有田やもり

絵描き 

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    Works 49

有田やもり

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有田やもり

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  • 雪の2月はよきもの

    朝カーテンを開けると家々が白くなっていた。
    雪の降る2月はよきものである。
    寒さは大の苦手ではあるが、しかれど雪の降る2月はよきものである。
    むまさうな ゆきがふうわり ふわりかな
    かたゆきかんこしみゆきしんこ きつねのこあよめほしいほしい
    あめゆじゆとてちてけんじや こゆきのかかってちぢこまる
    頭の中で雪の詩を暗誦すると頭の中にまでも雪が降るようだ。
    冷たい外気に収縮する血管、とくとくと平常より早い鼓動、
    冷たくて冷たくて冷たい。きりりとひきしまってここちよい。
    雪の降る2月はよきものである。

  • あれが切れるとやばいんだって

    本当、切らすとまずいんだよあれが。
    いつも持ち歩いてなきゃ嫌だし、部屋の中にも作業場にも手に届くところにあってほしいし、枕元にがっちりストックがつまれてなくちゃ不安でしょうがないし。
    不安になって、街をおろおろと探し回っても手に取るたび、手に取るたびに砂になって崩れてくような感覚さえ覚えるようになって。
    無いとやばいんだって。あれを切らすとかありえないんだから。
    だから、あれですよ。読む本が。

    机上とキッチンのカオスをやっつけたら日付が変わっていた。
    それ、働け働け私。
    しかし、部屋が、、
    何というか、本と美術とが好きで好きで仕方のない奴の部屋の如くになっている。
    せっかく作業場と分けられたというのに。
    てゆうか本がないんだよ本が。読みたいものが。
    だからだからだから本が無いと困るのですってば本が本が本が。
    禁断症状。

  • 机上がカオス、珍妙なバーガー

    机上に珍妙なバーガーが出現した。クレープでもよろしい。
    下から順に、資料、ノート、資料、資料、ラフ、ラフ、資料、ポット、空き缶
    とんだサンドウィッチである。
    やや切羽詰まっている、たぶん。もう机上の空論とかそれどころではない。てゆうかPC方面に崩れたら事だ。

    始終首をひねりながら学業の論述を一本。今週はこれで2本目、あともう1本。
    短期記憶で叩き込まなくてはならない事項が複数。
    なぜか描くことになっている手作り絵本のラフ、ラフ、そしてラフ。
    なのにそれなのに、水面下で小さな企画計画を進めている。なのでそれのアイディアスケッチやロゴマークのデザインラフなんかも転がってて、嗚、カオスカオス。
    デザインは久しぶりなのである。マークデザインは、それこそ我がヤモリマーク以来。
    デザインであるのだから、、、やはり何種類もラフ描いて展開して再収縮してプレゼンして決定するのが筋なのであが、やはりどうしてもファインであるのでひらめきとかフィーリングなんかが先行してしまう。まぁいいや。

    机上のカオスはいずれ片がつくとして、珍しく、いや本当にらしくなく、小さな台所にも例のバーガーが出現している。これこそ崩れたら大変に事である。
    それ、働け働け私。

  • 古いメモを見返すと訳が解らない

    日記「飛石の再来」より、メモ
    —バレンタインまみれ
    —のべつまくなし
    —テク魔熊野根、野生に生息する怪しげな根菜類
    —プチプチ廃人withエアパッキン
    —ねずみのいれずみ
    —愚の骨頂たるやない
    —忙しいモラトリアム人間
    —夜は寝るべきだ

  • 日常の子鰐

    子鰐の姿をした日常に噛まれた。
    子どもとはいえ、ワニなので痛い。
    絵描きなのにうっかり利き手の指を二本も噛まれてしまった。
    かくも日常とは時として牙をむくものであるか。ワニの姿で。

    働かない頭を引きずりながらも、追いつめられて学業の論述をちょっとありえない時間で仕上げる。後で確認しなきゃなあ。気をつけていても夢中になるとつい「しからば」や「しかはあれ」が文中に紛れ込んでしまう。彼らは論述には向かないのだ。「たるやない」や「これいかに」なんかも。
    空っぽの頭でテーブルの上のファーブル—或いはフェイブル—机上の空論をでっちあげる。論述はあと2本あるのででっち上げ作業は続く。

    2日に1冊、以上のペースで本を読んでいる。
    1日に2枚、のペースで肩に張る鎮痛布を消費している。
    「そうはとんやがおろさねえ」と声に出して言ってみる。言ったことがなかったから。
    愉快である。
    明日もワニはいるだろうか。

