山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

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長野県上田市

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山本 薫(やまもと・かおり)

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  • チェコの街並み

    一日一枚万年筆シリーズより。

    チェコの街並みです。

    日本の繁華街ってすごく苦手な場所が多いけれど、
    探せばこんな雰囲気のところがあるかもしれないですね。
    ヨーロッパ風とマネした感じじゃなくて、日本らしい下町風情とか、古いものと新しいものの同居する風景を描いてみたいです。
    マネした感じと日本独自のものがせめぎ合ってるってのもある意味面白いかもしれません。

    美しい町の落ち着いた商店街って、描いてて、自然の風景を描いてるような感覚にとらわれます。
    美しさって、自然とどこかで共鳴するものがあるのでしょうか。

    日本の、新しくできた街がどうも、苦手です。
    チェーン店が並び、大きな道路がある。どこも同じような街並み。
    一貫していそうで、その要素に美しさとか五感にやさしい暮らしやすさがない気がしてなりません。

  • へび

    こんにちは。イラストレーターの山本薫です。

    来年の干支を描こうと思って、
    蛇のサイトにアクセスしたはいいのですが、

    見てたら途中で気持ち悪くなっちゃって。

    ヘロヘロになりながら描いたら、こんな弱そうな蛇になってしまいました。

    可愛いと言って頂けたら良いのですが・・・


    元気のあるときに再チャレンジを試みます。

  • 点景

    温泉がてら相方と小布施方面へドライブしました。

    気になった風景をいくつか。

    今日はカメラを持っていかなくて、記録ができなかったです。



    ☆キリンの花屋

    屋根ほどの高さをした大きなキリンの親子のリアルなオブジェが、
    目を引く店があった。
    足元にいくつか売り物の花苗があることから、ようやく園芸品店らしいとわかる控えめさもある。
    小さな木地の看板が、ドアの上にあったが、名前は読み取れないうちに過ぎてしまった。キリンの表面のつやつやしたサッカーボールのような凸凹が、妙に目に焼き付いた。
    こんどは写真を撮らせてもらおう。


    ☆高い木とお墓のある古い家

    杉のようなのが5.6本だけ、しかも上の方だけ残してあとは禿げたように枝をはらってあり、高さは、5メートル以上はあろうかと思える。周囲は平らな畑ばかりなので不思議な光景であった。心無しか冗長してしまったような佇まいである。
    近づくと、たった一つのお墓の周囲に植えられたものである事がわかる。
    手前に家がある。木も高ければ家も古いようで、立派な日本庭園があって、少し門らしきものもあって、車が一台、大して感動もなさそうに停めてあった。


    ☆クリスマスローズ

    八重のもの、一重のもの、おお振りのもの、小さくいくつも咲くもの、
    白、ピンク、ロゼ、銀鼠、緑、黄、そして葉っぱも様々。
    原種を交配することで限りなく多様な品種が生まれる。
    フローラルガーデンの温室には、そんないくつかが所狭しと並べられていて、私は電話で母と相談してひと株買うことにした。
    うつむいて咲くのは、雄しべや雌しべを雪から守るためだとか。
    茎や花質は柔らかくて草っぽくてデリケート。花つきに、いかにも花らしい名の通りローズのような華やかさを感じるものもあれば、花というよりこれは萼の一部なんじゃないかと思えるようなのもある。

    夏は生育が止まるので、水やりは控えめに。冬は鉢植えならば室内に。植え替えは10月〜1月。
    その品種の多さに、とりつかれてしまう人もいるのだろう。

    私は八重咲きが好き、相方は一重咲きが好き。

  • 紅茶とKPM

    熱い紅茶の美味しい季節になりました。

    紅茶生活が板についてきたと思った秋深き頃からなぜか私の嗜好が紅茶から遠のいていて、
    ハンプステッドの缶紅茶が、ダージリンもイングリッシュブレイクファストも半分あたりで止まっていたのですが・・・(その分コーヒー率が増えてもいたのですが・・・)
     
    ながの東急の地下紅茶売り場でアッサムのいいのが手に入ったのをきっかけに再び勢いを盛り返しました。

    相方の誕生日が12月初旬なのですが、今年はリクエストにお答えしてIpod nanoをプレゼントしました。
    そうしたら、むこうはちょっと早いクリスマスプレゼントだといってKPM(ドイツ王立の窯)の手書き絵付けのデザートプレートを用意してくれていたのです。
    ついでにミルクティ-に最適な、アッサムCTC(粒状)もつけて。

