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2021/09/27
「俺らは幸せの物体で良い。」
夢では貴なはなしはない、邪馬台国は
多分、九州。「卑弥呼がいたと多設けしようとしていた大阪さんはわいでっせ。」地下鉄御堂筋線で登場した「萬田(仮)」
先生、完全な無知が売れるのは、そんなクズを炙り出す審美のもと。固定観念を覆しつつ、正しい掟を、さえ、助けようとしたんや。大阪さんの示唆は深層10000メートルは有った。皆が守られますように。この花が、千代に八千代に。カタン、コトン。
…ちゃんとおとなに為ってから“出会”ったんや。わては、正統派や。
どや、結局学説がになってる。詩は詩、学問は学問、物事をあるがままに動かさへんこの(あんた、アリエッティ入れろゆうたやろ、食いもんのバラエティと詩は違うんや、どあほ。)アナさながらの美しい氷山の城、この大阪のさくらの姿。
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2021/09/27
最近は江戸っ子の精が飛び跳ねて遊びに来る。
包装加熱製の白米は、260円程で3個パックがお買得。だが、280円で6個パックを選ぶ。目的は、半量が茶碗一杯として、20円で時間とやさしさを購入する。そのこしひかりを私たちは囲って、「北国のやつは危ねぇ。」
一軒挟んだ向かえ、その向かえに住む伯父は誠吉と云う、たまに行く私は、新潟から送られた純米を炊かれ。卵の入った味噌汁と食べる。玉出の惣菜と、そのひ。NHKや、深海魚の泳ぐ50インチのテレビを背景に鋭い誠吉の目がひかる、「おっちゃんは、見とるぞ。」魚の口元が、ゆっくり開いて少し笑う。
「まさこ、遠慮はしたらあかんぞ。」
誠吉っつあん、と云う伯母のキヨミが私は羨ましい。“口先”が垢抜けて居り私は飛んで遠慮し、ぞぞっと息飲んでその部屋で孤独になるのだ。
後はずっと黙って居る、えらい懐いてくっつきお昼寝を楽しむ、健康も市民プール、清水谷にはよくキヨミにつれてもらい、実母とも周りは思ったが、つらく当って私は、わかく、成ったら成ったで、世間や年寄りをえらいきらったから、誠吉が、此れの此れまで嫌がった事をすっぱく息を吐く、私の反省点を数えていたのだから。其れと知るのは、この何となく日が過ぎて、3たす4の7時くらい。
東京弁がわかるのは背が高くなってから、短くて深いのが桜。
でも「私」の歩くぺーすが遅いから、風が角がよくあたると思った。私は、死にたくなる、その時に風がヤカンに為って熱々する、ああ忙しい、、って、ちょっとお待ち下さい今沸かしてまーす、ここは何の家庭やねーん、客間はないです、小さな夢だけ。「我(われ)を、我とも知らんで。喋りたい、会話がしたい、」たたくな、みずや。どうする、こうしたいじゃない。
六本木の鉄の音はエスカレータで聞く。
「ああ、若し羽柴の天下とりの一端、北国が寝ているなら寝ているで良かったが、汚れない雪が知らないあいだ、歌われ何となく傷付いた、こんな氷のようなものを、みはかられて、」ご飯もほろほろした、この次に冬がやって来る、こころをぎゅっとした九月の末。
「北国は危(アブ)ねぇ。」そんなんわかってる、雪が降ったらと思うとたいへんだ。だれかがせき止めた、雪達磨!