  • テーブルの上のファーブル

    1月の(20010年の)展示に出した絵「みどりの鳥は眠い」をアップ。
    長年の友人にしてイラスト描きにしお氏がやってきたのでにしお氏のページにも飛べるようにする。

    桃色が尾を引いている。
    どどめいろに澄み切った瞳をしている。
    働かない頭を引きずりながらも、ゆく。

  • 煩悶

    大切な友人を助けられたらどんなによいか。
    力になれず歯がゆい。
    否かゆいどころではなく、ひたすらに痛い。
    私にできることはただ彼女を応援し愛すことである。
    がんばれ。どうか。

  • 自転車と白シャツ、真実の現前というやつは

    以下すべて日常の話。小さな話。

    時に真実というものは、車輪があり、ハンドルがあり、つまりは自転車の姿をして人の前に現前するものだそうである。本で読んだ。
    ならばそれならば、襟があり、袖があり、ボタンを持つ、ましろいシャツの姿をして私の前に現前することもありうるのではなかろうか。白シャツ。
    かくゆう私は最近はからずして自転車を持つことになった。自分の自転車など子供の頃依頼であろうか。籠などはなく、黒く小さく、関節が目立つ(折りたたみ、組み立て式のようだ)、タイヤはアスファルトより砂利道を好みそうで何やら昆虫のような容姿である。クワガタ号…かな。
    そして白シャツである。タートルネックと黒が目印になりつつある私であるが、春が来たら白シャツに袖を通してクワガタに乗って走りまわってみることに今のわたしときたらやぶさかでない。自転車と白シャツのせいで、本曰く、あらたまりつつある。

    本日の買い物。
    都内でも雪がちらつき避寒すべくビル内の本屋に漂う。
    油断をしていてうっかりニジマスのぬいぐるみを買いそうになる。あわてて気を引き締める。ニジマスを買ってどうしろとゆうのか。どうするのか。はて、、
    リチャード・ブローティガンの著書『アメリカの鱒釣り』の洋書版が気になっていたので合わせて飾るのはどうか…
    いやいやいやそんなこと思いついたらせっかく思いとどまったのに買っちゃうだろう。だめだめ。ニジマスを抱いて帰る図がおもしろくてシュールでだめ。
    煩悶しつつ漂い思いがけずニホンヤモリの像を購入。これは大変に美ヤモリなので仕方がない。あらがえない。。革紐を通して首に下げることとする。
    最後にトマト缶。かわいかったから否否否否ちょうど安かったから。久しぶりにラタトゥーユを作ろう。

    静かな休日、丁寧に日常、脳内言語、やっぱり少し変な買い物。

  • 静かな叛乱 鴉と鯨の対話、そして永訣の朝

    2010/02/12

    Gallery Report

    ずいぶんと久しぶりの東京都現代美術館にて、
    企画展『レベッカ・ホルン展—静かな叛乱 鴉と鯨の対話』
    立体作品だろうか、否インスタであるとあなたには言いたい —あなたって誰だろう
    今年初の現代美術の観覧とあってもはや、あぁもはや。
    頭のネジというものがもし存在するのならば確実に4〜5本は館内に落としてきただろう。違いない。
    全体的に大変に美しい、ことばのすべてにヤマイダレをつけたくなるような、もう個人的には大いに大いに楽しんだ。
    会期が残り二日しかないのであるが、現代美術と純文学に興味を持つ紳士淑女方々におかれては是非に行かれよとすすめたい、週末だし。
    できるなら、時間をたっぷりと持って。作品の前に立ちすくんで老いぼれピアノの不協和音のため息にじっと耳を澄ますのがよいであろう。
    どうしてか私は、この展示会場を思うと宮沢賢治が思い出されてならない。永訣の朝や貝の火を読みたい。

    余談であるが常設展にエルネスト・ネトがあった。以前、新宿オペラシティギャラリーでのジム・ランビー等とのインスタレーションづくしの企画展『MELTING POINT』ですっかり心奪われたインスタ作家、現代美術家。うれしかったなぁ、階段の踊り場で小躍りしそうだったなぁ、思い出してもスキップしそう、ネ〜トッ♪ネ〜トッ♪

