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2009/09/17
ふくちゃんが、庭で変な草を食べていたから、ちゃんとした猫用の草の種を撒くことにした。
庭の隅の、雑草の生い茂っていた一角を開墾して、そこへ撒いた。何日かして生えてきた猫草の若葉を、さっそくふくちゃんは食べはじめた。見ていると、短く生えた猫草の上に寝そべって食べている。おなかの下に土の感触がひんやりとして気持ちいいのだろうけど、何となくぐうたらした食べ方である。みゆちゃんは、そんなことはしない。きちんと座って食べる。
庭の猫草はふくちゃんがほとんど食べてしまったので、部屋の中にも猫草を置こうと、今度は、小さな植木鉢に種を撒いた。数センチ生えてきたところでふくちゃんが食べ出したが、お行儀が悪いというか、癖が悪いというか、まだ根のしっかりしていない草を引っこ抜いて、植木鉢のまわりに散らかしてしまった。これでは食べ頃に育つ前に猫草がなくなってしまうので、十分に育つまでふくちゃんに見つからないように隠しておくことにした。食べ方は相変わらずぐうたらしていて、やっぱり寝そべりながら植木鉢に両手を掛けて、猫草をなぎ倒しながら食べている。
ふくちゃんは猫草が好きでよく食べるが、あまり毛玉を吐いたことがない。胃の掃除という実用目的ではなくて、純粋に嗜好としてサラダ感覚で食べているようである。
みゆちゃんは、あまり食べないけれど、食べると吐く。ただ以前は、庭で猫草を食べたあと、家に入って、わざわざ拭きやすい床の台所を通過し、必ずといっていいほどその先のリビングのじゅうたんの上で吐いていたものだが、ここ最近はどういう心境の変化か、さらにリビングは通り越して、廊下の床板の上や、玄関の土間で吐いてくれるので、掃除がしやすくて助かっている。
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2009/09/15
朝起きると、たいていとなりのベビーベッドでみゆちゃんとふくちゃんが仲良く眠っている。夜、そろそろ寝ようと思って寝室へ上がるときには、ふたりともそれぞれ居間のお気に入りの場所に眠っていて、みゆちゃんふくちゃん、おやすみね、と言っても、せいぜい耳をぴくぴくさせるかしっぽの先を一振りするくらいで(ふくちゃんの場合は、にーと鳴いたりごろごろ言ったりもするが)、知らん顔して目も開けないのだけれど、いつのまに上がってくるのか、それぞれが好きなときに来るのか、あるいはふたり示し合わせたように一緒に来るのかはわからないが、朝になると、ちゃんと寝室に寝ている。
ふくちゃんはいつも黙って上がって来て寝ているが、みゆちゃんはときどき、あたかも来ましたよと宣言するかのように、大きな声でにゃーっと鳴いてくることがある。放っておいたら恨めしい声でにゃあにゃあ鳴き続けるから、ベビーベッドの上で丸くなるまで構ってあげなければならず、そのたびに目が覚める。そういうとき、朝になって見てみると、階下からみゆちゃんが運んできた紐が、寝室の床に落ちていることがよくある。
ふたりして、わーっと乱入してくることもある。時間は定かでないけれど、窓の外が少し明るくなっている頃だから、4時か5時くらいかもしれない。階下で追いかけっこしていたのが俄然盛り上がってきたのだろう、階段をだだだーっと駆け上るや否や、次々と人間のベッドに飛び乗ってきて、それでも走るのをやめず、ベッドを縦断して窓のところまでいってUターンしてから、またわれわれの足を踏みつけてベッドから飛び降り、まただだだーっと嵐のように去っていく。こちらは眠りの真っ最中だから、何事が起きたのかとびっくりする。
ベビーベッドでは、並んで寝ていることが多い。先に書いたとおり、居間で寝ているときには、よっぽど寒い時期でなければそれぞれが好き勝手な場所に寝ているのに、なぜか寝室のベビーベッドで寝るときには、きれいに並んで眠っている。となりでは人間が三人並んで寝ているから、それを真似て、ベビーベッドに二匹並んで寝ているかもしれない。上下逆さまに並んでいるときもあれば、頭をそろえて寝ているときもある。
ふくちゃんが、みゆちゃんのおなかを枕にして寝ていると、目を覚ましたみゆちゃんがふくちゃんの顔をせっせと舐めてあげている。その逆も然り。私なんかがおなかに顔をうずめたら、すぐに迷惑そうな顔をして向こうへ行ってしまうのだから、ふたりの仲は羨ましい。
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2009/09/14
黄色い新幹線がある。ドクターイエローという愛称で呼ばれているけれど、正式の名前は「新幹線電気軌道総合試験車(あるいは検測車)」といって、お客を乗せるのではなく、新幹線の線路や設備を検査するための車両である。
