有田やもり

絵描き 

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    Works 49

有田やもり

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    Works 49
  • くだもの姫との再会

    この数日のできごとをつづろう。


    某日、岡山まで南進。
    友、くだもの姫との再会を果たした。
    くだもの姫との再会以外に岡山訪問の目的は是といってなかったのだけれど
    天気に恵まれたので庭園を訪ねる。
    竹林のもとひなたぼっこをしたり、苔や穴の写真を撮ったりなどして
    爬虫類としての英気を養う。しばしの至福。

    くだもの姫は相も変わらずに麗しく、
    アフタヌーンティーと洒落込み文学と蛙、雪山と馬について熱く語らう。
    遠く岡山まで来て、種田山頭火やドストイエフスキーの著書、愛すべき小さき両生類や雪山についてごくごく自然に語らえることが好ましい。
    人としての英気を頂いて、帰る。
    僕は人からもらうものばかりだ。

  • 何重の猫

    お酒が入ると脳内言語がますます思弁的になって困る。
    懐かしい顔ぶれと夕食、しばし美術談義をした後、ぐえ。
    人といることがそんなにも負荷がかかるのだろうか。
    何重にも猫を被っているのだろうか。
    ひとりになるとたまらなく自虐的な気分になり
    俺くたばればいいのにー俺くたばればいいのにー
    我と我が身をののしりながら、帰路。

    土曜の朝は寝坊をして、掃除をして、洗濯をして、
    日常的な些細な物事たちに救われ、少し、自分のリズムを取り戻す。


    依頼のフクロウの絵の作業。
    気持ちを開放して色を乗せる段階になりやや楽。
    強いコントラスト。
    青が踊る。
    絵が自らの意思で動き始め、名を名乗った。
    のでタイトルも決定。
    仕上がり近し。

  • 和展

    2010/03/18

    Gallery Report

    友の参加するグループ展、
    横浜は中華街ギャラリーart Truthにて昨日より開催の「和展」をみにゆく。
    現役大学仲間の展示なので全体的に若々しい。
    奴の2枚の絵のモチーフは金魚であった。きんぎょ。
    奴らしいモチーフで、少し懐かしくなりつつほっとする。

    友人が活動しているのを見聞きするのは嬉しい事である。
    15の頃、トンボの油絵に取り組む僕を、はは僕はそんなものはあまり好きじゃないよとかぬかしていたあの者が、今や、俺は画家になる美術以外はしたくない大学では版画が全く理解されていませんねなどと大口をたたく。
    俺なんか僕なんかその度にひそやかにぎらぎらしてしまう。
    僕の美術への態度を笑ったものが、あたかも俺なんか太古より美術に夢中なんだよみたいに語る。
    やや、笑止である。
    であるが、それもよかろう。
    同世代でモノを作る人間とつながりがあることは素敵なことなのであるし、ギラギラしちゃう相手は貴重なのだから。
    なんて、駄推する。

    和展

  • リアル電車男

    遠出のために新幹線の切符を買いに行く。
    ヤモリは家に憑くもの、遠出はもとより得意でない。
    路線やなんかのことも兼ねて詳しく聞こうとみどりの窓口に並ぶと、
    真横にぴたりとつけられた。
    すわ、なにやつ。
    鉄道員であった。路線図マンであった。
    長蛇の列の窓口からさっさと空いている券売機のもとに案内され
    教えを請いたい旨を伝えると、てきぱきと、何もかもが滞りなく済んだ。
    感心して聞いているとどうやら主要路線はすべて脳内にしかれているようである。
    恐るべき能力!電車口調!もうちょっとゆっくりしゃべってくれたらいいのに!

  • おののく

    脳内電球が切れたり呼吸の方法を忘れたり
    なぜだか退屈をしない日々なのだけれども
    三月が半分過ぎていることに気がついて、わお、おののいたしだいである。
    光陰ハレー彗星の如し。

    今月はまだ本を3冊しか読んでいない。
    1冊目が久々の800ページ超の大作であり、また、人と会う機会も多く独速度は酔っ払いの蟻の如くにて、一昨昨日読了。後は一昨日2冊目昨日3冊目と読了。

    ヤモリは、
    ヤモリは小型の爬虫類で完全無害なる夜行性生物なのだけれども
    だけれども
    夜は寝るべきだ、本当に。
    早寝早起きがしたい。

  • マザーシップ

    旧友ゆずぽん酢氏が個人的戦闘より帰還。
    空母やもり、などとのたまいつつピックアップに向かう。戦闘機の回収は空母戦艦の仕事なり。ちゃちな空母である。
    町田康の長編小説を読みながら終電で帰る。終電を乗り継いで帰る。

