山本 薫(やまもと・かおり)

イラストレーター

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長野県上田市

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http://www.kaorisi.com/
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    Works 36

山本 薫(やまもと・かおり)

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山本 薫(やまもと・かおり)

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  • 一日一枚万年筆

    2012/04/03

    活動記録

    タイトル通りの、一日一枚万年筆シリーズを、
    この3月位から始めました。

    ブログ「快・画・手・帳」
    http://ameblo.jp/kaigatetyou/
    にて毎晩更新してゆきますので、どうぞお楽しみにご覧下さい。

    読者登録、とかメッセージなどいただければとても嬉しいです。


    今回こちらには、そのうちのひとつをアップしました。

    相方に贈るなら、日常の疲れの見える時などに、
    こんな花束を無造作にまとめて食卓やベッドに置いておいたり、したいな、なんて・・・


    さらにこのドローイングは別の作品に化ける予定です。
    お楽しみに。

    それでは、どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。


    山本薫

  • 牡丹図花瓶

    2012/03/17

    活動記録

    線画のイラストレーター山本薫です。
    柄のある花瓶を描きました。


    ちょっとゴージャスにするなら芍薬を合わせて、
    手前で猪鍋でも囲んだなら、最強(やりすぎ?笑)。


    ところで、最近ブログを別に始めています。
    「快・画・手・帳」というタイトルをつけて、
    一日一枚の万年筆画のアップを中心に、展開しています。

    http://ameblo.jp/kaigatetyou/

    一日一枚は、日によって気合の入る日とめちゃくちゃ抜けてる日とさまざまですが
    私自身コラムと共に楽しみながら続けていますので、ぜひご覧ください。


    先日、ある出版社にファイル送付の可否を電話で確認したら、
    もともとその出版社のラインナップのファンだったのですが、
    編集部の電話の受け答えがものすごく感じがよくて、気持ちがよくなりました。
    お忙しいなか対応してくださった方々に感謝しております。


    明日も気持ちの良い一日になるかな?
    皆様にとっても良い日曜でありますように。

  • 鶏の香炉

    2012/03/01

    活動記録

    こんなペン画を描いていて、素材の質感まで表現しようと執拗になればなるほど、
    ペン画の勢いから離れてしまうのか、
    美大受験の失敗のようなデッサンにはなるけれども、
    それ以上でもそれ以下でもない。(お恥ずかしい限りですが)
    さておき
    あの感じの書き込みとか仕上がりというのは独特のもので、
    ふしぎと美大受験関連以外の分野で見たことがないテイストだと思うのだがどうでしょう?
    書籍のイラストでも、あそこまで写実になってしまうと、引く手がないのかな。
    写真なみの描写力を、写真というものがある現在であえて必要とされないことの証かもしれないけれど。
    デッサンの途上の絵にはイラストとしての需要があるけれども、
    デッサンとして完結したものはうますぎる、ということでしょうか。


    学生時代、あれになりなさいと言われてあこがれても、
    どうしても心のブレーキからなれなかった自分。
    もっと描き込みなさい、もっと悪いやつになっていいんだ、
    そんな指導を幾度も受けた。
    でも無理やり進むと、必ず失敗した。完成した作品が、ほとんどなかった。

    ある夜中に、スケッチブックに自画像を描いた。シャープペンシルで。
    すべての線が、重なっていない、クロスハッチングというか面を表現する方向への線の連続だけで、顔の微妙な凸凹を表現した。そのとき、何かがわかった気がした。

    それから病気がひどくなって、だいぶ絵から遠のいた暮らしもしたけれど、
    あのたどり着いたイメージだけは忘れなかった。



    イラストを描いています、というと明るいポップなイメージを抱く方が多い気がする。
    実際を見せると、デッサンですね、という人もいるし、学生ならではの気概みたいなものを感じる方もいたようだし、もちろんこれはこれでイラストと捉えてくださる方も多いのだが、イラストレーターというより絵描きさんですね、と鋭く突っ込んでくださった方もいる。

    ペンで描くことを始めたのは、あのシャープペンシルの夜を意識したというわけではなくて、たまたま相方が万年筆を使っていて、一緒に使ってみたくて購入したのがきっかけだったけれど、
    線を大事にすること、っていうのはどこかでずっと持っていたのかもしれない。
    だから、美大受験のデッサンにあたって、線というものの存在を疑え、という方向性に馴染めなかったのかな。