月に数回、東京博多間を往復していて、前に一度、京都駅の横の国道を車で通ったとき、駅から出てくるところを見たことがある。
夏休みのこと、幼稚園の友達の、電車が大好きな男の子のお母さんが、今度の週の何日の何時頃、おそらくドクターイエローが京都駅を通過するから、見に行くのだと云った。おそらく、というのは、ドクターイエローの正確な時刻表をJRは公表していない。鉄道ファンの人たちが集め合った目撃情報を元に、いつどこを通るのかということを推測するのだそうである。限られた本数でいつ通るかもはっきりしないから、ほかの普通の新幹線などに比べると、見ることが難しい車両であるらしい。前に私がたまたま見たのは、よっぽど珍しいことだったのかもしれない。
ドクターイエローが京都駅を通過すると思われる予定日の前日、昼過ぎに何となくそのことを思い出して、どういう風に通過日時を調べるのだろうという他愛のない興味から、ネットでドクターイエローを検索してみたら、「移動端末用ドクターイエロー速報版」という掲示板が引っかかってきた。ドクターイエローを目撃した人が、リアルタイムで目撃した時間と場所を書き込む専用の掲示板であるらしい。一番新しい書き込みには「何月何日、13時14分、豊橋通過しました」とあった。おや、と思ってなんとなく胸がどきどきした。日付をよく見直したら、まさにきょうその日の日付である。時計を見ると時刻は13時20分、ちょうど数分前に書き込まれたものらしかった。
慌ててほかのドクターイエローサイトで、豊橋から京都までどのくらい時間が掛かるのかを調べた。約1時間。
今すぐ車で京都駅に向ったら、なんとか間に合いそうである。うちの子供も電車が大好きだ。それに自分としてもここまで首を突っ込んだ以上、見てみたいという気になっていた。
友達にすぐ電話をして、明日ではなくきょう通過するらしい、それもまもなく、ということを伝えて、今から車で一緒に行くかと尋ねたら行くと云うので、身支度もそこそこに、彼ら親子を拾って京都駅へ向った。
川端通がいつもより混み合っているように思えて、苛々した。ようやく駅ビルの駐車場に入れて、そこからまた新幹線のプラットフォームまでは距離がある。
入場券を買って改札を通り、階段を駆け上っていくと、正面にある電光掲示板の一番上に「回送」の文字が光っているのが見えた。あれじゃないかと云いながら階段を登りきったところに、いた。停車中の大きな黄色い新幹線が、カモノハシのような平べったい最後尾車両をホームに横たえている。
いた、と叫んだ瞬間、発車のベルが鳴りはじめた。慌ててバッグからカメラを引っ張り出して、とりあえず撮った。そのあいだにもドクターイエローはするすると動き出してどんどん遠ざかっていった。駅を離れ、線路から立ち昇る陽炎に揺らめきながら、やがてカーブの向こうに見えなくなった。
あまりにも短い時間のことだったので、黄色い新幹線を見ることができたという有り難味とか実感はなかった。子供たちも、いまいちぴんと来ないような顔をしていた。
あとで、黄色い新幹線と白い新幹線とどっちが好き、と尋ねたら、白い方がかっこいいという答えであった。
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2009/09/14
朝晩肌寒くなって、薄手のカーディガンを羽織るようになったから、襟のところを引っ張って、ふくちゃん、またどうですか、と勧めてみたら、するすると襟首から中に入ってきて、また懐中猫になった。相変わらず人の懐の中が心地よいらしく、ごろごろ云いながら、カーディガンの裏から前足を突っ張ったりして遊んでいる。
冬のあいだ、ふくちゃんはよく私の上着の中で温まっていたものだったが、どういうわけか暑い時分にも一度、Tシャツの狭い首から無理やり中に入ってきたことがある。ふくちゃんの温かくて柔らかいふわふわの毛がじかにおなかに触れるので気持ちよかったけど、さすがに暑いのでふくちゃんのほうもすぐに「出る」と暴れ出し、そこはみゆちゃんと違って礼儀を知らない猫である、私のおなかに爪を立てて、蹴飛ばして出て行ったから、それ以来、夏の懐中猫はこちらから遠慮していた。
しかしもう秋なので、また懐中猫になってくれたら可愛いし暖かい。だけど上着の中で小ぢんまりしていた前のシーズンのときよりも、ふくちゃんはずいぶん大きくなっているから、服も伸びそうだし、ずり落ちそうなふくちゃんをもう片手では支えきれなくなっている。
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2009/09/12
猫というのは、ちゃんとした専用の飲み水を用意してやっていても、金魚の水槽の水とか、流しに溜まった水とかを好んで飲むようで、うちの猫たちもよく花瓶の水を飲むから、切り花のエキス入りの水の味がいいのかと思っていたら、そういうわけでもないらしく、花瓶という入れ物から水を飲むこと自体に趣を覚えているようである。
