだった。
左右に果てしなく裂けたクレバス。
クレバスの向こう側にも氷原が見える。
どこまでもどこまでも殺風景な氷原が続く。
白夜の空も似たようなものだった。
これまで歩き続けた風景と同じだった。
なんとなく想像してみた。
向こう側の氷原を歩く男の姿を。
男は殺風景な氷原を歩き続ける。
こちらへ向かって黙々と歩き続ける。
やがて男はクレバスの前に立ち止まる。
クレバスの向こう側に立ちつくす男の姿。
まったく同じ境遇ではないか。
あの男は氷原を進むことができない。
クレバスを越えたいのに越えられない。
向こう側からこちら側に越えられない。
越えられない?
こちら側に越えられない?
そうだろうか?
もう越えているではないか。
すでにクレバスのこちら側に立っている。
同じではないか。
向こう側からこちら側に越えても。
こちら側から向こう側に越えても。
そうだ。
まるで同じことなんだ。
もうクレバスを越えていたんだ!
ひどく感動してしまった。
そのままクレバスに背を向ける。
目の前には氷原が広がっていた。
果てしなく殺風景な氷原だった。
振り返り、クレバスの向こう側を見た。
やはり、果てしなく殺風景な氷原だ。
なにもかも同じなのだった。
越えたつもりのクレバスに背を向け
ふたたび歩き始めた。
そのまま振り返りもせず
どこまでもどこまでも殺風景な氷原を
歩いても歩いても殺風景な氷原を
ただ黙々と歩き続けるのだった。
2008/09/05
胸騒ぎがして目が覚めた。
二階の部屋を出て階段を下りてみる。
なんとなく様子がおかしい。
廊下を進んで一階の居間を覗いてみる。
パパもママも起きていた。
「どうしたの?」
目をこすりながら寝ぼけた声で尋ねた。
「起きちゃったか」
「うん」
「どうやら火事のようだね」
「ああ、火事ね」
「ものすごく燃えているらしいぞ」
「どこが?」
「かなり近くだろう」
「ぼく、のどがかわいちゃった」
ママが笑う。
「冷蔵庫にジュースが入っているわ」
スリッパを引きずりながら台所へ行く。
スリッパをパタパタ鳴らして居間に戻る。
「ママ、冷蔵庫に近づけないよ」
「あら、どうして?」
「だって、台所が燃えているんだもん」
「まあ、台所が火事だったのね」
「とても熱かったよ」
「知らなかったわ。ごめんなさいね」
廊下から黒い煙が流れてきた。
パパが咳き込んだ。
「ドアはちゃんとしめなさい」
「はい、わかりました」
しっかり返事しないとパパは怒るんだ。
「のどがかわいちゃった」
「朝まで我慢しなさい」
窓の外が明るかった。
「もう朝だよ」
「まさか、まだ真夜中よ」
窓を開け、顔を突き出して外を見た。
「わあ、隣の家が燃えてる!」
「夜中に大きな声を出さないでね」
「わあ、隣の家の隣の家も燃えてる!」
「まったくもう」
「わあ、みんな燃えてる!」
「静かにしないと本気で怒るわよ!」
ぼくは口を両手で塞いだ。
ママが本気で怒ると、パパより怖いのだ。
「もう寝なさい」
「はい、わかりました」
ドアを開けると、煙と火の粉が入ってきた。
急いで廊下に出てドアを閉める。
手探りで階段を上り、自分の部屋に戻る。
ベッドが燃えていた。
机や椅子も赤々と燃えていた。
煙を吸って咳き込んで涙が出てきた。
もう今夜は眠れそうにないな、と思った。
2008/08/26
そのドレスを着る者は美しくなれるという。
花の妖精が虹と朝露で織った七色の生地を
七人の魔女が七年かけて縫いあげたもの。
これを着れば誰でも絶世の美女になれる。
どんな醜い女でも、たとえ死にそうな老女でも。
「よう。朝から景気いいな」
「ふん。好きで飲んでるわけじゃねえよ」
「おまえ、まだ墓荒らしやってんだってな」
「いや。もうやめた」
「嘘つくな」
「この前の荒らしを最後にやめたんだ」
「ははあ、たんまり儲けたか」
「いや。やる気がしなくなっただけさ」
「さては、気持ち悪いのでも出てきたか」
「きれいなドレスを着た骸骨が出てきたよ」
「なんだ、そりゃあ」
「やけに美しいんだ、その骸骨」
「おまえ、どうかしちまったんじゃねえか」
「ああ、惚れちまったよ」
2008/08/24
妻は出産のために入院中だった。
