揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 仏教とキリスト教

    仏教とキリシタン、

     

    国をかけて偉いことと、
    個人的に偉いこと。

     

    どちらも偉い、啓蒙しているからだ。


    では、二つに分かれている。
    哀しみ(佛子)の因縁が何か? 「問い」を埋めるように書いている。

     

     両者は先っちょが違うのだ。
     人が個人として偉く、其の中に、国、心、宗教への愛が溢れて居て、こういうこの方法での成功(此の前提を備えたのちの「成功」という意味に於いて)は、輝きがある。目に見えて
    輝きといえば、分からないところがあるのが日本だ。そういう特徴がある。人が国の思想の権化であり、そうあろうと云う事で民(ひと)に認められる。国の思想を頭にして、後はどこ吹く風か、詩情のあるようでないプライドが我々の感性的に治まりきらないので、キリシタンには上がることは無い。
     何故先に国を歌うかという、それは大人に成長した「私」が、啓蒙した「私」が、感覚的に、他の為を想うのである。
    不完全だが、他国の方、異なった宗教の方にはご了承を願う。
    此れも、日本も、持って生まれた貧しさだからだ。私は此れを隠し続ける。一見して宗教こそではないが、そこには、永いあいだ研ぎ続けられた「道」と云う美学にしろ何と解釈しても、考えが、これが光を持ち、私たちは集合したのである。皆様に輝きや想いがありますように、光に願うばかりだ。(祈りもまた磨きを入れられる道なのです。)

     

     

    何が愛か、いとおし。今一度。

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  • 今の「私」という言葉

    生き方には、

    押し上げていくやり方と、

    佇むやり方がある。

     

    いずれも上品であるとは、何と人を元気付ける。無私とは、人に安心させる構えで迎えてくれる。

     

    「私」と云う言葉を使うのは子がいるからです。ゼロ歳から施設に居て余り育てられていないのですが。

    まぁ、それにしてもあなた自分が子供の頃を覚えてますか? 傷つけ、傷つき、友達や日常の中で育った。

    それと、親の元気が何よりではありませんでしたか?

    自分はそれだけを考えて、例えば母子が離れているのなら尚更、子も親も想って居て、

    親が先に、経験と知識を持って未来をとっ捕まえてやるならば、自覚することは、子にも人間関係があり、一人じゃないということです。だから私は子どもたち、と云って愛しく思います。その次世代もあるんですよね、考えるとビックリ。

     

    タダ輝くと云う事が美しいかはわからない。

    誰か、何かへ豊かさを齎す光になりたい。

     

     

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  • 揶迫について。

    夢は夢だらう。

    いくら才能があったって、

    人が、選ばなかったんだ。

     

    悠さん、いっちょ哀しみましょう。

    宇宙の涙、僕が零します愛おしさ。

    ぽろんぽろんと響くのが、残った塊のことを、

    花弁一枚、幾枚、愛に

    あなたそれら映そうと思う。

     

    私も亦目を磨きたい。

    越えていく信憑を、

    驚いたのであるが驚くまで

     

    何のわたし達の哀えない事。

    知らぬふりをし、笑い合う。

    簡単に理解しないと云う事が、安直にもあきらめずに居て今だ不安だ、生きていたとか、壊滅してない、

    その事の「希望」を持って書く。いつものように、彼女から走って逃げ切る事に

    まだまだ立ち向かうつもりだ。

    生きていたとか、壊滅してない、その証拠としてそばにいて欲しい人がいる。

    悠さん、私は失敗をしますかもしれません。

     

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