    あくる日
    恩義を感じている夏蜜柑嬢を招いて昼食会、のはずが夕食会、てゆうか飲み会、と不如意の玉突き事故が勃発し、モエ・エ・シャンドンとシャート・ル・クレリオを空ける。
    アルコホールばかりを飲んでいる気がしてならない。
    只でさえ薬物の種類が多くて腎機能に負担をかけているとゆうのに。


    活動している。
    渾身の一枚、依頼のフクロウの絵を作業。仕上がりは近い。いっきにいきたい。
    五月の幸伸ギャラリーでのグループ展への、ラフ、ラフ。

    マザーシップってゆうとうかぶのはLedZeppelinなのだけれどそういえば僕の誕生日は
    飛行船Zeppelin号が飛んだ日。飛べないヤモリはどうするのか。
    それ、働け働け僕。

  • 病ンデモ、シアワセ。

    あなた、こころのやまいです。
    実家に戻って家族と夕食をとった後、志を同じくする学び舎の仲間と気分良く談笑した後、ひとり吐く。
    強迫神経症、嘔吐症状。
    眠れないけれど明日は来るのでなすべきことはあるので複数種の錠剤を使用した翌朝の副作用は重いぜ。
    慢性不眠症。
    息の仕方がわからない。息の、いきの、生きの。
    心因性過呼吸症。

    息ができないとひどくみじめである。
    肺呼吸もできないのに陸に上がった俺が僕が悪かったのだ。
    くたばればいいと思う。
    死ねばいいんじゃないかしら。
    罵詈雑言。
    我とわが身よ、あぁ!くたばりやがれ。
    あまりにみじめな気分だったのでうっかり泳ぎに行ってしまった。
    意地で1500m泳いだ。
    さすればどうだ。息は切れるし、筋肉痛だし、もう。


    旧友、賢者から深夜に電話。生きてるかと生死を問われる。
    旧友、ゆずぽん酢氏との会合、春期ホリゴメ会を開く。議題は主にごまだれについて。
    ゆずぽん酢氏は手土産にとゆずぽん酢とチンウツボのパイを持参。
    奇っ怪なり。しかれど愉快である。
    雪散る空にがおがお吠えたい俺は僕はまるで寂寥の荒野にあるぞかし。
    意識は脊髄にぶらさがる果物のごとし。
    駄目だなあ。駄目すぎる。
    けれど病んでも幸せ。

  • 絵本が仕上がった

    籠って作業、なんとか絵本が仕上がる。あああ肩が痛いよう。
    こんなにうさぎさんの絵を描くなんて柄じゃないよう。
    気に入りのページの絵をrakugakiのフォルダにup
    ドラマールなうさぎさんである。ピカソである。

    古いベレー帽を引っ張り出して刺繍が入っていた上からコサージュとチャームをつける。ヤモリ足りなさにさっそく手を打った。
    頭に(も)ヤモリつけちゃうもんねー。
    これで少しはヤモリ足りなくなくなったであろうか。

  • ヨロズネコとゆうからには

    標本師、冨田氏にお目にかかる。
    薬品を多用しそうな独特の作品群なので
    いかようなマッドサイエンティストが出るかはたまた鬼か
    と思っていたら好青年であった。
    「明朗な若者」という言葉が似合いそうな方であった。
    しばしの談笑。少し緊張。失礼なことなど言わなかっただろうか。。
    あああ行動してしまう割に小心者な我とわが身よ、・・・くたばれ。まったくもう。

    出かけた足で千駄木のギャラリーフリュウで開かれている「萬猫(よろずねこ)展」をのぞきに行く。初めて足を運ぶギャラリーである。地図を見ると近隣に別線で白山駅が。白山て小さな画廊ギャラリーがぽつぽつあるところではなかったっけと思い至り、歩いてみることにした。
    失敗であった。
    花粉の季節に散歩だなんて馬鹿か。馬鹿だ。
    くしゃみばかりしながら猫をみるも、猫をみるも、次の猫をみるも、、ふうむ。
    物足りな・・・猫足りない。ねこたりないなんて言葉は今作ったけれど
    猫足りない気がする。
    以下すべて展示の趣旨とは関係ないところでの個人の感覚であるが
    あれの8倍くらいの数の猫、作品数にカウントできなくともとにかくもっとねこねこしないとヨロズとゆうには猫足りない気がしてならない。

    ああでもしかしそんなことを言ったら僕などまったくもってヤモリ足りない。
    みょんみょん違ったもんもんとしながら再び花粉の道へ帰るも
    ヨロズという言葉が前頭葉に張り付いて離れず
    あ、また眉間のしわが「ぐえ」の形。