    私は線を描くとき、
    一本で全て表して終わる、その繰り返しで絵を作っている気がします。

  • フランス リヨン駅

    2012/02/22

    活動記録

    最近ペンでひたすら描いています。
    これが何かの力につながるか、どうか、わからないけれど
    楽しくて仕方ないのかもしれない、いつになく意欲が止まらないのです。
    一日一枚、ツイッターにアップしていますので、続く限りはやってみたいと思います。

    仕上がりの善し悪しに一喜一憂するつらさについて、信頼する医師に話したところ、
    大事なことですもんね、と同意はされたものの、
    それで生きるか死ぬかまで考えますというくだりには苦笑されてしまいました。
    私の作品はひとつひとつ考え抜いて緻密に仕上げるので、そういうクオリティを維持しながら量産というのはスタイルを決めてしまって大量生産するイラストとは違って
    ちょっと大変だと思いますよ、と言われました。


    ささっと書くものと、緻密に仕上げるものとあることについて問われ、
    その時の体力と時間の余りでできる最大限を計算していると、そうなってしまうと思い至りました。

    時間の縛りを気にせず、あすに持ち越すつもりでいつか大作とか傑作を仕上げてみたいものだと思います。



    昨日、ホームページを一新して更新しました。

    http://www.geocities.jp/kaorisi_atelier/

    だいぶ見やすくなったと思います。
    まだ余計なものがちらほらしてはいますが・・

    どうぞご覧ください。




    ペン画はフランス、リヨン駅。

    いつか訪れたい場所です。

  • 100年というもの

    2012/01/20

    活動記録

    先日、パッケージイラストのコンぺがあったので、
    ボタニカルアート風の仕上がりのゆずの絵を描いていました。

    ボタニカルアートって、日本でも広がりを見せているけれど、
    私の知っているのはアンティーク市なんかで売ってる版画に彩色したものだったりするので、近年の日本の、わりとゆるやかな描写の植物画のイメージとはちょっと違うかもしれません。
    でもそういうのが好きなんです。古いもの、というのではなくて、単純にいいもの。
    私の思う「いいもの」、が、現代の作家よりも100年ほど前の時代に多いというだけですけれど。

    だから、時々、自分の美意識に孤独を感じたりもします。
    現代を反映させたいクライアントの要望に応えられなかったりするし・・・

    でも、100年後にも残っているほどのものを作ろうと思ったのがそもそもこの道を志した始まりに思った目標だから、
    理解されなくて苦しんでても、なんとかやって行こうと思います。

  • 最近のフォーカス

    2011/11/12

    活動記録

    祖父を描いた絵を祖父母宅の年賀状にする予定だったのですが、
    祖父の反対により、描き直しとなりましたので、あらためて笠取峠の頂上から浅間山を望む図にしてみました。こんどはOK出ました。

    年賀状って、目上の方にも出すし、自分の対人における精神状態の反映でもあるんですよね。客観性がなければそれなりになるし、かしこまっていればそういう風になるし。自分自身の登場が礼を失する、という先達のご意見にはひとつ勉強になったといいますか、人生経験の違いを感じたといいますか。同じ人間のもてる感覚としてある種、納得するところもありました。こういうわきまえを持っている方って、ほんと少なくなっているんじゃないかって思いました。いや、じぶんが持っていないだけかな?考えされられます。


    そういえばよく、他人の観点から眺めると、ということを私はやるのですが、
    そこが私の長所であり短所、かつ脆弱なところでもあります。
    だって、他人の立場に立ったまま自分のとこに戻れなくなってしまう人間ですから・・・あぶないしこわいですよね。モデルにする人をまちがえるとたいへんですし。

    ポジションを固めたほうがいい、とある方に助言されたことはそこらへんで、
    自分の守るべき範囲をきっちり定めないと、結局流されて何もなくなりますし対人関係にもひびが入りますよ、という忠告なのだと思います。
    じぶんでも心に重りをつけて、とイメージしたりするのですが、すぐふわふわしてしまいます。自分の作品の評価に関してさえ、自分の立場を見失いがちになったりします。そこが崩れると、作家としてはやっていけないですよね。
    ほんとうはどうしたらいいのか、わかりません。少ない人間だけの環境に身を置いて、静かに暮らすべきなのかもしれません。