自宅となるはずの家は新築中だった。
私は、その建築現場をぼんやり眺めながら
つまらぬことを考えてしまうのだった。
家を建て、子どもを育てる。
その子どもが大きくなり、やがて家を出る。
結婚して、親になって、つまり孫ができる。
そうして私は老人になり、いつか死ぬ。
ありふれて退屈なシナリオか。
「あたし、ここに住んでいたの」
ふと、耳もとで声がした。
振り返ると、視野いっぱいの笑顔で
私のすぐ後ろに少女が立っていた。
知っている顔のような気がしたが
よく見ると、知らない顔なのだった。
「ご近所の方ですか?」
「あたし、この家に住んでいたの」
彼女の目付きはなんだかあやしく
私は次の言葉が出せなかった。
ここは我が家の先祖代々の土地で
亡くなった親父から私が譲り受けたもの。
駐車場だった土地で、その前は畑だった。
「あたし、この家から逃げてきたの」
明らかにまともではなかった。
私は黙って彼女を見つめるしかなかった。
その大きな瞳から涙がこぼれた。
困った。なにか声をかける必要があった。
「どうして家から逃げたの?」
「あら、そんなこともわからないの?」
私にわかるはずがなかった。
潤んだ瞳で私を見つめないで欲しい。
「お願い。私を抱いて」
この少女には脈絡というものがなかった。
私はおろおろするばかり。
かわいそうに、やはり彼女は狂っているのだ。
素直に抱いてやった方が無難な気がした。
ここが建築現場のすぐ前でなかったら
本当に抱いたやったかもしれない。
狂っていなければ、十分に魅力ある子だ。
「ちょっと、ちょっと待ってくれ」
私はあせった。なんとかしなければ。
「いったい君、どうしたの?」
「あたし、会いたかったの」
「誰に?」
彼女は黙ってしまった。
どうやら私に会いたかったらしい。
「でも、もういいの」
彼女は涙をぬぐった。
「想像していた通りだったわ」
どんなことを想像していたのか不明だが
もう彼女は笑顔に戻っていた。
「あたし、やっぱり家に帰る」
「この家に?」
「そうよ。この家に帰るの」
やはり冗談が通じないのだった。
まだ屋根もできていない家に入らないでくれ。
「じゃあ、さようなら」
「さ、さようなら」
「交通事故には気をつけてね」
また変なことを言う、と思った。
君こそ気をつけた方がいいぞ。
「ああ、そうする」
「お母さんを悲しませないでね」
ますます、いかれてる、と思った。
私のおふくろは亡くなって久しかった。
「ああ、そうだね」
悲しそうな笑顔で、彼女は応えた。
見覚えのあるような笑顔だった。
どことなく私の姉に似てなくもないが
まったく似てないようでもあった。
「いつまでも元気でね」
彼女は、私に手を振って見せると
新築中の家に背を向けて歩み去った。
それで、やっと私は安心したのだった。
すぐに少女のことなど忘れてしまった。
毎日、なにかと忙しかったのだ。
建築現場と会社と病院を往復している間に
病院で私の子どもが生まれた。
母子ともに健康であった。
赤ん坊を抱いた妻の笑顔がまぶしかった。
ふと私は、あの少女の笑顔を思い出した。
似ていたのだ。そっくりであった。
「おまえ、妹なんていないよな」
「いないわよ。なに言ってるの」
本当に私はなにを言っているのだろう。
まるで狂った人みたいではないか。
「いや。なんでもない」
「変な人ね」
まったくだ、どうかしている。
だが、本当になんでもないのだろうか。
私は生まれたばかりの赤ん坊の顔を見た。
それはほとんど猿の泣き顔だった。
娘の笑顔を早く見たいな、と思った。
2008/08/24
嫁いだ家はとんでもなく大きいのだった。
代々続く豪農の家だとは聞いていた。
けれど、その大きさは想像を絶していた。
嫁いでからそろそろ一年立つというのに
いまだに全体像がつかめないほどなのだ。
この家には多くの家族が暮らしている。
迷子になって泣いている子どもがいたりする。
何人いるのか、夫も知らないという。
家族間での交流は薄いのだ。
義父母と顔を合わせることは滅多にない。
夫の兄弟や祖父母らとも同様。
曽祖父もいるらしいが、会ったことはない。
最近では、夫ともあまり会えなくなった。
家のどこかに出かけたままなのである。