ガテン、ひとを傷付ける私だもん。本物(イキテル)の人間は、塵芥化(ごまか)した川、美しさよりも強(た)ける。から、のろいは皮膚は痛いのか、私達は仲良くなれるのか、あ、ひが沈むで。
朧な卵に胡椒を掛け、それと食べたしろめしはもう腹の中。今日は、こしひかり。ふくろはごみ袋。
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2021/09/27
心を痛めることはない
2021/09/26
芸術に男はいらない。
ただ男が私の相手だ。
絵画を、全ては描いていない。
愛を描けていない。
益々作品の創作に取り組みたい。
できればインドで。
(最初にそのつもりだが、冒頭や主語を書かないあくの習慣が。)
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2021/09/27
偬、万葉集が好き、母方の祖父の先祖が奈良と云うこともあって、書きかたが鹿臭いが、
一方した京都は平安時代の「古今和歌」。“かんがえ”は固い内容。大阪より北摂、北をこえたら振り向き手は、何か大きそうな摂津にほほえむ「大阪の子」よ私、振り向きざまに。すると、大阪さんは、藩士や国が何だかを、纏めて、いちはやく自分なりに感じてい、「事々」をちゃんと知って居る。事々をふまえる。
そういった、姿勢ではないが
真似して居たら、
良いことがありそう。
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2021/09/27
人が誰だか覚えている。
色んな興奮が冷めなくて、そそうをすいません、明(あ)くまでこのことばを割って、あうて行く。コトバが乱雑であるが、猫のように楽しいと思う、栗暖簾。ト、演劇“さるかに”は久しぶり弥ね(うそつき)。
サンキューどおりは、有名だが
それを何かは決して知れないが、そこから
東に向くと(隠語である為、なので、と柔らかく伏せます。「回文」的には、朝を指す)
長堀を超え、有る末吉橋の姿はわりとしっかりしてる。東横堀川沿いに、紙幣か何かの建っている脇に「酷摘み」とうとう書かれた蒔絵が立ち並んで居るので、此処はお立ち寄り下さいね。
酷摘みは、ともすると自分だけのふ幸などを云い尊さを書いて表して居ます。個人や個性、オリジナルの事かしら、「ぱちもん」のCHANELの靴下やヘアゴムを持って居たが、本物よりかわいいと好評だった。後は、それがビトンの財布では、「布団(ふとん)」と笑って居た私の十代。
此橋から臨むと、川の上、東横堀(ひがしよこぼり)には何と高速がでかんと真上に走り、周囲はいっとう暗澹と為って居る。
之はおそらく、何かに付けてものを投げ出す大阪さんの事、いつものことで有る。「もうええわ、ずばーん。」と引いた、川に、高速…。川が、実は堀(人工)だと云うのでま逃れた。しかし、それは末吉橋。末はきちを云って、幸福を歌うのだぜ!
どうなる、大阪さん。
もえぎ色をした水面をきり抜いたる巨大な柱が、古代的にそれらを、語り出す。
闇を浴びることでその裾の「まっちゃまち」がいまも全然白っぽくなく現存して居る、
セピア、飴色を維持したまんまだ、とろんと季節や時を仰いで哀しみだのをいつくしく、想う時期には鶴見緑地線のクリスタ地下通りを開設。大人の暗さ、その明度、とお洒落。
家がちかくなので教えてあげるが、松屋町での看板は角の増村人形と有るが、アーケードの影を歩く程、深々とした「表情」に出会える。その裏に瓦屋町が有って、郷土史に書いていたが瓦を作って居たのたそう、だからその先は凹んでるのだけど、桃園と云う所で、冬に育つのだから色々渋い人が多い。賑町と云うのが下町だ。ボロ屋がかわいい私の家は伯父が鞄工場をして居る。春風から贈られる夢は、からくりなど、祖父は印刷所を立てて居たらしいが、私が母と二人で住んで居た時箪笥には喧嘩した際「死ね」の文字を刻んでる。凝した私は恋をして春風と向かう文楽座は、南に歩き続けて千日前の大きな交差点を右いったら、玉出を通って直ぐ。横転して、かすり傷をゆるしてもらったのがDAX50の中古車。
そんな風にどこへ淀むねを、大阪さん、絵画的なのが何して居てもで、神様(かみよう)が難波の都を隠蔽せざるを、なにわのみやはけっして目立たない公園で有る。と、我の鷹(たか)ぶり。
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