活けていた花がやがて枯れてしまったので、花も水も捨てた空の花瓶を洗面台の上に置いておいたら、ふくちゃんがやってきて、花瓶に前足を掛けてひっくり返してしまった。ふくちゃんはときどき花の入った花瓶をそんな風に倒して、あたりを水浸しにしたり、花器を割ったりしてしまうのだが、それは即ち、中に入った水が飲みたいからなのである。
そこで、花がなくても花瓶から水が飲みたいのかしらと思って、水道水を汲んでやったら、それ以来、その青いガラスの花瓶からばかり水を飲むようになってしまった。
ふくちゃんだけでなく、みゆちゃんも花瓶の水飲み場を好んで使っている。ひとりずつが飲みに行くときもあれば、しばらく前まで部屋で遊んでいたふたりの姿が見えないと思ったら、のどが渇いて一緒に飲みに行っていることもある。そういうときには、ちゃんと一列に並んで、順番を守ってひとりずつ飲んでいるから面白い。
そんなわけで、うちには花の活けてある花瓶のほかに、花は入っていないのに、水だけがなみなみと湛えられた青いガラスの花瓶が、洗面台の上に置いてある。
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2009/09/10
缶切りでみかんの缶詰を開けていたら、みゆちゃんがやってきた。プルタブ付ではない缶切りで開ける猫缶を使っていたのはもうだいぶ前なのに、おいしいもののことはしっかり記憶しているらしい。
みゆちゃんが家に来てしばらくのあいだは、主食として、ドライフードに缶詰を混ぜてあげていた。それが、どういうわけか、そのうち缶詰をあまり喜ばなくなって残すようになったので、ドライフードだけに切り替えた。以後、機嫌よくドライフードだけを食べて、とくに不満もないようなので、そのまま今に至っている。お薬を飲まなければならないとか、特別な場合だけ、缶詰を開ける。
去年の秋に我が家へやってきたふくちゃんは、プルタブ付の猫缶しか知らないようである。シーチキンやコーンのプルタブ付缶詰をどんなにこっそり開けても、その音を聞きつけて庭の一番すみっこの草むらの中から飛んでくるが、缶切りでがりがり大きな音を立ててみかんの缶詰を開けていても、知らん顔をしている。
缶切りの音は美味しい音だと思っているみゆちゃんは、普段は上がらない流しの上にまで乗ってきて、みかんの缶詰を調べている。嗅いでみて嫌いなみかんだとわかっただろうに、それでも腑に落ちないのか、何度も何度も調べなおしている。ようやく納得したようで、つまらなさそうに、テーブルの端の新聞紙の上に寝そべった。
そんなに缶詰が食べたかったのかと可哀相になった。戸棚の中を探したら、モンプチのジューシーチキンというのがあったから、開けてお皿に入れてあげた。自分でも甘いなと思うけれど、猫にとって、美味しいものを食べるというのは、極上の楽しみのひとつに違いない。
さも美味しそうにモンプチを食べたあと、みゆちゃんは、満足げに目を細めて笑ったような顔をして、私の指に「おいしかった」と挨拶しにきた。そして、念入りに、顔を洗いはじめた。
私も満足な気持ちになったが、これでますます、缶切りの音と美味しいものを強く関連付けてしまったことに気がついた。
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2009/09/07
時期をすぎてから慌てて入れた肥料がなんとか効いたのか、朝顔は、毎朝幾輪かの花を咲かせている。小さく開いた最初の花に比べると、この頃に咲くのはずいぶん大きくて、商品札の文句に違わず「大輪」と言えそうである。
その今朝開いた花の上に、オンブバッタがとまっていた。ときどき、朝顔の花弁がちぎれたようになっているから、このバッタが食べるのかしらと思う。
バッタも大きくなった。まだ朝顔の蔓が今の半分くらいの長さだった頃、茎の下のほうについた葉っぱの上にいつも小さなバッタが乗っていて、そのあたりの葉を穴だらけにしたけれど、バッタの食べる量は知れているので、放っておいた。バッタの大きさも、そのころに比べると倍近くなった。はじめは二匹いたけれど、いまは一匹しかいない。
朝顔を植えてようやく蔓が延び始めた頃、一匹の毛虫がついているのを見つけた。茶色のふさふさした毛の生えたやつで、足も速いし、食欲がものすごく旺盛である。毎年、羊歯やヘクソカズラに何匹かついて、葉っぱを残らず食べてしまう。
見ているうちに朝顔の一枚の葉の、半分ほどを食べてしまった。
放っておけばあっというまに朝顔が丸坊主になってしまいそうであるが、こういう毛虫の処置については迷ってしまう。朝顔で生計を立てているわけではないし、毛虫の食糧を奪ってまで朝顔を守るべきではないかもしれないと思うけれど、かといって朝顔の葉がすっかりなくなってしまうのは寂しい。