おそろしく古い家なので維持が大変らしく、
修理や改築のために男手が必要なのだ。
得体の知れないような怪しい家族も多い。
ある夜、私たちの寝間を男が通り抜けた。
なんの断りもなく、しかも裸のままで。
見知らぬ男なので、夫も首を傾げていた。
「しかしまあ、よくあることだから」
夫にとっては珍しいことではないらしい。
十年も暮らせば私も慣れるだろうか。
あまり慣れたくないな、と思う。
時々、どこか遠くで悲鳴があがる。
耳を澄ますと、狂った笑い声にも聞こえる。
どんな家族かと想像すると、眠れなくなる。
近くの部屋には寝たきりの老人がいる。
なぜか私が世話をする役目になっている。
この老人と夫との血縁関係は曖昧だ。
あるいは血のつながりはないかもしれない。
たとえそうであっても、家族は家族だ。
この老人は もうすぐ死ぬだろう。
この家の家族が ひとり減ることになる。
私たちにはもうすぐ子どもが生まれる。
この家の家族がひとり増えることになる。
家のどこかで誰かが死に、
家のどこかで誰かが生まれる。
多くの鳥や獣が集まる大樹のようだ。
ひとり寝の夜など、ふと考えてしまう。
私が死んだらどうなるのだろう、と。
家族の何人が気づいてくれるかしら、と。
2008/08/15
南極大陸に一頭の白熊がいた。
すっかり老いぼれた雄の白熊だった。
なぜか氷原に一本の棒が立っていて
白熊はその棒のまわりを歩きまわっていた。
くたびれたようにぐるぐるまわっていた。
いつまでも飽きずにまわり続けていた。
南極の空にはオーロラが美しくひるがえり
その上に神様が腰かけていた。
しばらく白熊の様子を眺めていたのだ。
「おい。そこの死にそうな老いぼれの熊」
神様に声をかけられ、白熊は立ち止まる。
「おまえ、そこでなにをしておるのだ?」
空を見上げ、やっと白熊は神様に気づく。
「ふん。変なやつだな」
「おまえに言われたくないぞ」
「あんた、そこで見ていてわからんのか?」
「さっぱりわからん」
「頭が悪いな。まあいい。教えてやる」
白熊は、これまでのいきさつを語った。
白熊はもともと北極に棲んでいたらしい。
ひとりで暮らしているうちに老いてしまい
老いた白熊は後悔していた。
若いうちに結婚しておけばよかった、と。
そんな白熊の前に悪魔が現われた。
「あなたを若返らせてあげましょう」
悪魔は白熊に約束した。
老いた白熊はむろん喜び、そのまま
南極大陸まで悪魔に連れてこられた。
つまり、白熊は悪魔にだまされたのだ。
「ここに日付変更線が引いてあります」
「なにも見えないぞ」
「そうなのです。見えない線なのです」
「それは偉いものだな」
「これを越えて西へ行けば昨日になります」
「ほほう」
「つまり、一日若返るわけです」
「なるほど」
悪魔の言葉を白熊は信じてしまった。
「このまわりをぐるぐるまわりなさい」
悪魔は極点あたりに棒を突き立てた。
「時計の針の進む逆向きにまわるのです」
「そうするとどうなるのだ」
「あなたはどんどん若くなります」
「それはすばらしい」
そして、悪魔は去った。
老いた白熊は南極大陸に残された。
以来、白熊はこの棒のまわりを
ぐるぐるまわり続けているという。
若返るはずが、むしろ老けてしまった。
ボケているので、それに気づかないのだ。
「なるほど。まったくおまえは賢い熊だ」
この老いた白熊を哀れに思った神様は
そっと少しずつ神秘の力を使った。
白熊の願いをかなえてやったのだ。
老いた白熊は見る見る若返っていった。
「わあ、すごい! 若返ったぞ」
若くなった白熊は大喜び。
「あいつ、やっぱりいい奴だったんだ」
悪魔に感謝しながら、白熊は駆け出した。
はるか遠い氷の地平線を目指し
若くてすてきな結婚相手を求めて。
オーロラに腰かけたまま神様は
いかにも満足そうに白熊を見送った。
それから、ゆうゆうと天に昇っていった。
やがて、時は流れた。
まだ棒は南極大陸の氷原に立っていた。
そのまわりを白熊が駆けまわっていた。
眼を血走らせ、ぐるぐると猛烈な速さで
時計の針の進む向きに駆けまわっていた。
あの若返った雄の白熊の姿だった。
しかも、まわる向きが逆。
狂っているとしか思えないのだった。