    KPMは、私がその絵付けの職人技に対して、心から尊敬している窯です。
    マイセンもロイヤルウースターもいいんだろうけど、私にとってはKPMがお手本のような気がするところがありまして。
    聞くところによると、花を描くときは生の花を前に絵付けをしたとかで、なるほどですがそれにしても度肝を抜く描写力。一回きりの、しかも陶器に、どうやってこれだけの花びらの表現が出来たのか不思議だといつも思います。
    また夜中に絵皿を眺めてふつふつと闘志を燃やすことになってしまいそう。

    アッサムCTCですが、茶園はハルマリ。
    これは薄めに淹れるとストレートでもいけます。今年の出来は少しこげ味みたいな独特の香ばしさがあります。

    ミルクティーって、みなさんミルクを先に入れますか、後で入れますか?
    これ議論の分かれるところらしいですよね。
    相方は、スプーンを使うのが面倒だから+器を傷めないように=先に入れる、派だそうです。
    一説には温度変化の具合でこちらのほうが美味しいと聞くことも。
    私は、・・・今両方試してみています。どちらが美味しいか。
    大事な器を使うときは、もちろん先に入れますが、なんとなく、あとから入れたほうが、ミルクの量が加減しやすいんですよね・・・
    二杯目と三倍目では、ミルクの量を変えたくもなりますし、その具合って、紅茶を注いでからじゃないと実感がついてこないという。。。
    習慣の問題かもしれませんが、私は大体、紅茶を少し注いでから、ミルクを入れてみて、また紅茶を注いで、調整しながらです。
    多分私にとっての大事なポイントは、スプーン使うかどうかというより、最終的に美味しく飲める、微妙なミルクの濃度なのでしょうね。



    いただいたKPMの絵付けの技術や精神性に少しでも近づけるように、日々の暮らしも制作も頑張ろうと思いを新たにしています。

  • 軽井沢雑感

    年賀状のダウンロード販売の企画に参加することになりました。
    詳細はまた、年賀状の季節になってから。

    昨日、軽井沢に行きましたら、暑い日でしたね。
    25度ありました。

    御代田のメルシャン美術館が閉館するというので、もったいないなーと思いつつ、最後の企画展示を見てきました。
    アンリ・ル・シダネル。印象派のような感じかとおもっていたら、やや違いました。
    光に対する独特のこだわりがあったようです。
    シダネルの描く光は、夜や薄暮時や明け方のような、一瞬の奇跡のような時間。
    内容もとてもよかったです。
    パリ時代の作品にもいいなとおもわされましたし、その後のヴェルブロワに居を構えた頃やその前後もいいですね。

    作家にもさまざまいるけれど、私は安定して一定のレヴェルを保ち続けるタイプに憧れます。
    多分自分が、不安定でアップダウンの多い性質だからだと思います。
    旅しながら絵をかき続けた頃のシダネル、羨ましく思いました。
    かつて自分も、旅する画家を夢見ていた頃がありましたから。

  • 料理に関するメモ雑文

    近頃、家族とちょっと条約締結をして、定期的な金額の納付と生活や食事などの自立を試してみています。

    食事作りって、やってないといろんな感覚が鈍っていくもので、たとえば食材の扱いの基本事項とか、火加減の微妙なところとか、いためる順番とか、味付けのカンとか、だいぶなまってしまってまして。体調を崩す前に、茨城で一人暮らしをしていたのですが、その頃培ったものがいくらか役立っている感じなのが幸い。
    相方のように、魚をおろして〆て押寿司を作っちゃうってとこまでは到底及ばないような気がするけど・・・
    料理の基本が、できてるようなそうでないような、いや、本を片手に、分量をはかるならいいけど、基本的な体系がなってないとこが心もとない。

