有田やもり

絵描き 

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    Works 49

有田やもり

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有田やもり

絵描き 

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  • 絵本が仕上がった

    籠って作業、なんとか絵本が仕上がる。あああ肩が痛いよう。
    こんなにうさぎさんの絵を描くなんて柄じゃないよう。
    気に入りのページの絵をrakugakiのフォルダにup
    ドラマールなうさぎさんである。ピカソである。

    古いベレー帽を引っ張り出して刺繍が入っていた上からコサージュとチャームをつける。ヤモリ足りなさにさっそく手を打った。
    頭に(も)ヤモリつけちゃうもんねー。
    これで少しはヤモリ足りなくなくなったであろうか。

  • ヨロズネコとゆうからには

    標本師、冨田氏にお目にかかる。
    薬品を多用しそうな独特の作品群なので
    いかようなマッドサイエンティストが出るかはたまた鬼か
    と思っていたら好青年であった。
    「明朗な若者」という言葉が似合いそうな方であった。
    しばしの談笑。少し緊張。失礼なことなど言わなかっただろうか。。
    あああ行動してしまう割に小心者な我とわが身よ、・・・くたばれ。まったくもう。

    出かけた足で千駄木のギャラリーフリュウで開かれている「萬猫(よろずねこ)展」をのぞきに行く。初めて足を運ぶギャラリーである。地図を見ると近隣に別線で白山駅が。白山て小さな画廊ギャラリーがぽつぽつあるところではなかったっけと思い至り、歩いてみることにした。
    失敗であった。
    花粉の季節に散歩だなんて馬鹿か。馬鹿だ。
    くしゃみばかりしながら猫をみるも、猫をみるも、次の猫をみるも、、ふうむ。
    物足りな・・・猫足りない。ねこたりないなんて言葉は今作ったけれど
    猫足りない気がする。
    以下すべて展示の趣旨とは関係ないところでの個人の感覚であるが
    あれの8倍くらいの数の猫、作品数にカウントできなくともとにかくもっとねこねこしないとヨロズとゆうには猫足りない気がしてならない。

    ああでもしかしそんなことを言ったら僕などまったくもってヤモリ足りない。
    みょんみょん違ったもんもんとしながら再び花粉の道へ帰るも
    ヨロズという言葉が前頭葉に張り付いて離れず
    あ、また眉間のしわが「ぐえ」の形。

  • 桜餅にありついた

    髪の毛がごっそり抜けるおぞましい夢を見て目を覚ますと高熱が出ていた。
    すわインフルノギか。
    インフルエンザの疑い、を変換もできずに再び休む。
    昼過ぎに目を覚ました時には下がっていた。
    頭の中でフィラメントが焼き切れたような、そんな感じ。
    脳内電球の付け替えの時期、だったのだろうか。
    そして脳内電球ってなあに。

    くだんのわるだくみ。
    実態なき読書サークルを立ち上げるわるだくみをしている。
    趣味というかなんというか、ものづくりの一環である。つもりである。
    企画書ができたので各地に転々とする会員に送る。ふう。
    悪いことは何もたくらんでいない、いないのだけれど、「幼児の描画における特有の表現形式について」なんかを記述用にノート、もとい余白にまとめたりしながら同時進行しているとどうしてもわるだくみをしているような気分になるのはどうして。どうしてだろう。どうしてって3回も言った。

    夕方外出して桜餅にありついた。
    桜餅である。桜餅なのである。桜餅!

  • 桜餅を食べのがした

    ショックである。
    無かったのである。
    このところ毎日欠かさず食べていたのだ。
    楽しみにしてたのに。。。
    恋しいので、即興桜餅の歌を作り小躍りして気を紛らわす。

    依頼をたまわっているフクロウの作画に苦悶。サイズが。
    どうしても可愛くしたい、かつ、含みを持たせたい。
    10数mmの間を迷い迷う。ふむ。
    絵本の方が締め切りが迫っている。ふーむ。

  • ごまだれはごまだれと付き合うべきだ

    旧友、かく語りき。
    気がつくと友がごまだれとゆずぽん酢について熱弁していた。
    ごまだれはごまだれと付き合うべきこれは確固たる事実であり、ついでに自分はぽん酢である、と。
    ごまだれとゆずぽん酢について熱弁を振るう友がいることを好ましく思う。
    その友が近々海老フライについても語ってくれるという。
    ごまだれ、ゆずぽん酢に加えて、三部作の本が書けそうである。