    いや違うレベッカホルンの『静かな叛乱 鴉と鯨の対話』について話していたのだ。早急に頭のネジを回収、補修しなくてはならない。
    ネ〜トッ♪ネ〜トッ♪


    東京都現代美術館
    MELTING POINT

  • 沈黙の1月、本の海の漂流、サリンジャー死す

    長いこと、沈黙していた。
    2010年は過呼吸と嘔吐と吐瀉物による窒息の恐怖ではじまった。我とわが身よくたばりたまえ。けがらわしい! で、沈黙沈黙。

    沈黙していたのでどこにも殆どふれもしなかったのだけれど、1月にはGalleryUSHINさんでのはじめ展に、新年ギャラリーびらきの展示に例の緑の絵を一枚出していた。
    これは秘密なのかなぁ、終わったからもう言っちゃっていいかなぁ、
    DMの裏面、会期、20010年1月×日〜…
    にまんじゅうねん!
    私が参加したかの展示は遙か遙かかなたでの開催予定である。紳士淑女の皆様方、是非に来たれり。

    2010に観てきた主な展示
    —ドゥシャン・カーライの超絶絵本とブラチスラヴァの作家たち 板橋区立美術館
    —ボルゲーゼ美術館展 東京都美術館
    —レベッカ・ホルン展 東京都現代美術館

    紙式日記「飛石のつばめ」より、メモ
    —ベテルギウスが死ぬ。死んで星になれない星は何になるのか?
    —日常をいつくしむ、日常を大切にする、10円玉を大切にする
    —ディスケ・ガウデーレ!(楽しむことを学べ)
    —病める昼の月
    —牛になることはどうしても必要です。

    J.D.サリンジャー死す。忌野清志朗がいない世界でこの上どうしろというのか。
    今週中に学業における文章を2本仕上げたい、というより仕上げなければならない。どうしろというのか。いやどうにかしなくては。
    目下どうにかしなくてはいけないのがこの読書欲の波。波。
    白馬に乗った王子様など望むまい、望むまいが、お願いだから誰かここへきて本を取り上げてください。

  • ゆく年来る年は録画して4月に見る

    小さな住まいは隅々まで掃除しちゃったし、年賀状はとっくに出したし、買い物はうざいし、年末らしいすることがない。
    新年1月の展示に向けて作業。
    今年はギャラリーのサイズに合わせて小さい絵ばかり描いていたのでとてもとても久しい気がするキャンバスF25号。
    色彩にこだわりたいのである。緑色なのである。しかし緑色一言が示す緑色のその数のなんと多いこと。
    静かな心持にて、じっとみつめていたいような絵を、そんな絵を描きたいのだが、だがしかし。自分の肩幅より大きいキャンバスに向かってしまうとあれだね。筆を叩きつけあぁ!だぁ!ぎゃあ!と、その首さらせぇ!!などとわめきながらあぁ返り絵の具まみれ。えのぐまーみれー。
    立体の方は素材がやっとそろってまだ手つかず。頭の中でニワトリのようなニワトリでないような物体の展開図をひろげる。

    今夜は早寝したい。テレビなんて見ずに、本だけ読んでさっさと寝たい。
    暴飲暴食はしたくない。自分に必要な分だけ食べて、後はおとなしくしていたい。
    そして翌年にやりたいこと、もっと先にやりたいことを考えていたい。
    一つの年が終り一つの年が始まる時はアンモナイトが如く内面に向かって渦を巻き沈黙していたいのだ。。

  • 師走ばたばた、アリス展終了。でもフライング

    ホームギャラリーであるS.c.o.t.tでの二回に分かれたアリス展が終了。
    私としては・・・作品に納得がいっていなかったのと会場の雰囲気になじめず在廊できなかったのとで、ほとんどどなたにも宣伝していなかったのがHPでみて来てくださったり知らない人がメッセージ残してくださったり、どうもありがとうございました。
    で、昨日はそのS.c.o.t.tの大掃除でその名にふさわしくヤモリのように壁に張り付いて壁磨き、画鋲の穴埋め。中には明らかに画鋲じゃない巨大な穴があきらかに普通は展示をしない目線の高さから大幅に外れた位置にあったり・・・犯人は私です。個展の時の壁インスタのせいだよ…穴をパテ埋めしてゆくのは何やら証拠隠滅しているような気分だった。。。

    で、活動録。
    個展も二人展もあった今年なのでその二つについてはちゃんとここでも反省会的な報告会的なふうにまとめたいんだけど・・・できるかな今年中に。いや、やれよ。

    現在の活動。
    イベントには未upの1月の展示。二人展でお世話になったGallery USHINさんにて。新年1っぱつ目に2作品出します。出そう。間に合わせよう。なんでこんな自信ないんだ私は。