    ある方に好評を博した作品も、ほかのある方にとっては何の意味もないことがあります。
    幻想的な作品しかり、写実的な作品しかり、
    また、作品としていい、というのと、イラストレーションとして使用する媒体によりいい、というのとの違いもあります。
    そういうさまざまに翻弄されて、自分を見失いがちになる、
    その危ういところに自分は立っている気がしてなりません。

    自分からやること、そのなかからしか答えは見いだせないのかもしれません。
    言われなくてもすすんでやりたいこと、
    あと何年生きられるかわかりませんが、寿命がくるまでは少しずつ衰えながらも自発的に体を動かせるはずなのですから、しかも平均まではあと40年くらいはある。その体を使ってやりたいこと、
    考えると生きてゆくことがわくわくすること、
    そんなポジションに照準を合わせることを、、まずはその地点を明確にして未来を思い描くこと、難しいですがそこからはじめたいと思っています。

    12年前、大学を中退したとき、私は何のビジョンも持てませんでした。
    しがみつくものがほしかったために次なる進路へ進みましたが、それは私のいまの責任感のなさや人間的な問題点と密接に結びついている気がします。
    根本へ戻りたいために、絵をかき、文を書き、自己分析にのめり、どうにか歩いてきましたが、またここで根本に戻ることを意識する段階に来ています。


    自分の使命と感じていることを。
    自分の生きている理由として、人類に貢献したかったことが、本当はなんだったのかを。
    うまれたとき、まず最初に感じたこと。
    生まれてこの方、どんなことに心を動かされてきたか。
    重い記憶のふたを、えいやっとずり動かしながら、
    もういちど自分の生きる意味にフォーカス。

    すべての人に意味は、あるんです。思い出しにくいだけで。
    たぶんすぐれた占い師などは、それが見えるんだろうな。

    ちょっと隠遁して考えてきたい気分です(笑)

  • 祖父の柿とり

    2011/11/06

    活動記録

    毎年、両親の年賀状に使う絵を描かせてもらっているのですが、
    一昨年から、母方の祖父母宅にも頼まれて、オリジナルのものを作らせていただいています。

    両親を描いた絵は、ホームページの「内村の里・点景」にまとめてありますので、ご興味の方はご覧ください。
    祖父母宅のは、牛だったりねこやなぎだったり、うさぎだったり、生物的なものが多かったので、あえてまとめずにおりましたが、来年の絵はついにおじいちゃんが登場することになりました。

    軽トラの上で、柿をとる祖父。93歳。

    これに色を付けて、文字と住所を相談して入れて、年賀状にする予定です。


    思えばPCがあるから、こんなことが可能になった。
    PCを作った人に、感謝。それを広めた人、私に使い方を教えてくれた人にも。
    PCを買えるお金をあたえていただいた方々にも、感謝。
    私に絵を教えてくださった方にも。絵を描ける時間を与えてくれている周囲の方々にも。
    画材や環境にも。
    感謝の思いで日々過ごせることの幸せを、最近ことに痛感しています。

    私の絵のいくつかは自分の研究目的とか、ありがたいお金のために、などと言っていることもありますが、ほんとうはほとんどが純粋な「ありがとう」、の代弁かもしれません。
    生きていることに感謝。

  • 画像のダウンロード販売案内とNY展示準備

    2011/10/15

    活動記録

    http://www.unisonas.com/pictures/pictures/mypage.php?member_id=152

    上記サイト、ユニゾナス・ピクチャーズでデータ販売を始めました。ポートフォリオとしてもご覧下さい。お気に入りがありましたら是非どうぞ。もしサイン入りがお入用でしたらお聞かせ下さい。オリジナルプリント扱いでこれよりは値段高めの有償ですがお送りするなどできると思います。

    サイトはずっと前からアップしてたのに、公開設定にしてなかったことに気付いて昨日変更しました。ごゆっくりご覧下さい。



    最近、NY展示の準備としてステートメント(解説文)作りに没頭しています。

    翻訳家さんが英語圏向けのアーティスト・ステートメントに必要なおきまりの事柄を教えてくださったので、それをもとに文を作り直してみました。さらにサイズ等いれる場合もありますがこれは省略可らしいし私もコンセプト的なこだわりはなく製作法からサイズが大体計り知れる技法なので、文字数制限を鑑み割愛しました。