    かくゆう僕はどうもチヨコレイトの星の下に生まれた。ような気がする。
    確信はないがそんな気がしてならない。
    チヨコレイトは好ましい。好ましいが、それをふれて回った覚えはない。
    それに好ましいのはチヨコレイトに限ったことではなく、例えば良質なこしあん、由緒あるカステラ、料亭のプディング、なんかも好ましく思う。桜餅もよい。
    しかしチヨコレイトである。
    どうにもこうにも集まってくるのである。
    6箱積んであったものを平均して月にひと箱消費してはや半年、やっと最後のひと箱にたどり着いたと思ったら、セントバレンタイン、来れり。
    ありがたく頂いて、バレンタインが去ったら、なんかまた箱で来れり。
    困ってはいない。只、不可思議なり。
    地脈や金脈のようなチヨコレイト脈の上にでも立っているのだろうか。
    それともやはり、あれか。
    チヨコレイト星か。

  • 椿の精と話す夢を見た

    標本師冨田氏の『透明標本展』を見てきた。
    生き物の形とはかくもはかなく美しいとしばし時間を忘れる。

    外に出たついでに花粉の中を漂流して余白もといノートを4冊買って帰る。
    余白は増えた。しかしなんか頭の中がメモでいっぱいである。
    困った。
    出力の季節が来たのか。
    少し、今年やりたいことが見えてきている。
    しょっちゅう仇になりややもてあます集中力だが、大いに振るう時が来たれり。
    だからであるから、花粉なんかには構っていられないのだ。
    明日からエバステル錠をを5mgから10mgの倍量にしてやるのだ。
    花粉め。


    冨田氏の『透明標本展』会場

  • ぐえ。

    制作途中絵本の本描きに入る。
    移動先にて、絵具とペンとラフとラフとラフを広げて畜生机が狭いな畜生って言っちゃいけないみぞおちあたりがふわりとするような感じで集中して畜生あと3本手がほしい畜生って言っちゃだめ。
    描くといつものことだけれど、やや集中しすぎて吐き気をもよおす。
    眉間にしわ、「ぐえ」の二文字を体現しているであろう表情のまま、りゅらりりゅらり帰路。ごみみたいな交差点で、や、月が出ている。
    手帳を見ると本日は三日月とある。ふむ。おぼろ三日月である。

    やや自虐的な気分である。我とわが身よくたばりたまえ。
    いけない。自らを勇気づけるために、脳内にて、天狗舞をまう。
    天狗舞を見もうな、
    天狗舞を見もうな。
    勇気づけたとて、顔が「ぐえ」の状態ではだめ。寂寥の荒野にあるぞかし。
    ぐえの顔のまま天壁を仰ぐ。たぶんまだ月は出ている。

  • 牛乳はどうしても必要

    牛乳を買いに行く。
    つい最近も牛乳を買いに行った気がするのはこれ事実で、独居であるのに僕は1Lパックをほぼ2日で消費するのであり、これによって1週間当たり平均3回は牛乳を買いに行くことになる。
    背が伸びないものだろうか。
    牛乳を買いに行ったついでに、冷蔵庫の住人等と脳内会議をしながらじゃがいもをひとつ28円、にんじんひとつ30円、それに油揚げを買う。

    偉大なる先人たちのおかげで、絵描きというものは女人を買って抱くついでに描いたり耳をそぎ落としたりした挙句酒だの薬だのでろくな死に方をしない人種であるようなイメージをもたれやすいが
    昨晩のようなことも時折起るが、僕は牛乳やじゃがいもやにんじんを1つずつ買って
    つつましく生活している。

  • 余白を持つということ

    言わずも知れた、なんて嘘をついてしまった。
    本当は大して口外してないのであまり知られていないだろうと思う。
    ノートが好きである。
    しかしこれはノートに限らず「紙が束になって端がとじられた形状のもの」が好きなのである。例えばノートしかり、本しかり、用途を失った書類の裏紙を適当な大きさに切って作った簡易メモ帳しかりである。