    最近のツイートに、夕ご飯のメニューが頻繁に飛び出すようになりました。

    近頃は畑でなすが大量に取れるものだから、必ず茄子を消費しないといけない我が家。
    で、ご飯作りは茄子の選別から始まるのです。籠とかビニル袋に保管しといた中から、丸茄子にしようか、長茄子にしようか、悩んで。たいてい鉄火なすか蒸しなすか茹で冷しか焼きなすあたりになるんだけれど、たまにはオリーブ油でただ焼いてポン酢でいただいたり、アンチョビソースを作ってみたり。先日茹で茄子に生姜と茗荷を載せて出したら、家族に好評だった。ひき肉とあわせて柚子胡椒風味のショートパスタを作ったら、相方においしいといってもらえた。

    にがうりも最近大量に採れます。ときには一個で800グラムもあるものも。
    にがうりの絵でデビューした私だけれど、ビジュアルではものすごく思い入れがあるのに、調理法にはあまりこだわってません。
    焼き海苔をまぶしたお浸しや、ゴーヤーチャンプルーなどで、あとは母がお得意の佃煮を作るものだから、その手伝いをしたり。
    揚げるのもいいですよね。あまりやらないけれど好き。
    にがうりは、出来具合で苦味ややわらかさがかわるので、本当は野菜の顔を見て調理したいところです。ふくよかに育ったものは、苦味もあまりないので、塩漬けにしてもいいかと思っちゃう。これ、佃煮にするとふよふよしてあまりよろしくないんですよ。


    そのあたりで、おかずがきまってきたらバランスが取れるように、メインとかたんぱく質系をてきとうにあわせて、(豆腐とか、冷凍庫の下処理済お魚とか、納豆とか、ヨーグルトとか・・・)
    ご飯と牛乳でいただきますってなるのがたいてい自宅の食事。

    この脳の使い方で生きていると、メインディッシュにごちそうを作るという思考が抜けていってしまう気がします。何を食べるかってことに興味が向かないと言おうか、あるものを消費するだけといおうか。どっちかというと副菜に趣向を凝らしたり工夫の仕方が偏ってしまう感じ。野菜、乳製品、豆製品、などをそのまま食うのが中心、肉や魚の調理がたりないというか。

    前々から思っていたんですが、私はとくに魚の扱いの蓄積がほとんどない。
    アジの三枚おろしはむかしぜんごをとるとか何とか言って家庭科でやったけれど、あとほかに何も知らない。イカの下処理すら知らなかった。下手をすると、魚買ってきたら内臓もとらずに丸焼きにしてしまいそうな勢い(笑)
    小あじの素揚げをするときには手でえらからちょっと剥ぐと内臓までとれる、ということもしらなかった。
    いつか、何だか思い立って鯛の潮汁を作ったことがあったけれど、鯛を一匹買ってきて、本を見ながら切り分けたんです。そのときは何とかなったけれど、あとで相方に聞くと、鯛は内臓をうまく取らないと全体が生臭くなる難しい魚だから、ということで、知らぬが仏ってこのことですね。



    母親が折に触れて、料理教室に通うことをすすめてくれたんだけれど、私は行きたくなかった。料理を教わりながら、複雑な人間関係とコミュニケーションをこなすほうが大変だと思ったからで、たぶん、私の中でそれほどの必要性を感じてなかったんだと思う。素材の扱いを知っていれば、応用はできるだろうし、いくらでも本が読めてそのとおりにできるなら、必要ないと思ったのかもしれない、それに、身近に、信頼してよいと思える料理人がいなかったのもある。母から教わる料理は習いたくても、どこか他の土地で勉強したゆかりのない方の、関連性のわからないエッセンスを、自分の料理に混ぜたくなかったという偏狭な気持ちがあった。

    料理の、いわば科学反応的な内容というか、根本のメカニズムには興味があるけれど、調理味付けしておいしく食べることにはあまり興味がむかない、ある種の生きることとやや反する志向が私の中にあるのも、一役買っているのかもしれない。わからないけど・・・


    ここへきて、料理って、私が思っていた料理のおもしろさとちょっと違う角度の方向性が必要なものなんだ、と思えてきて。なんというか、仕事みたいな方向性ですね。食べるものを作るって事。当たり前なんだけれど、料理ってちょっとした労働なんですよね。実のあること。私は、多分これまで、料理って学術だと思ってたとこがありますね。私の中ではこれも実のあることなんですけどね。自分の個人的な研究のための、素材に過ぎないと思ってたようなとこあります。
    どっちか選ぶ必要もないんだろうけど、やはり家族のためにおいしいものを作りたいと思ったら、労働も楽しくなりますよね。自分のためにおいしいものを作りたいと思うには、なかなか難しいものがありますけれど。