    あちらでは、なるべく具体的で、ステートメントから作品が想像できる様な文を作るみたいです。自分で自分のこと他人のように説明するって日本的な感覚からは奇妙だし難しいですね。
    ---------------------

    風景、幻想、植物、静物、動物、などをモチーフとしながら、特異の繊細な線表現を駆使し、
    やさしく内省的でときに機知に富んだ解釈を見せる形や構図を作り出している。
    静物的モチーフとの対話は、幼いころより寂しさや孤独を感じることが多く
    物質と対話し物質をとりまくみえないものや、ものの存在の深い意味を読み取ろうとしてきた特質のあらわれでもある。
    作品はトレースやスケッチブック上にペンやシャープペンで描いたものを、PCに取り込み再構成したもので、
    印刷後にさらに手を加えたりすることもある。手漉きの竹紙(和紙)へのプリントも試みている。
    モチーフとの深い対話により構図や解釈を得ることはシャーマニズムの脱魂とも似ていると感じる。
    (「塊茎」はカバラの「生命の樹」に類似するとも指摘された)
    物理学的な視点も含めた世界と美の探求が制作姿勢の根本にある。
    目の前の空間に宇宙のしくみが宿る瞑想に従い制作することを使命と捉えており、
    人類の幸福にも文化の発展にもつながる確信を持てる制作を目指している。


    ---------------------

    何だかどうしても抽象的になりがちです。
    もうちょっと練ってみようかどうしようか、
    もう時間もあまりないので最大限頑張ってこれ以上できないとこまでいったら、
    翻訳依頼しないと。。

    今日、翻訳された経歴をいただきました。

    Kaori Yamamoto

    Born: Nagano, Japan in 1977



    Awards:
    2002 Bronze Award
    WHO Kobe Centre’s Global Image Contest

    Publications:
    2007 Monthly Magazine “Shokuhin-kougyou (Food Industry).”
    Korin Publishing. Tokyo.
    Cover and index illustrations and through the year 2007
    2005 Monthly Magazine “Shoku no Kagaku (Science of Food).”
    Korin Publishing. Tokyo.
    Cover illustrations through the year 2005

    Professional Experience:
    Designed and created illustrations for restaurant advertising, stamps,
    greeting cards, food packages, and magazine covers.

    Solo Exhibitions:
    2011 Tateshina Craft Village, Nagano, Japan
    2006 Seidenstrassen, Nagano, Japan

    Group Exhibitions:
    2011 Art Imagine Gallery, Tokyo, Japan
    2010 Duo Exhibition with a Japanese photographer, Naoki Fujisawa
    Tateshina Craft Village, Nagano, Japan
    2008 Mireya Gallery, Tokyo, Japan
    Duo Exhibition with a Japanese photographer, Naoki
    Fujisawa
    Pottery Studio Tosenbo, Nagano, Japan

    Education:
    Ibaraki University, College of Education, The Art and Culture Course
    April 1997 March 2000


    英語で正式に説明されると、ぴりっとします。
    翻訳依頼してよかったし、展示のお話をいただけてよかったです。

  • ちょっぴりダリアな気分

    2011/09/21

    活動記録

    ダリアと書くとだるいのが和らぎます。たぶん。

    ストリートミュージシャンの仲間入りをした兄の誕生日がじきなので、
    気持ちばかりですが一輪郵便「はなてがみ」を贈ってみる事にしました。

    自由に選べる一輪のお花を郵送でポストに、というこの企画は
    グッドデザイン賞もとったそうです。はじめて知った時、なんて素敵なんだろうと思いました。今後拡大していくだろうけど、本音を言わせてもらえばあまり有名になってほしくないなー、もらった人がはじめてこういうアイデアを知って、おお、いいね!と思って欲しい・・・そんなことを思います。

    ちなみに贈る花はダリアではありません。あしからず。


    最近、物語をかきたいなあと思い始めて。
    じつは以前にも、てなぐさみに妄想やら幻想の類をまとめて形にしてみたことはあるのですが、そこからちょっと離れてみたくて、あえて文を書かない日々を送ってみていたのです。二年くらいかしら、だいぶ、文との付き合い方もかわってきたし、考えることの立ち位置も変わったように思います。少し冷静になれたかな、いやまだまだかな、そんな感じです。

