あとりえきりえ

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安栖 千晶 (あす ちあき)

切り絵 ,詩,木.写真

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福岡県

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    Works 49

安栖 千晶 (あす ちあき)

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安栖 千晶 (あす ちあき)

切り絵 ,詩,木.写真

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    Works 49
  • いつでもそこに自分自身を見てください。

     

    日吉神社のななこさんのモデル七面鳥さん。

    2008年に撮影した資料の写真がちょこっとだけ。

    境内に持ち込まれた子たちはみんなどこか病気をしていたり、やっと引き取って貰えたような感じで

    決して寿命が長くないことを感じます。

    ななこさんもすぐに居なくなっていました。

    網戸越しに話しかけてのんびり微笑みかけると、穏やかに眠ってくれたり歌ってくれたり束の間の安息を分かち合ってくれます。

    ななこさんはもう手元にないので、色々勉強してからの後回しにしていたけど、良い機会に作り直そうかな。

     

    彼らが与えてくれた慈しみの瞳で見て、ただ真っ直ぐに彼らへの愛が偽りでなければ、何も恥じることは無いのです。

    いつでもそこに自分自身を見てください。

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  • オマージュという言葉を使うときは、常にその者の魂の救済者であってほしい。

    オマージュという言葉を使うときは、常にその者の魂の救済者であってほしい。

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  • 「その頭上に冠を戴くものはだれもがすべての王である」

    七面鳥やマンドリル、一見すると気味の悪く孔雀や犬、猫に比べておよそ愛らしさや華麗さにはかけ離れやすいモチーフを選ぶのは、古典文学のアッタール作・黒柳恒男訳「鳥の言葉」に記された文章より、

    (鳥の王を決めるとき)

    ”ソロモン(預言者)に求められる者(鳥)はだれもその頭上に冠(とさか)があればふさわしい”
    この言葉に深く感銘を受けたことによるものです。

    私は「その頭上に冠を戴くものはだれもがすべての王である」と唱えたい。
    例えそれがどんなにみすぼらしいと笑われても。

    うわべの姿だけで笑われてしまう者を、「美しいもの」と同等、あるいはそれ以上に魅力的に作ることが出来たならと切に願う心からのオマージュです。

    「たいせつなもの」に向けられるものは線の鋭角さや切り口の刃の「美しさ」ではなく、この一瞬の会話による慈愛でありたい。

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  • 対峙の向こう側

     

    この「対峙」の作品の注釈は、対岸に見ているものは決して「何者か」ではありません。
    それは「自分自身」の投影に対する内省の心象風景を表しています。

    ”高い場所から眺めている。霧の幻かもしれないし、そこに立っている岩の頂上が本当の限界かもしれないし、もっと遠くが見えるかもしれない。
    それは幸い。
    幻影か本当に見えているか、目に写るすべてが「自分自身」でしか無いのかも知れない。
    それを信じていられる事は「幸い」に他ならないと。”

     

     

    ------------------------------------------------------------------------

     

    あなたは鳥やタコのモティーフを制作する日本人で紙のアーティストを見たことがありませんか?
    ある切り絵作家さんがイグアナの「対峙」作品を出した直後に向かい合わせの作品を出されて、私側が「対峙」というネーミングを付けたことに起因してまるで私が相手の作家さんと対抗しあっている。とイメージされている方もいらっしゃるようです。

    はっきり申しましてこれまで相手の作家さんを意識したことは一切ありませんし、確固たる自分の世界観を干渉されることに心外でしかありません。

    そのことについて大変憤りを感じています。

    なぜならばその作家さんの私自身への執着や言動の引用やマウンティング行為がこれに限らないからです。

    彼女は私に対していつも理不尽な攻撃をしています。
    私が常に彼女の真似をしているような意図を仕組んできています。
    彼女は私の言動や作品についての言葉でさえいつも観察し、自分が考えたかのように発信して、私の表現を巧みに引用しながら私を否定することで姑息な手段を用いて陥れようと謀ってきました。

    そのことについて今まで耐えて静観してきましたが、今回はっきりと意思表示をして表明することにしました。
     

    何一つやましい事がない事を宣言して抗議します。

     

     

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  • マウント作家

    私は作品を生み出すという事に「あの人よりも勝ってやる」

    「このような脚光を浴びて楽しい思いをしたい」などという動機で制作に至っていません。

    それは常に「大切なものたち」への本当のオマージュによるものです。

    そこに不本意な相手からのマウントを挟まれることは不愉快で溜まりません。

     

    一人の作家の言動に依存し、当てこすりな表現と「模倣にならない程度」の作品を生み出すことで

    いかに自分が相手よりも優位であるかのマウントを取りたがる作家とは制作に至るベクトルが全く違います。

     

    そのような人からの一方的な干渉によって自分の大切なものたちへの表現がマウントの応酬に使われたくありません。

     

    あなたは鳥やタコのモティーフを制作する日本人で紙のアーティストを見たことがありませんか?

    ある切り絵作家さんがイグアナの「対峙」作品を出した直後に向かい合わせの作品を出されて、私側が「対峙」というネーミングを付けたことに起因してまるで私が相手の作家さんと対抗しあっている。とイメージされている方もいらっしゃるようです。

    はっきり申しましてこれまで相手の作家さんを意識したことは一切ありませんし、確固たる自分の世界観を干渉されることに心外でしかありません。

    そのことについて大変憤りを感じています。

    なぜならばその作家さんの私自身への執着や言動の引用やマウンティング行為がこれに限らないからです。

    彼女は私に対していつも理不尽な攻撃をしています。
    私が常に彼女の真似をしているような意図を仕組んできています。
    彼女は私の言動や作品についての言葉でさえいつも観察し、自分が考えたかのように発信して、私の表現する言葉を巧みに引用しながら私を否定することで姑息な手段を用いて陥れようと謀ってきました。

    そのことについて今まで耐えて静観してきましたが、今回はっきりと意思表示をして表明することにしました。

    何一つやましい事がない事を宣言して抗議します。

     

     

     

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  • 「オマージュ」という怠慢

    他の作家から刺激を受けることは大切な事だと思う。

     しかし古典以外の単一の現代作家から刺激を受け続ける事はどうだろうか。 

    その人が様々な経験や知識の収集を経て生み出した言葉や作品や感性を、

    「オマージュ」という自己弁護によって美味しい部分だけを手っ取り早く享受したいだけの怠慢に思える。

     

    時に行動、時に「どうしたら自分が勝てるか」 

    感謝の押し売りは気楽な商売だ。 

    その人が居れば一生安泰で居られるだろうから。

     

    鍵をこじ開けて空き巣に入った泥棒が「不用心だから戸締りをしておきました」と言って立ち去るようなものだろう。

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  • スマホ画面割れのヒビに見える木

    一昨年撮影したこの孔天の写真はよく見たらスマホのひび割れた亀裂に似ているなあ…と気が付いた。
    幸い歴代のスマホは一度も割れたことが無いけれど。
    大切に愛していた亡き愛鳥の写真をいつも待ち受けにしているから守って貰っているのかな。
    #スマホ画面割れ #ひび割れ #亀裂
    https://www.instagram.com/p/BcuIFAknuC8/
    一昨年のインスタにあげたもの

     

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