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2012/07/31
「あっ、落としましたよ!」
老人を呼び止めた。
歩道に落ちたものを拾ってやる。
それは眉であった。
真っ白な眉。
「これはこれは。すまんすまん」
老人に白い眉を手渡す。
なるほど。
老人の顔には片方の眉がない。
「ありがとうな。助かったよ」
「いいえ。どういたしまして」
先を急いでいたら、老人に呼び止められた。
「もしもし。これは違うぞ」
片眉の老人が追かけてきた。
「これは左の眉ではないか」
老人の手のひらの上のそれを見る。
言われてみると、確かに左眉だ。
老人の顔を見る。
「落としたのは右の眉だ」
片眉の老人は断言するのだった。
なるほど。
老人の顔には右側の眉がなかった。
その反対側の眉を見る。
なんとも異様な眉であった。
なぜなのか、その理由がわかった。
「この左側の眉は、右眉ですね」
そう言われて、老人は驚いたらしい。
異様な眉が異様に下がったから。
おそらく、吊り上げたつもりなのだろう。
上下も逆さまだったから。
2012/07/30
昔、あるところに、ある人物がいた。
いつの時代で、どこの国の人物か、不明。
そいつの素性もよくわかっていない。
性別も職業も当時の年齢も、さっぱりである。
さて、それはともかく
そいつは、ある目的のために行動したという。
その目的は不明である。
行動の内容も、伝わってはいない。
それに関する記録が残っていないのである。
極秘に行われる必要があったのだろう。
そうでなければ
なにかしらかの痕跡が残ってしかるべきである。
ただし、これはあくまでも推測にすぎない。
その行動に、どのような意味があったのか。
その行動により、いかなる結果がもたらされたのか。
残念ながら、知る者はいない。
闇に葬られたのか。
皆、忘れただけなのか。
それすら判然としない。
つまり、そういうわけで
わけのわからない話なのである。
しかしながら
まあ、よくある話ではある。
2012/07/29
本棚の本が入れ替わったような気がしてならない。
書斎にある大きな木製の本棚。
そのガラスの引き戸の奥に本がある。
本は大きさもジャンルも様々。
並び方も整然と雑然の中間ほど。
これら本の配置が変わった気配がする。
どの本がどの位置へ、とは指摘できない。
けれども、なんとなく違和感を感じる。
独身の一人暮らしである。
また、滅多に訪問者はいない。
他人が動かしたとは考えにくい。
ならば、犯人は自分か。
そこそこ高齢ではある。
物忘れがあっても不思議ではない。
だが、納得できない。
まったく見覚えのない本まであるのだ。
その一冊を引き出し、ページをめくる。
年甲斐もなく顔を赤らめてしまった。
こんな過激な写真集、まったく記憶にない。
少ないが、文庫本もある。
お気に入りの推理作家の未読の小説を見つけた。
この作家は生涯に四冊しか作品を書かず、
その四冊とも確かに読んだはずなのに。
驚いたことに、私の伝記まで見つけた。
著者名に記憶はない。
なかなか立派な装丁である。
よくも調べたものだ。
ほとんど内容は合っている。
ただし、没年はとうに過ぎていた。
2012/07/27
道端の草が小さな花を咲かせた。
派手でもなく、鮮やかでもない。
地味で淡い色の花だった。
「おかしなところに咲く花もあるものだ」
散歩中の紳士が呟いた。
「喜んで咲いてるわけではありません」
小さな声で小さな花が言い返した。
「おやおや。かわいらしい声ではないか」
「声だけはね」
「その声をもっと聴きたいものだ」
紳士は荒々しく地面から草を引き抜いた。
小さな花は悲鳴をあげ、うなだれた。
「ひどい人。死んでしまうわ」
「大丈夫。すぐに家の庭に植えてやる」
「うそつき」
「いいね、いいね。その、うそつき、って」
小さな花は黙ってしまった。
紳士も黙って家路を急ぐのだった。
しばらくすると、小さな花が尋ねた。
「その庭、広いかしら?」
2012/07/26
どうか私を
思い出にしないで
お願いだから
もう会うこともない
過ぎ去った人にしないで
なにかの拍子に
ふと思い出すような
記念写真みたいな
そんな
アルバムの1ページにしないで
いっそ破って捨てて