とんでもない失敗を神様はしたのだ。
白熊を南極大陸に残したまま去ってしまった。
大事な仕事を神様は忘れていたのだ。
若返った白熊を北極に返してやることを。
北極なら白熊も幸せになれたはずなのに。
白熊は南極大陸には生息していない。
少なくとも、雌の白熊は一頭もいない。
結婚などできるはずないのだ。
だから、南極大陸にひとり残された白熊は
こうしてまわり続けるしかない。
なんの意味もない棒のまわりを
ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる・・・・
いつまでも、いつまでも、いつまでも・・・・
2008/08/10
蛇の寝姿に見えるところから
村人ら、この川を蛇寝川と呼べり。
尻尾は遠く、山の麓へ消え、
脱ぎし万年雪の皮、白く霞む。
頭は遥か、海原まで届き、
顎はずして鯨の腹に喰らいつく。
稲穂の垂れる村々は
さしずめ大蛇の首飾りならん。
さて、蛇寝川にゃ橋がない。
いくら架けても流されるとや。
かような光景、たまに見らるる。
村の若者、土手の上にて叫ぶ。
向こう村の娘、対岸で手を振る。
しかして、対岸は遠し。
若者は裸となり、蛇寝川に入る。
もしも大蛇が寝ておれば
若者、運よく対岸まで泳ぎ着く。
されど、ここの主どの嫉妬深し。
ときおり鎌首もたげたり。
村の古老の言うことにゃ、
この川こえて恋などせぬことじゃ。
2008/08/10
彼女をサソリと呼ぶのにはわけがある。
彼女がサソリと呼んでくれと頼むからだ。
理由は不明だ。
蠍座生まれでもない。
内緒だが、彼女は乙女座だ。
「あたしにはね、毒があるのよ。猛毒」
ついに脳にまで毒がまわったようだ。
「あたしに触れたら、命の保障はないわ」
そんなの保障したって、誰も触れないって。
「なに笑ってるのよ。殺されたいの?」
「とんでもない。顔が引きつったのさ」
「ふん。変な顔」
くそ。おまえになんか言われたくないぞ。
「サソリ。おれ、もう帰るよ」
「えっ、どうして? まだいいじゃないの」
「疲れたよ。おまえの毒は疲れるから」
彼女は黙ってしまった。
少し毒がきつすぎたかもしれない。
まあ、いくらか薬になるだろう。
「じゃあな、サソリ」
そのまま彼女に背を向けて歩き始めた。
「・・・・・・ちょっと待ってよ」
泣きそうな声になっていた。
気持ちはわかるが、立ち止まる気にはなれなかった。
その時である。
首のうしろにチクリと痛みが走ったのは。
振り向くと、彼女は本当に泣いていた。
「・・・・・・そうよ。あたしはサソリなのよ」
2008/08/08
授業中であった。
一番前の席の女子生徒が手をあげた。
「先生」
「ん? なんだ」
「私、飛び降りてきたいんですけど・・・・・・」
教室がざわついた。
「おまえもか・・・・・・」
「すみません」
「・・・・・・仕方ない。無理するなよ」
「ありがとうございます」
彼女は教室を出ていった。
まだ教室がざわついている。
チョークで黒板を叩いた。
「静かにしろ。次の問題に進むぞ」
しかし、生徒たちの気持ちもわかる。
内心、私も驚いていた。
まさか、彼女まで飛び降りるとは。
そんな子ではないと思っていたのだ。
教室の窓から見える風景が気になって
なかなか授業に集中できなかった。
一瞬、その窓に黒い影が映った。
「あっ!」
小さな悲鳴があがった。
地面に衝突したらしい音も聞こえた。
ふたたび教室はざわついた。
私も諦めて彼らを放っておき
黒板に図形を書いて時間をつぶした。
しばらくすると、ドアが開き、
頭を下げながら彼女が入ってきた。
髪が乱れ、制服が土で汚れていた。
顔色が悪く、歩き方もおかしかったが、
そのまま彼女は自分の席に戻った。
「保健室で休んでいてもいいんだぞ」
「・・・・・・かまわないで・・・・・・ください」
彼女の声ではないみたいだった。
「・・・・・・そうか」
教室は静まり返っている。
みんなの気持ちが痛いほどわかる。
私は黒板を見上げ、
「さてと、この問題のわかる者は?」
誰も手をあげようとしない。
そうであろうなあ、と思う。
私にもさっぱりわからない。
しかし、どうすればいいというのだ。
終わりのチャイムはまだ鳴らない。