    年末って気分が全然しないのはなぜ。
    そもそも年末ってどんなだったかなぁ。
    12月上旬ころから2010年の予定を話すときに「今年」といい今年会ったことを話そうとすると「去年」と言ってしまうようである。いつからが今年だったっけ。

  • 秋日狂乱的な

    田んぼのあぜ道でどっどどどどうどと唱えつつ風を追うコートに帽子のその人は宮沢賢治。そして風の又三郎。
    風ふく崖の上で夜空を仰ぎ火星を見つめるその人は高村光太郎。火星がでている。

    秋が深まり冬が来る。寒いのは苦手。
    考え事にうずまる日々、うずまりすぎて大切な予定をひとつすっぽかした。
    後にやらなければいけないことが増えたけれど、まぁいい。しょうがない。
    枕もとのパンダは相変わらずよくしゃべる。
    プログレのYES、リレイヤーズは本当に素敵。

  • パンダと議論

    枕もとにパンダがいる。枕もとにパンダがいるのだけれど
    寝起きにそいつと熱い議論をした。
    やはりあと少しで何かしら答えが見えてきそうな気がして
    ぎりぎりまで覚醒を拒んだ。
    午前中の仕事をしながら、議論の内容よりそもそもパンダと議論をしたということが変だろう妙だろうと気がついた。

    今宵は学問に費やす所存。
    動かない頭を引きずりながらもゆく。

  • ソフトに迷子は迷子なりに

    自分がどこに進みたいのかよくわからない。
    「退廃的」と人はゆう。そのとおりだね。
    深まる秋の中には人は自分を見失う。
    雨の音が聞こえる。雨は嫌いじゃない。
    で、どこにいきたいのかしら私は。

    最近ページを見てますと言われることが増えてきた。
    それなのにこんな酩酊文でよいのかしら。よくねえな。ないな。
    不振な学問、描けない絵、受け止めきれない過多な有象無象の視覚的聴覚的情報
    どこか遠くへ行きたい
    若しくは、どこか遠くへ行きたい。

    ちゃんと活動していることも書かなくては。
    荒いラフを3枚描いてギャラリーに送った。
    テーマ展なのに書きたいものがここにきてぶれてきている。
    透明標本の図鑑とYESのリレイヤーズが届いたので昨日からそればかり聴いている。
    考えないために。ハイテンションのプログレ。
    他ギャラリーからのお誘い、来年の1月の多分こちらもそこのギャラリーとかかわりがある人たちが多く集まる企画展。企画書待ち。
    夢の中では来年5月のテーマ企画展のラフを描き続けるも、現実に戻るとほとんど忘れている。
    絵描きなのかしら。
    どこに行きたいのかしら。

  • ロシアの夢

    2009/11/06

    Gallery Report

    お気に入りの、埼玉県立近代美術館で開催中の「ロシアの夢 1917-1937」
    革命とアヴァンギャルド。未来派。
    紅葉も始まりお散歩も兼ねて行ってきた。
    いつものことながら、派手にすいてる。。館内でなかなか人にあわない。
    でも中身は面白かった。
    かの時代のロシアの、そんな感じのデザイン。
    奇抜な舞台衣装、まるさんかくしかくがおりなす心象風景、ものすごく使いにくそうな豆腐切り崩したみたいな茶器、椅子が引けないチェステーブル、社会主義の映画ポスターや雑誌の表紙などなど。本当にあのティーポットだけは使いたくない…あと駒の見分けが恐ろしく難儀なチェスとか。。
    パターンとしては、赤、白、黒、そして人の群像。
    かくかく四角、シンメトリー、or突き抜ける斜め線。
    当時の町の写真もいくつか。
    ドストエフスキーの本の登場人物たちもこのような街中を歩いたのだろうか。
    ラスコーリニコフはコートの中に血塗れの斧を隠し、ムイシュキン侯爵は公園のベンチで放心して、、セピアの街を見ているとありありと目に浮かぶ。

    余談だけれど、埼玉県立近代美術館に行って企画展を見るならわずかに上乗せして常設展も観るといい。企画展がどうあれ、期待以上でもそれ以下でもあるいは刺激が強すぎて頭がとんでも、最終的に落ち着かせてくれる保険のようなものだ。
    さらには、ホール内にある展示物もぐるりと見渡すといい。
    今なら、常設で怒涛のアメリカンチェリーに、ホールでゾウさんたちとヴィール神に会える。なんだかよくわからないけれど、だがそこがいい。
    本当に本当にお気に入りの埼玉県立近代美術館。