    ノートは、さまざまなことを書き散らかすのにどうしても必要なものであるが、それにもまして、未だ何も記入されていないましろなノートの貴重なこと。
    それは余白である。
    僕の焦がれてやまぬ人物は(本の中に登場する架空の人物なのだけれども)ノートを買うことは余白を買うことだという。
    彼は余白に自由に世界を創造する。それは永遠にして無限。
    絶えず白紙のノート(余白!)を10〜20冊程度所持する僕だが、件の人物は200冊程度はくだらないという。僕などまだまだ青二才である。

    気分が落ち着かなくて困る。
    久しぶりに、一番強い睡眠薬をぶち込んでウイスキーをぶち込んで
    あぁ、明日、生きてるかな。

  • てふてふ帳

    言わずと知れたノート好きである。
    日記などものを書き散らすためのノートがいくつかあるが
    内一つを思いついた物語のかけら的なもののメモのためのものとし、名を考える。
    片手に収まるA6のそれには表紙に蝶の写真を貼った。
    絵にも描いたCalitheaOptimaである。
    つまるところこれは蝶々ノート、ちょうちょうちょうであるなとことば遊びに興じつつ、命名。てふてふ帳。

    制作途中の絵本の構成を進める。素材のサンプル表を制作する。
    して、あとは学業、ううむ。

    画像、細かなものが自然あつまってしまう。
    タツノオトシゴさんだけ魚類である。

  • アリ喰うアリクイもすきずき

    水面下にて、大変個人趣味的な小規模の制作団体を作るために手配を進行。
    新しい企画わるだくみである。腐腐腐。

  • アル中ですか

    アルコール中毒? いいえアルコール消毒中
    脱脂綿にマリンブルーのエチコール液をたっぷりたっぷり含ませて
    あれもこれもきゅっきゅ。磨き上げる。
    眼鏡のつる、携帯の画面、普段使い万年筆、気になったものは何でも。
    ご機嫌なので即興エチコール液の歌とか歌って。
    磨き上げる。
    愉快である。
    アルコール消毒中毒。

  • オオタカ用モデルルーム

    学名 Accipiter gentilis
    猛禽類 タカ目 タカ科 オオタカ

    の、専用モデルルームなのである。
    自然調査の仕事にあたる友人が送ってくれた画像である。
    オオタカの繁殖用の人工巣だそうだ。
    全部で6つ作ったという。分譲住宅である。
    すてきすてき。

    本を読むために。
    室内でベッド以外の場所すなわち絨毯の上でごろごろと本を読んだり少し眠たくなったら眠ったりまた本を読んだりというのは是至上の贅沢である。僕個人にとって。
    して、この贅沢を支えているのは気に入りの絨毯であり、温かな紅茶であり、それに注ぐ琥珀色のザラメ糖であり、また、ペンギンさん模様のブランケットであり、ふかふかのクッションである。
    仏蘭西料理のフルコースが食べたいと言っているのでもないのだから、僕は自分のこの贅沢を叶える為に行動することにやぶさかでない。
    あちこちをゆらゆら漂流した末、牛柄円形のクッションを抱えて帰る。
    牛になることはどうしても必要なのだからこんなにうってつけな物もない。
    オオタカのお家に負けないようにとせっせと行動してゆくといずれかは部屋の床面がクッションで埋め尽くされてしまうのではないかという懸念も脳裏をよぎったようなよぎってないような気もするが、まあそれもよかろう。
    その際にはクッション自らがクッションとしての身の振り方を主張するようにもなっているだろうから、おのずと、クッションらはクッションらの好きにするであろう。


    オオタカの画像byWikipedia

  • 雪の2月はよきもの

    朝カーテンを開けると家々が白くなっていた。
    雪の降る2月はよきものである。
    寒さは大の苦手ではあるが、しかれど雪の降る2月はよきものである。
    むまさうな ゆきがふうわり ふわりかな
    かたゆきかんこしみゆきしんこ きつねのこあよめほしいほしい
    あめゆじゆとてちてけんじや こゆきのかかってちぢこまる
    頭の中で雪の詩を暗誦すると頭の中にまでも雪が降るようだ。
    冷たい外気に収縮する血管、とくとくと平常より早い鼓動、
    冷たくて冷たくて冷たい。きりりとひきしまってここちよい。
    雪の降る2月はよきものである。