  • 桜餅にありついた

    髪の毛がごっそり抜けるおぞましい夢を見て目を覚ますと高熱が出ていた。
    すわインフルノギか。
    インフルエンザの疑い、を変換もできずに再び休む。
    昼過ぎに目を覚ました時には下がっていた。
    頭の中でフィラメントが焼き切れたような、そんな感じ。
    脳内電球の付け替えの時期、だったのだろうか。
    そして脳内電球ってなあに。

    くだんのわるだくみ。
    実態なき読書サークルを立ち上げるわるだくみをしている。
    趣味というかなんというか、ものづくりの一環である。つもりである。
    企画書ができたので各地に転々とする会員に送る。ふう。
    悪いことは何もたくらんでいない、いないのだけれど、「幼児の描画における特有の表現形式について」なんかを記述用にノート、もとい余白にまとめたりしながら同時進行しているとどうしてもわるだくみをしているような気分になるのはどうして。どうしてだろう。どうしてって3回も言った。

    夕方外出して桜餅にありついた。
    桜餅である。桜餅なのである。桜餅!

  • 桜餅を食べのがした

    ショックである。
    無かったのである。
    このところ毎日欠かさず食べていたのだ。
    楽しみにしてたのに。。。
    恋しいので、即興桜餅の歌を作り小躍りして気を紛らわす。

    依頼をたまわっているフクロウの作画に苦悶。サイズが。
    どうしても可愛くしたい、かつ、含みを持たせたい。
    10数mmの間を迷い迷う。ふむ。
    絵本の方が締め切りが迫っている。ふーむ。

  • ごまだれはごまだれと付き合うべきだ

    旧友、かく語りき。
    気がつくと友がごまだれとゆずぽん酢について熱弁していた。
    ごまだれはごまだれと付き合うべきこれは確固たる事実であり、ついでに自分はぽん酢である、と。
    ごまだれとゆずぽん酢について熱弁を振るう友がいることを好ましく思う。
    その友が近々海老フライについても語ってくれるという。
    ごまだれ、ゆずぽん酢に加えて、三部作の本が書けそうである。

    かくゆう僕はどうもチヨコレイトの星の下に生まれた。ような気がする。
    確信はないがそんな気がしてならない。
    チヨコレイトは好ましい。好ましいが、それをふれて回った覚えはない。
    それに好ましいのはチヨコレイトに限ったことではなく、例えば良質なこしあん、由緒あるカステラ、料亭のプディング、なんかも好ましく思う。桜餅もよい。
    しかしチヨコレイトである。
    どうにもこうにも集まってくるのである。
    6箱積んであったものを平均して月にひと箱消費してはや半年、やっと最後のひと箱にたどり着いたと思ったら、セントバレンタイン、来れり。
    ありがたく頂いて、バレンタインが去ったら、なんかまた箱で来れり。
    困ってはいない。只、不可思議なり。
    地脈や金脈のようなチヨコレイト脈の上にでも立っているのだろうか。
    それともやはり、あれか。
    チヨコレイト星か。

  • 椿の精と話す夢を見た

    標本師冨田氏の『透明標本展』を見てきた。
    生き物の形とはかくもはかなく美しいとしばし時間を忘れる。

    外に出たついでに花粉の中を漂流して余白もといノートを4冊買って帰る。
    余白は増えた。しかしなんか頭の中がメモでいっぱいである。
    困った。
    出力の季節が来たのか。
    少し、今年やりたいことが見えてきている。
    しょっちゅう仇になりややもてあます集中力だが、大いに振るう時が来たれり。
    だからであるから、花粉なんかには構っていられないのだ。
    明日からエバステル錠をを5mgから10mgの倍量にしてやるのだ。
    花粉め。


    冨田氏の『透明標本展』会場

  • ぐえ。

    制作途中絵本の本描きに入る。
    移動先にて、絵具とペンとラフとラフとラフを広げて畜生机が狭いな畜生って言っちゃいけないみぞおちあたりがふわりとするような感じで集中して畜生あと3本手がほしい畜生って言っちゃだめ。
    描くといつものことだけれど、やや集中しすぎて吐き気をもよおす。
    眉間にしわ、「ぐえ」の二文字を体現しているであろう表情のまま、りゅらりりゅらり帰路。ごみみたいな交差点で、や、月が出ている。
    手帳を見ると本日は三日月とある。ふむ。おぼろ三日月である。

    やや自虐的な気分である。我とわが身よくたばりたまえ。
    いけない。自らを勇気づけるために、脳内にて、天狗舞をまう。
    天狗舞を見もうな、
    天狗舞を見もうな。
    勇気づけたとて、顔が「ぐえ」の状態ではだめ。寂寥の荒野にあるぞかし。
    ぐえの顔のまま天壁を仰ぐ。たぶんまだ月は出ている。