  • 人権に狂っている

    ここ数日の就寝時間はなぜかしら午前四時。起床は真昼。
    幾つかの書類を仕上げて、とるかとらないかの食事をして、デスク。

    「人権」なんて得体のしれないものを学問している。
    もう二度と某白身魚がパンの間に挟まっているあの店のあの商品が食べられない。
    この数ヶ月間の間にいくつかの映像がトラウマとして網膜に焼きついてしまったようで
    ことあるごとに
    「人間が!人間の畜生が!人間なんて!!!」とジタバタもがいている。
    ナイルパーチナイルパーチナイルパーチとぶつぶつ経のように唱えている。

    生きた心地がしない。
    自分の輪郭さえぼやけてしまう。
    らしくもなく物をよく失くす。
    入院をすすめられる、が、しかし、でも、どうなんだろ。

    中原中也の「臨終」なんて詩の冒頭を暗唱できるようになってしまった。
    またあの時期が来るかも。
    すべてが虚像のようにしか見えないような。
    それらを正確に電気信号として網膜から送り中枢神経系に達し脳内で認知するプロセスが嫌で嫌でたまらないような。前頭連合野。
    アンモナイトのように地中深く地球近く眠って、ただ眼を閉じて、ただ眼を閉じていたいのだけれど。太古の海の音だけ永遠に聞いていたいのだけれど。

    どうしたら私は心底元気になるんだろう。

  • 人間が壊れている

      内面へ向かう螺旋の上に
      幾重もの地層が降り積もる
      酸欠と目眩の秋の夜長に
      アンモナイトの夢を見る


    秋空はにび色、ああ心虚ろなるかな。
    この一月程どうにも調子がよろしくない。なにゆえに。
    まず呼吸ができない。
    肺呼吸も満足にできないくせに陸に上がってごめんなさいと膝をつきたくなるような。
    そして目眩がとれない。
    頭蓋内に日本海裂頭条虫俗名さなだむしを泳がせたらかくやと言わんばかりの。

    夢とうつつの境目が極めて曖昧である。半覚醒と幻視。
    議論はもっぱら睡眠中に夢の中の虚像と行われ、もう少しであと少しで何か答えじみたものが手に入りそうな気がして、覚醒を拒む。

    うつしよではどうか。
    注文を受けていた絵を海を隔てた土地に向けて発送。
    売約済みの作品の受け渡し手配。
    ゆらゆらする頭を支えながら事務仕事、および心理学の論述。
    ついでに何の拍子か気に入って覚えた学名ラベンデュラ・アングスティフォリア。
    サイロメデューサ・ハイポコンドリアリス及びハイラ・パンクタータ。
    某人への見舞いにアンモナイトを送りつけ、友人の誕生日を祝い、
    母校である高校の文化祭の展示に呼ばれたので絵を運んだ。
    今週末は多分12時間程飲むだろう。

    冬に向かい空気が澄んでいくようにこの頭も少しは風通しが良くならないものか。
    小学校の木工の時間のように電動ドリルで穴を開けてみるのはどうか。

  • あかい指輪が壊れた

    右手の薬指にしていたもの。
    大したものじゃない、500円くらいのおもちゃ。
    そのチープな感じが、きちがいじみたかんじが気に入っていたのに。
    あかい指輪が壊れた。
    あかい指輪が壊れた。

  • 黒猫毒やもりと酒と悶々と

    個展ViaRangioraの、やもり活動録をアップせねばせねばと思いつつ、絶食。。。
    食事が取れない。
    力が出ない。
    顔がぬれて力が出ない。

    つまりは、生きる目的なんてものは人間ごときに見出せるもんなの。
    なぜあの人は書き続けるの。
    なぜ清志郎は歌い続けたの。
    なぜ私は書き続けるの。
    なぜ、そんなにも生きることに執着するの。

    でも、生きていたい。
    あたまがごちゃごちゃするんだ、寝枕に過去が立ち私に語りかけ続けるんだ、未来が語り続けるんだ。いいかげん活動録アップしなくちゃって毎日思うのに思うのに思うのに。

    にんげんが嫌いだ、故に、いとおしい。
    世界は美しくないかもしれない、だがしかし、それでもこの世界は生きるに値するのだと言いたいのだ私は僕は俺は小生は。

    あの人は何を思って書き続けるのだろう。
    清志郎はどうして最後まで歌い続けたんだろう。
    私は、こんな小娘だが、こんな小娘だが、それでもまだ描き続ける。

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