どうせなら
燃やして灰にして
あなたの思い出になんか
私はなりたくない
私の思い出になんか
あなたになって欲しくない
ああ
それができなければ
これまでね
そう
これまで
死がふたりを
分かつまで
2012/07/25
最近、カラスが増えたような気がする。
真っ黒な姿。不吉な鳴き声。
鋭い目とくちばし。
ゴミ置き場を漁っていたりする。
むやみに生ゴミを捨てるからだろうか。
帰宅の途中、カラスの羽を拾った。
とても大きくて美しい羽だった。
捨てるのが惜しかった。
でも、それを飾る場所が見つからない。
悩んだ末、鉢植えの土に挿し、
そのままベランダに置いておいた。
やがて、その羽が膨らんできた。
おかしなこともあるものだと思った。
ある朝、カラスの鳴き声で目が覚めた。
鉢植えに一羽のカラスが生えていた。
なるほど、カラスが増えるわけだ。
2012/07/24
司祭と信者:
父と子と聖霊の御名において、アーメン。
司祭:
回心を呼び掛けておられる神の声に心を開いてください。
もし人の罪をゆるすなら
あなたがたの天の父もあなたがたをゆるしてくださいます。
しかし、人をゆるさないなら
あなたがたの父もあなたがたの罪をおゆるしになりません。
神の慈しみを信頼して、あなたの罪を告白してください。
信者:
はい。
それでは告白します。
ゆるされないことをしてしまいました。
僕は昨日、姉の部屋に忍び込んだのです。
姉は旅行中で、明日まで帰りません。
まだ幼い弟と一緒に出かけたのです。
僕は姉の机の引き出しを開けました。
そして、姉の日記を読んでしまいました。
すごいことが書かれてありました。
僕はおかしな気分になりました。
その日記によると、僕は不幸な子です。
ゆるされない存在なのだそうです。
つまり、姉は僕の母親だったのです。
しかも、弟が僕の父親なのでした。
以上、おもな罪を告白しました。
ゆるしをお願いいたします。
司祭:
なるほど、それはいけませんね。
お姉さんの日記、
あとで私にも読ませてください。
信者:
はい。
司祭:
それでは、神のゆるしを求め、
心から悔い改めの祈りを唱えてください。
神よ。
あなたの慈しみによって私に情けをかけ、
あなたの豊かなあわれみによって、
私のもろもろのとがをぬぐい去ってください。
どうか私の不義をことごとく洗い去り、
私の罪から私を清めてください。
父と子と聖霊の御名において、あなたの罪をゆるします。
信者:
アーメン。
2012/07/23
昔、ある国の王宮に
不服従な従者がいました。
国王が命令を下しても
従者のくせに従わないのです。
王宮から追い出そうとしても従いません。
国王の弱みを握っているのか
従者は拘束されることもありません。
「国王は先代の遺言に縛られているのだ」
そのような
まことしやかな噂さえ聞こえます。
そういうわけで
国王の悩みは尽きませんが
国の治世は立派になされていました。
ある時、国王が側近にもらしたそうです。
「あいつを従わせるくらいなら
国民を従わせるなど、たやすいこと」
なるほど。
そういうこともあるかもしれませんね。
2012/07/22
考える機械に問うてみた。
「真理とはいかに」
考える機械は答えた。
「考えさせてくれ」と。
半年後、再び問うてみた。
「真理とはいかに」
考える機械は答えた。
「よくわからぬ」と。
ふむふむ。
なかなか考えておるわい。
2012/07/21
いらっしゃい。
どうぞ、こちらへ。
ようこそ。
初めまして。
あなたも流されて来たんでしょ?
そうでしょうね。
みんなそうよ。
流されるままに生きていると
なぜかみんな
ここに到着してしまうらしいのよ。
ええ。
いろんな人がいるわ。
流されそうな芸能人。
流されそうもない相撲取り。
流れに逆らいそうな競泳選手まで。
流される基準って
正直なところ
よくわからないのよね。
他の多くの人たちが流されているものだから
じつは流されてない人たちが
逆に流されているように
見えるだけなのかもしれないし。
なんにせよ
あまり気にしないことね。
気にしていても
そんなに流れは変わらないものよ。
とりあえず
過去のことは水に流して
まずは乾杯しましょ。
はい、乾杯!
うふっ。
あなたって
本当に流されやすいのね。