  • あれが切れるとやばいんだって

    本当、切らすとまずいんだよあれが。
    いつも持ち歩いてなきゃ嫌だし、部屋の中にも作業場にも手に届くところにあってほしいし、枕元にがっちりストックがつまれてなくちゃ不安でしょうがないし。
    不安になって、街をおろおろと探し回っても手に取るたび、手に取るたびに砂になって崩れてくような感覚さえ覚えるようになって。
    無いとやばいんだって。あれを切らすとかありえないんだから。
    だから、あれですよ。読む本が。

    机上とキッチンのカオスをやっつけたら日付が変わっていた。
    それ、働け働け私。
    しかし、部屋が、、
    何というか、本と美術とが好きで好きで仕方のない奴の部屋の如くになっている。
    せっかく作業場と分けられたというのに。
    てゆうか本がないんだよ本が。読みたいものが。
    だからだからだから本が無いと困るのですってば本が本が本が。
    禁断症状。

  • 机上がカオス、珍妙なバーガー

    机上に珍妙なバーガーが出現した。クレープでもよろしい。
    下から順に、資料、ノート、資料、資料、ラフ、ラフ、資料、ポット、空き缶
    とんだサンドウィッチである。
    やや切羽詰まっている、たぶん。もう机上の空論とかそれどころではない。てゆうかPC方面に崩れたら事だ。

    始終首をひねりながら学業の論述を一本。今週はこれで2本目、あともう1本。
    短期記憶で叩き込まなくてはならない事項が複数。
    なぜか描くことになっている手作り絵本のラフ、ラフ、そしてラフ。
    なのにそれなのに、水面下で小さな企画計画を進めている。なのでそれのアイディアスケッチやロゴマークのデザインラフなんかも転がってて、嗚、カオスカオス。
    デザインは久しぶりなのである。マークデザインは、それこそ我がヤモリマーク以来。
    デザインであるのだから、、、やはり何種類もラフ描いて展開して再収縮してプレゼンして決定するのが筋なのであが、やはりどうしてもファインであるのでひらめきとかフィーリングなんかが先行してしまう。まぁいいや。

    机上のカオスはいずれ片がつくとして、珍しく、いや本当にらしくなく、小さな台所にも例のバーガーが出現している。これこそ崩れたら大変に事である。
    それ、働け働け私。

  • 古いメモを見返すと訳が解らない

    日記「飛石の再来」より、メモ
    —バレンタインまみれ
    —のべつまくなし
    —テク魔熊野根、野生に生息する怪しげな根菜類
    —プチプチ廃人withエアパッキン
    —ねずみのいれずみ
    —愚の骨頂たるやない
    —忙しいモラトリアム人間
    —夜は寝るべきだ

  • 日常の子鰐

    子鰐の姿をした日常に噛まれた。
    子どもとはいえ、ワニなので痛い。
    絵描きなのにうっかり利き手の指を二本も噛まれてしまった。
    かくも日常とは時として牙をむくものであるか。ワニの姿で。

    働かない頭を引きずりながらも、追いつめられて学業の論述をちょっとありえない時間で仕上げる。後で確認しなきゃなあ。気をつけていても夢中になるとつい「しからば」や「しかはあれ」が文中に紛れ込んでしまう。彼らは論述には向かないのだ。「たるやない」や「これいかに」なんかも。
    空っぽの頭でテーブルの上のファーブル—或いはフェイブル—机上の空論をでっちあげる。論述はあと2本あるのででっち上げ作業は続く。

    2日に1冊、以上のペースで本を読んでいる。
    1日に2枚、のペースで肩に張る鎮痛布を消費している。
    「そうはとんやがおろさねえ」と声に出して言ってみる。言ったことがなかったから。
    愉快である。
    明日もワニはいるだろうか。

  • テーブルの上のファーブル

    1月の(20010年の)展示に出した絵「みどりの鳥は眠い」をアップ。
    長年の友人にしてイラスト描きにしお氏がやってきたのでにしお氏のページにも飛べるようにする。

    桃色が尾を引いている。
    どどめいろに澄み切った瞳をしている。
    働かない頭を引きずりながらも、ゆく。

  • 煩悶

    大切な友人を助けられたらどんなによいか。
    力になれず歯がゆい。
    否かゆいどころではなく、ひたすらに痛い。
    私にできることはただ彼女を応援し愛すことである。
    がんばれ。どうか。

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