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2015/01/30
そのピアノは横に長いのだった。
つまり、鍵盤の音域がとても広い。
そのため、低音部は低すぎて音が聞こえない。
高音部は高すぎて、やはり音が聞こえない。
人間の耳に聞こえない音域まで鳴るのである。
なんでまたそんなピアノを製造したのか
理由は不明である。
ちなみに
このピアノを買った私の父は現在、行方不明である。
たわむれに鍵盤の端を叩いてみる。
近所の犬が吠えたり
窓辺に鳥が集まって来たりする。
このピアノを演奏するピアニストは
床に敷かれたレールの上にある椅子に座り
鍵盤の前を左右に滑るように移動しながら演奏する。
ただし
やがて精神に異常をきたすので
長時間の連続演奏は控えねばならない。
2015/01/29
「それじゃ、元気でね」
彼女の細長く形良い背中は
少し離れて恋人だった男の無骨な背中と並んで
さびれるばかりの駅前通り商店街の歩道の向こうへ
小さくなって消えようとしていた。
彼らが別れることになると言及された結末は
それほど僕の慰めにはならなかった。
「落ち着いたら、また来るから」
そんな彼女の口約束と同様に
なんの保証にもならないのだから。
もう会えないかもしれない。
それは漠然とした予感ではなく
冷徹な予測。
やがて彼女は
いく枚かの写真と絵と
思い出の中だけの人になってしまう。
それがどんなに哀しくとも
哀しくないとしても。
2015/01/27
あの頃、僕たちは煙の底で蠢いていた。
彼らが振動させる濁った空気を鼓膜に受けながら
それとは別のなにかを聴こうとしていた。
あるいは現実に存在しないのかもしれないけれど
どこかにあって欲しいと切実に願うもの。
わかったようなわからないような、ともかく
すぐに理解してしまえるようなものでないもの。
そういうなにか特殊な暗号のようなものを
僕たちは方法も知らずに解読しようとしていた。
うまく言えないけど、そんな気がする。
隠された意味などありはしないという可能性を
あの頃の僕たちは
これっぽっちも疑いはしなかった。
2015/01/25
「やめなさい。悔い改めよ」
この期におよんで神父は説教を始めた。
「ああ、悔い改めるさ。
あんたを神のもとへ送ってからな」
おれは神父の胸にナイフを突き刺した。
「おれを許すか?」
おれは神父に問うた。
「たとえ私が許しても、神は許すまい」
神父は絶命した。
それから、おれは悔い改めた。
「ああ、神よ。おれを許してくれ!」
2015/01/24
僕の恋人と呼べないかもしれない彼女は
暗くて狭い洞窟に棲んでいる。
言葉を話せないので
人間とも呼べないかもしれない。
ただし、なんとなく気持ちはわかる。
なにか考えているらしいことも推測できる。
けれど、推測できると僕が思い込んでるだけで
じつは僕の思い違いであるかもしれない。
そう言えば、彼女は時々
美しいけれども理解できない歌を口ずさむ。
おそらく、それが
彼女にとっての普通の言葉なのだろう。
そんな彼女の奇妙な歌を聴いているうちに
ふと奇妙な考えが浮かぶ。
じつのところ僕は彼女の恋人でもなんでもなく
むしろ僕こそ人間ですらなく
たとえば、そう、たとえば
ただの彼女のペットに過ぎないのではなかろうか。
2015/01/21
さて、わかれ道だ。
右は「険しけれど面白き道」
左は「穏やかなれど退屈な道」
そのように道案内の立て札にある。
ただし、実際に表示通りかどうかは不明。
なんらかの罠である可能性は否定できない。
ある種のいたずらでないとも限らない。
それに、かなり古い立て札なので
立てた昔と今とにズレがありそうなものだ。
また、仮に表示内容が正しいとしても
右へ行けば、死ぬほど険しい道かもしれない。
左の道は、死にたくなるほど退屈かもしれない。
疑えば切りがない。
とりあえず、右の道を選んでみよう。
危険を感じたら、引き返せばいい。
あるいは引き返せなくなるかもしれないが
どうせ100%の安全など現実にはあり得ないのだ。
2015/01/20
この行進から抜け出したい。
けれども、その方法がわからぬ。
少し離れるくらいなら誰でも試みるが
疲弊して引き返すのがオチだ。
なにしろ見渡す限りどこまでも砂漠が広がり
水も食料も、一かけらの希望すら見つからないのだ。
こんな不毛の土地ゆえ行進が始まった
という説がある。
だがむしろ、豊饒の土地が
この果てしない行進によって
長い年月のうちに養分を奪われた
と考えるのが自然だろう。
水は水筒に注がれ、食料は干物ひものにされ
なんとかやり繰りしながら行進を維持しているが
いつまでも続けられる理由はない。
それは行進を続けるひとりひとり
誰もが皆わかっている。
そういうわけで、仕方なく
気の進まぬまま行進しているのが現状だ。
この先まったくもって
なんの進展も見い出せないまま
まるで自分たちの墓穴を掘るように。
2015/01/18
なにかを決めてしまう
ということは
もうそれについて考えない
ということ。
そりゃそうだ。
決めてしまったら
さらに考えても仕方ない。
世の中、決まりだらけ。
考えても仕方ないことだらけ。
バカにもなろう。
逃げたくもなろう。
だけど
そんなこと
誰が決めたんだ?
ひょっとして
まるで他人事のように
あなた自身が決めたことではあるまいか。
2015/01/16
それがAであることと
それがAであると示すこととは
まったく別のこと。
それがAであると示すことによって
そう示されたBがまるでAであるかのように扱われるのは
なんとも心外である。
心が悪魔なら
天使の装いをするかもしれない。
たとえば詐欺師が善良な人を演じるように。
「あなた、素敵ね」
「えっ? そうかい」
「うん。とっても」
「嬉しいな」
騙される方が悪い
と彼らは言うが
実際、騙される方も悪い。
2015/01/13
夢中になって踊っているうちに
しらじらと夜が明けてしまった。
「わあ、どういうことだ」
ここは外人墓地ではないか。
パチンコ屋の駐車場だとばかり思っていたのに。
それに、仲間はどうしたのだ。
見まわしても誰もいない。
さびしい外人墓地にひとりっきり。
ステテコ姿の自分だけ。
異常だ。
なにか間違ってる。
しかし、なにはともあれ
足もとの畳みたいに大きな墓石を持ち上げ
その下に逃げるように隠れてしまおう。
やれやれ。
ああ、重かった。
ホント、死ぬかと思った。
でもまあ、ともかく、そういうことなので
みなさん、おやすみなさい。