葉っぱをもりもり食べる毛虫を見ながらそんなことを考えていたら、みゆちゃんが横からとことことやって来て、ぱっと猫パンチを繰り出し、毛虫を葉から叩き落としてしまった。
正直なところを言うと、みゆちゃんが手を出すかもしれない、という未必の故意みたいなものがあったのは、否定できない。
それっきり、毛虫の姿は見えなくなった。
茶色い毛虫はなぜか今年はその一匹だけで、樋に巻きついたヘクソカズラの蔓も、青々と葉っぱを茂らせて、名前に似合わない可愛い花を咲かせている。
しばらくして、朝顔に水を遣りにいったら、バッタのいた花に、大きな穴が二つ開いていた。すぐ横の蔓にさっきのバッタがつかまっている。よくよく見ると、バッタは、肝心の後ろ足が両方ともなかった。
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2009/09/06
みゆちゃんは、肉球を触られるのが嫌いである。眠っているときに、丸まった胴体の下からピンク色の肉球のついた足がはみでているのがあまりに可愛いので、ついつい撫でたくなってしまうのだが、ちょっと触るとすぐ足を引っ込めて、身体の下に隠してしまう。
それに対して、やっぱり大雑把なふくちゃんは、全然気にしない。だらりと身体を伸ばして寝ているから、肉球をぷにぷに押してみたり、握手してみたりするのだけれど、知らん顔して眠り続けている。
みゆちゃんの肉球は、ピンクの地に、身体と同じように茶色や黒のぶちがついている。ふくちゃんのは、淡いピンク一色である。もちろん、みゆちゃんのまだら模様の肉球も愛しているが、客観的にはふくちゃんのピンクの方が可愛いだろうと思う。もっとも、ふくちゃんはそこらじゅうをうろうろするから、ふくちゃんの肉球は、ときどき黒ずんだピンク色になっている。
猫トンネルの中に入ったふくちゃんと猫じゃらしで遊んでいたら、トンネルの側面にあるのぞき窓から、白い前足が一本、にゅっと出てきた。ピンク色の柔らかい肉球が可愛いので、こちょこちょとなでたら、トンネルの中から、ごろごろいう音が聞こえだした。
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2009/09/02
4歳になったばかりの息子は、近ごろ機関車トーマスをえらく気に入っている。前までは大して関心を持っていなかったのが、図書館で絵本のシリーズを借りてからはまり出した。
私はというと、トーマスが好きではない。汽車に、ちっとも可愛くないやたら人間染みた顔がついているのは不気味である。そしてそれが、貨車を引きたくないだの、雨に濡れたくないだの我儘を言ったり、勝手なことをしたりするから、使う側の人間にとってはなんとも不便な乗り物である。
絵本も大して面白いようには思われないけれど、そこは大人と子供の感性の違いなのか、子供は喜んで、何度も読んでくれといってくる。読んであげるのはいいけれど、一冊がだいたい60ページくらいあって、見開きの左ページが文、右が絵という構成で、割りにたくさん文字が書いてあるから、それを借りてきた3冊くらい、一度に読んでくれと言われると、息が切れて喉がかれる。
猫の話にこじつけるようだけれど、汽車の頭についているのが人面ではなくて、猫の顔だったら、ずいぶん可愛いだろうと思う。猫だったらなんだかんだと我儘を言ったところで、当然のことだから違和感もない。
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2009/09/02
4歳になったばかりの息子は、近ごろ機関車トーマスをえらく気に入っている。前までは大して関心を持っていなかったのが、図書館で絵本のシリーズを借りてからはまり出した。
私はというと、トーマスが好きではない。汽車に、ちっとも可愛くないやたら人間染みた顔がついているのは不気味である。そしてそれが、貨車を引きたくないだの、雨に濡れたくないだの我儘を言ったり、勝手なことをしたりするから、使う側の人間にとってはなんとも不便な乗り物である。
絵本も大して面白いようには思われないけれど、そこは大人と子供の感性の違いなのか、子供は喜んで、何度も読んでくれといってくる。読んであげるのはいいけれど、一冊がだいたい60ページくらいあって、見開きの左ページが文、右が絵という構成で、割りにたくさん文字が書いてあるから、それを借りてきた3冊くらい、一度に読んでくれと言われると、息が切れて喉がかれる。
猫の話にこじつけるようだけれど、汽車の頭についているのが人面ではなくて、猫の顔だったら、ずいぶん可愛いだろうと思う。猫だったらなんだかんだと我儘を言ったところで、当然のことだから違和感もない。
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