  • 紅茶に思う

    今日の長野は昨日、一昨日よりやや過ごしやすいです。

    この暑いのに紅茶をホットで飲むのは気が知れない方もいらっしゃるだろうけれど、
    相方の紅茶好きにつられて珈琲党から紅茶愛好家の仲間入りを果たしてしまった私は
    きょうも汗だらだらしながら紅茶をホットで飲んでいます。
    今日の紅茶は、普段飲み用のジャンナッツのダージリン。

    ダージリンて、季節ごとに味の特色がかわるもので。
    春摘みは爽やかで薄い色合いの緑茶を思わせるニュアンス、
    夏摘みはしっかりしたボディに骨のある味わい。時にはマスカットのフレーバーを感じることも。
    秋摘みはウッディ、枯葉のような趣の、落ち着いた味わい。

    気候が如実に味わいに反映されるものだから、農園ごとの個性も際立つし、やはり年によって出来具合も微妙に違ったり。繊細な植物でありお茶なんですね。

    ジャンナッツがどの季節のを使ってるかしらないけれど・・・
    これはフランス製ニュアンスのブレンドといわれることも。わたしはまだ、国ごとのブレンドの傾向ってわからないけれど、わかる人にはわかるみたい。
    おなじフランス製でも、エディアールと比べるとやや香りが薄く地に根を張るような穏やかさが感じられる。

    相方も私も、ダージリンはともに秋摘みがお気に入り。もっとも、季節や体調や気分によって、飲みたいものってちょっとずつかわるものですけれど。

    相方は、ダージリンの穏やかに感覚が開いてく感じをはじめウバ、スリランカ系の爽やかさが好きらしいし、
    私はダージリンも好きだけれど、ニルギリのブロークンやアッサムの目覚めが無性にほしくなることもある。

    相方が不眠系、私が過眠系、というのとかかわりがあるのかな、なんてひそかに話したりしてます。

    東御市にある紅茶やさんいい紅茶ドットコムで扱う、ニルギリのカーゾン茶園産が好きでして、アレを飲むと脳味噌が目覚めると同時に清浄になる気がする。ネパールのミスティ・バレー茶園の紅茶もチョコレート系のニュアンスがなんともいえないですし。

    先日、ちょっと東京まで出かける用事があって、紅茶専門店として有名なリーフルに寄ってきました。お値段は高めの紅茶を扱っているけれど、品質は確か。というより次元が違うというか。品数があれば無料でポットでたっぷり試飲させてくれるのがなんとも嬉しいお店です。
    そこで、ネパールのグランセ(石楠花)茶園という畑でつくった紅茶に出会いました。
    茶葉の状態の香りが、衝撃。何の抵抗もないのに華やかで、つい鼻の穴を広げて奥深くまで吸い込みたくなる。春摘みの、ウーロンハンドロール(ウーロン茶のように手で撚る)は香りをかいでるだけで美しさと幸せを感じました。

    紅茶として淹れると、またちょっと違った趣き。けしてオーバーでなく、高原のすがすがしい空気そのもののような。


    で、いま手元に春摘みと、秋摘みがあります。秋のほうは相方からのプレゼント。
    気分がよくさらに良くなれそうなときだけを見計らって、あるいはちょっとすぐれないときにカンフル剤として。大事に大事に飲んでいます。

    いつもそうなんだけれど、私は、おいしいものやいいものに触れると、アドレナリンが出るというか、自分だってこれに匹敵するくらいいいものを作らねば、とファイトが湧く性質なんです。生活の張りや変化というかしがみつくものが適度にないと退屈で(不安で?)死にたくなるというか(笑)

    環境の変化に過敏なとこ、ひょっとしたらダージリンと似てるんだろうか・・・


    そのおかげでいろいろ遠回りもしてるんだろうし
    歩くべきところをスキップもしてるんだろうしなさけないところもあるけれど、
    謙虚な気持ちを忘れず、なるべく目の前のことに照準を合わせ集中しながら周囲のサポートに感謝しながら歩いてかないとねと心新たにする今日この頃でした。

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