  • 牛乳はどうしても必要

    牛乳を買いに行く。
    つい最近も牛乳を買いに行った気がするのはこれ事実で、独居であるのに僕は1Lパックをほぼ2日で消費するのであり、これによって1週間当たり平均3回は牛乳を買いに行くことになる。
    背が伸びないものだろうか。
    牛乳を買いに行ったついでに、冷蔵庫の住人等と脳内会議をしながらじゃがいもをひとつ28円、にんじんひとつ30円、それに油揚げを買う。

    偉大なる先人たちのおかげで、絵描きというものは女人を買って抱くついでに描いたり耳をそぎ落としたりした挙句酒だの薬だのでろくな死に方をしない人種であるようなイメージをもたれやすいが
    昨晩のようなことも時折起るが、僕は牛乳やじゃがいもやにんじんを1つずつ買って
    つつましく生活している。

  • 余白を持つということ

    言わずも知れた、なんて嘘をついてしまった。
    本当は大して口外してないのであまり知られていないだろうと思う。
    ノートが好きである。
    しかしこれはノートに限らず「紙が束になって端がとじられた形状のもの」が好きなのである。例えばノートしかり、本しかり、用途を失った書類の裏紙を適当な大きさに切って作った簡易メモ帳しかりである。

    ノートは、さまざまなことを書き散らかすのにどうしても必要なものであるが、それにもまして、未だ何も記入されていないましろなノートの貴重なこと。
    それは余白である。
    僕の焦がれてやまぬ人物は(本の中に登場する架空の人物なのだけれども)ノートを買うことは余白を買うことだという。
    彼は余白に自由に世界を創造する。それは永遠にして無限。
    絶えず白紙のノート(余白!)を10〜20冊程度所持する僕だが、件の人物は200冊程度はくだらないという。僕などまだまだ青二才である。

    気分が落ち着かなくて困る。
    久しぶりに、一番強い睡眠薬をぶち込んでウイスキーをぶち込んで
    あぁ、明日、生きてるかな。

  • てふてふ帳

    言わずと知れたノート好きである。
    日記などものを書き散らすためのノートがいくつかあるが
    内一つを思いついた物語のかけら的なもののメモのためのものとし、名を考える。
    片手に収まるA6のそれには表紙に蝶の写真を貼った。
    絵にも描いたCalitheaOptimaである。
    つまるところこれは蝶々ノート、ちょうちょうちょうであるなとことば遊びに興じつつ、命名。てふてふ帳。

    制作途中の絵本の構成を進める。素材のサンプル表を制作する。
    して、あとは学業、ううむ。

    画像、細かなものが自然あつまってしまう。
    タツノオトシゴさんだけ魚類である。

  • アリ喰うアリクイもすきずき

    水面下にて、大変個人趣味的な小規模の制作団体を作るために手配を進行。
    新しい企画わるだくみである。腐腐腐。

  • アル中ですか

    アルコール中毒? いいえアルコール消毒中
    脱脂綿にマリンブルーのエチコール液をたっぷりたっぷり含ませて
    あれもこれもきゅっきゅ。磨き上げる。
    眼鏡のつる、携帯の画面、普段使い万年筆、気になったものは何でも。
    ご機嫌なので即興エチコール液の歌とか歌って。
    磨き上げる。
    愉快である。
    アルコール消毒中毒。

  • オオタカ用モデルルーム

    学名 Accipiter gentilis
    猛禽類 タカ目 タカ科 オオタカ

    の、専用モデルルームなのである。
    自然調査の仕事にあたる友人が送ってくれた画像である。
    オオタカの繁殖用の人工巣だそうだ。
    全部で6つ作ったという。分譲住宅である。
    すてきすてき。

    本を読むために。
    室内でベッド以外の場所すなわち絨毯の上でごろごろと本を読んだり少し眠たくなったら眠ったりまた本を読んだりというのは是至上の贅沢である。僕個人にとって。
    して、この贅沢を支えているのは気に入りの絨毯であり、温かな紅茶であり、それに注ぐ琥珀色のザラメ糖であり、また、ペンギンさん模様のブランケットであり、ふかふかのクッションである。
    仏蘭西料理のフルコースが食べたいと言っているのでもないのだから、僕は自分のこの贅沢を叶える為に行動することにやぶさかでない。
    あちこちをゆらゆら漂流した末、牛柄円形のクッションを抱えて帰る。
    牛になることはどうしても必要なのだからこんなにうってつけな物もない。
    オオタカのお家に負けないようにとせっせと行動してゆくといずれかは部屋の床面がクッションで埋め尽くされてしまうのではないかという懸念も脳裏をよぎったようなよぎってないような気もするが、まあそれもよかろう。
    その際にはクッション自らがクッションとしての身の振り方を主張するようにもなっているだろうから、おのずと、クッションらはクッションらの好きにするであろう。


    オオタカの画像byWikipedia

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