    久し振りに文と向き合おうと思ったら、手が動かないのですね。
    で、同人でなかなか素敵な純文学系の文を書いてる相方に話を聞くと、遊びやスケッチみたいに情景を描くのを繰り返していると、そのうちそれらのピースがはまりはじめて、集中して書けるようになってくる、自分はそういうやり方をしているね。と言うのです。


    私は以前自分だけで書いてたとき、ノイローゼのように集中してしまうかき方をしていたのですが、いま、ちょっと自分が変化したときに、集中の仕方に戸惑っていたんですね。
    ヒントをもらえて、書くのが少し楽になりました。まあ何しろブランクも変化した調子もあるから、様子を見ながらですけれど。やっぱりイチローの言うバッティングが生き物、というのと同じで、文筆も生き物なんですな。


    以前というかいまもかもしれないですけど、絵をかくときにもおなじ感じがします。
    やっぱり動きづらくて、線がのってこないときがあったり、集中できなかったり、ってことがたくさんあります。遊びみたいにかいてみてるうちに動けるようになってくることもあるかもしれませんよ、と主治医にアドバイスをいただいたりしたことも。

    実際、うまく行くときって、無駄なことが無いんですね。一見、無駄に思えることの先にちゃんと足場があって、次の枝に飛び移れるようになっている。何枚下図をかいても苦労じゃないんです。自分の状態の問題か、やり方の問題か、みえないのが心もとないのですが・・・
    そのあたりを自分でコントロールできるようになってくれば、こわくないし内容もよくなっていくとおもうんですけど。一作つくりおわると崩れてしまう砂地の塔のようなこわさといつも隣り合わせなのです。

    ツイッターで、名言を集めたbotをフォローしていますが、
    今日、こんなものがありました。

    meigenbot 名言bot
    食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない。 (Leonardo Da Vinci) http://amzn.to/jV9uBs


    ひょっとして私の活動って、欲望不足なのかもしれません。
    つながるもの、続くものを無意識に避けている、それは責任逃れ?それとも欝?

    もう少し人生を素直に楽しむことをを考えながら
    生きてみたいと思う、秋の昼下がりです。

  • 2011/08/26

    活動記録

    この時期は年賀状の依頼が入るのですが、今年はダウンロード販売の話など。
    暑い時期に、年末の気分を思い描くのって、結構難しいんですよね。
    根が、周囲の環境に左右されやすいたちなものだから、自分のコンディションというか、
    気持ちの持ち上げ方というか、集中の度合いには気を配らないといけないのです。

    たとえば写真を見て書くときなど、実物を見て書くときと同じかそれ以上のライブ感が持てるように、ちょっと病的なほど入り込みます。
    以前、ひどく体調を崩して精神科に入院したときに、主治医の先生が私の写真と絵を見比べて驚きました。写真はまったく絵にならないのに、抽出されたものを見ると構図になってるところがすごいですね、とか。
    私の感覚としては、見えているものをかいてるだけなんですけど、他の人が見るその写真と、私の見ているその写真の使いようというのがずいぶん違うみたいです。わたしが逆に驚きました。あー、私って、常識と思ってたことがまったく常識はずれのとんちんかんだったんだなーとやや落ち込んだほどです。

    人の世界の認識方法って、カメラのレンズとも違うし、なかなかこれと言語化や表現がしづらいもので、デッサンはそれを冷徹な3次元認識に近づける方法なんだろうけれど、
    私まだデッサンの目的とするところと、表現が目指すものとどう自分の中で折り合いをつけたらよいかわからないでいるんです。というか、描いてしまえばそれが現時点での答えなんだけれど、言語で整理しようとすると、あわや混沌の渦にのまれそうに。

    どなたかクリアな説明をしてくださいませんかね。

    掲出の作品は、辰です。(竜です)
    以前に所属している団体で、辰年の年賀状の大量募集があったのですが
    西洋の竜のデザインがやや不足気味という話がありました。
    結局それには間に合わなかったけれど、
    星の王子様の下へ愛するバラを運ぶような、素敵な竜がいてもいいじゃない。
    ということで描いたデザインです。

    皆様のもとへも、愛するものが届きますようにお祈りしています。

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