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2014/12/30
一匹の蟹が水辺を這っていた。
そこに一匹の亀がやってきた。
「やあ、カニさん」
「やあ、カメさん」
そんな挨拶はなかった。
これは童話ではないのだから。
危険を感じ、蟹は逃げた。
あやうく亀に踏み潰されるところだった。
「カメさん、足もと見てよ。危ないじゃないか」
「カニさん、いたのか。そんなところにいるのが悪い」
そういう会話はなかった。
これは寓話ではないのだから。
蟹は水辺から離れた。
亀は水の中に入っていった。
「それだけ?」
「つまんない」
そんなことを言ってはいけない。
これは笑い話ではないのだから。
2014/12/28
ようこそ。
不幸なる紳士および淑女の皆さん。
なにはともあれ
本日はまことにご愁傷様です。
あなた方がまずすべきことは
すべてに対して諦めることです。
ここは呪われた運命の吹き溜まり。
わずかな希望の光さえ届かず
どこまでも漆黒の絶望の闇が続くばかりです。
ここでは
悪意と不信が手を組み
天災と人災が腕を組み
厄病神と死神が肩を組みます。
ここでは
過ちが事故を呼び
事故が惨劇を呼び
惨劇が破滅を呼びます。
まったく救いがありません。
ただし
ほんのわずかな希望さえないと
あらかじめわかっているということが
あるいは
いくらか救いと言えないこともありませんね。
2014/12/25
聖夜の君たちのために
ささやかなピアノ曲を贈ろう。
クリスチャンでもなんでもないから
三位一体とかよくわからないけど
聖霊と呼ばれるものについては
なんとなく音楽に近いような気がするな。
八百万の雑多な神々おわしますところの島国では
天にまします父と子の堅苦しい教えなんか取っ払い
デートやケーキ、ツリーやサンタ
おいしい楽しいとこだけいただきましょう
というわけだ。
まちがった考えかもしれないけど
血みどろの宗教戦争なんかするよりは
全然まちがってないと思うよ。
2014/12/22
美しき顔を沼の面から突出してはいるものの
やはり、どこかありきたりな美しさ。
その首から下の隠された大部分は
おそらく醜く、不具不浄であろうと思われる。
なぜそこまで外面を取り繕うのか。
いつか沼は涸れる。
やがて干からび、屍となる定め。
いやでも総身を白日のもとに捨て置かれ
堆積した内面の恥を晒さねばならぬ。
それは膿み爛れ腐り崩れ
周囲に異臭まき散らし
おぞましき虫ども
うじゃうじゃ這いまわる棲家ぞや。
ついには見るも無残、ああ
その薄皮のごとき仮面もはがれ落ちん。
2014/12/16
私はポプラ。
枯れ葉舞う並木道。
すっかり道が舗装され
枯れ葉がゴミになっちゃった。
ゴミじゃない。
ゴミではなかった。
散って
舞い落ちて
地面を覆って
それでそのまま
なんの問題もなかったはず。
どうして迷惑がるの?
どうして掃いちゃうの?
枯れ葉をゴミにしたのは
誰よ誰?
2014/12/13
紅葉の季節に古都の街並み歩めば
観光地らしう雅な琴の音聞こゆ
「ひさしぶりどす」
「おいでやす」
なにはとまれ馴染の老舗旅館に泊り
芸者太鼓持ちなんぞ呼んで騒ぐぞかし
「ここはどこどす?」
「ここは古都どす」
きっぱり散らば潔いに散らぬゆえ
公家神官陰陽師琵琶法師やら徘徊す
「ほなさいなら」
「おおきに」
2014/12/10
元気な子が元気に歩いていると
元気ない子を見つけました。
元気な子は元気ない子を元気にいじめました。
そのため
元気ない子は元気なく泣きました。
元気な子がどこかへ行ってしまうと
元気ない子は思うのでした。
もっと元気になりたいな、と。
その願い、神様が叶えてくれました。
元気ない子はとても元気になったのでした。
とても元気な子は元気な子を見つけると
とても元気にいじめました。
そのため
元気な子は元気に泣きました。
とても元気な子がどこかへ行ってしまうと
元気な子は思うのでした。
もっともっと元気になりたいな、と。
その願い、神様が叶えてくれました。
元気な子はすごく元気になったのでした。
すごく元気な子はとても元気な子を見つけると・・・・
2014/12/06
眠れぬままに考える。
なにをやっても
なにもやんなくても
結局、なるようになるだけ。
その時に良いことが
いつまでも良いとは限らない。
悪いことにしたって
まるっきり悪いばかりでもない。
だったら
なにをやっても
おんなじ。
なにもやんなくても
おんなじ。
それなら、そんなの
考えるのよしましょう。
さっさと眠ろう。
眠りましょう。
ああ、そうしましょう。
そうしましょう。
だけど、ああ・・・・
やっぱり
ますます目がさえる。
2014/12/04
手招きされると僕たちは
その手の持ち主がどんな人物であるか知りもせず
そちらへそちらへと吸い寄せられてしまう。
いろいろ批判はあろうけれども
ともかく
そういう習性なのだから仕方ない。
僕たちの目の前には
とんでもなく大きな扉が立ちふさがっている。
それはとても僕たちに開けられそうもないけれど
その大きな扉の右下あたりに
とても小さな扉があって
その扉はすでに開かれている。
そこからこちらにのびた手だけが見えていて
おいでおいでと
さきほどから僕たちを手招きしている。
ともかく今は
そういう状況なのだ。
僕たちは小さな扉に近づき
勇気があるのか無謀なのか
好奇心が強いのか軽薄なのか
よくわからないまま
よくわからない経験を重ねる。
不意に先頭の一匹が
手招きされた手に捕まったみたいになり
扉の奥に引き込まれて扉が閉まる。
それっきり。
2014/12/02
存在の奇妙な裂け目に沿って僕は歩む。
しかしながら
この僕という存在も微妙に裂けている。
ゆえに僕の歩みはおぼつかない。
むろん、走ることなどできない。
動かず、この場に留まるべきかもしれない。
しかしながら、やはりしかしながら
この場の存在すら僕にはあやうい気がする。
留まることも動くこともできぬとすれば
どこに救いがあるというのか。
そもそも救いなど用意されているのか。
・・・・あやしい。
じつに・・・・あやしい。
すると、やはり僕は
この存在の奇妙な裂け目に落ちるしかないのであろうか。