あとりえきりえ

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安栖 千晶 (あす ちあき)

切り絵 ,詩,木.写真

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福岡県

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    Works 49

安栖 千晶 (あす ちあき)

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安栖 千晶 (あす ちあき)

切り絵 ,詩,木.写真

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  • 「オハールカット」の由来

     

     

    私の切り絵作品では「オパールカット」と名付けて、見える角度で羽根の筋の陰影が変わるカットを考案していますが、これの起源になったのがお姉さんインコの羽根の色でした。

    私が19歳の終わりごろ、それまで宝石を買うわけでは無かったのにうわ言のように「オパールが欲しいオパールが欲しい」と言っていた時期がありました。

     

    20歳を迎えたある日、夜遅くに遠方のホームセンターに行くことがあって、その一角にあったペットショップに立ち寄ると、出逢ってしまったんですね💘

     

    最初は白いセキセイインコなんて初めて見るので珍しいという感じでしたが、

    ついつい抱っこさせて貰うと、その羽根のオパールのように七色に輝く様を見て、

    「生きたオパールだ‼️」と直感し、この子こそ私の求めていたオパールだったんだ❗✨と

    そのままお迎えしました。

     

    特に腰の辺りは体調によるものなのか、日によってピンクがかったり緑が強かったり様々です。

     

    この子は若いときから卵管が飛び出す病気や恐らく糖尿病と思われるのですが、

    いつも体液がお尻から漏れでてお腹がびちょびちょに濡れて汚れていたのが可愛そうで申し訳なくて、

    余計に美しい姿を留めてあげたいと思います。(獣医からも手のほどこしようが無かった)

    「それでも病死をして12年も生きたのはセキセイインコでは良い方だよ。」と、火葬場のおじさんが言ってくれた言葉が唯一救いでした。

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  • 彩色切り絵に思いを込めて

    「Schlomo」よりスケッチデッサン

    本日展示会を無事に終えることができまして、見守ってくださった皆様、お越しいただいた皆様、

    コメントでお声がけしてくださった方々に心より感謝申し上げます。

    おかげさまで今年一年をとても良い年にすることが出来ました。
    本当に濃い一年で沢山ご迷惑もおかけいたしました。
    ですが自分にとって欠点を克服したり勉強したり、1年前、10年前の自分からは想像できないほど成長の年に出来たと思います。
    これもすべて出会ってくださった人、携わってくださった方々のおかげに他なりません。

    私が「彩色切り絵」を追求するのは自身が日光アレルギー・紫外線過敏症の闘病生活による人生観の変化でありました。
    今でこそ原因が分かり、この数年で劇的に症状も治まりましたが、私の場合は食物アレルギーとも関連した大変厄介なタイプで、その症状は枚挙に暇がありません。
    幼少期から原因不明の体調不良で病院を転々とし、原因がわかるまでにあまりにも長い時間を要しました。
    冷蔵庫のランプを一瞬でも見ただけで数日かかってじわじわと瞼が腫れあがって常に瞼が蚊に刺されたような痒みが続き、

    一瞬でも触ると刺激でさらに腫れあがり髪も抜けお岩さんのように目が開けられなくなる毎日でした。
    それは笑顔を作ることがどんなアクセサリーよりも美しいことを知ったかもしれません。

    「宝石を求めるな。
     宝石商を探し求めよ」
    これもまた「鳥の言葉」に出てくる好きな言葉です。

    眠りにつくと決まって涙液が止まり、瞼が眼球に貼りつくので目薬を差すよりも先に目を動かすと激痛の後に視力が無くなることもしばしばです。
    生活は常に黒いサングラスと帽子と手袋と分厚い黒い衣服で覆われた暗闇の中でした。
    人は愚かなほどにそんな姿を嗤っていきますが、しかし、どんな小さな光も美しく見える場所だったかもしれません。

    人目を避けるように逃げ込んだ自然の中からは命の美しさを教えられました。
    何年も絶望の中をただただ歩くようなある時、夕暮れの散歩道でどうしても裸眼でほんとうの色彩を見たくなってサングラスを外したことがありました。
    そこにある普遍的な変哲のない田畑と、人魚の鱗のような川面から、輝く雲の夕空に向かって飛び立つ鳥たちに、そこに神がおわしますか。「この世界は美しい。」とブッダが最後に言ったという、その言葉の意味が、ほんの少しだけわかったような気がした瞬間でした。

    「あの空に飛んで行くこの鳥は
    かの国で聴いてはならない神の御名を知るのでしょうか」

    カラフルで好きな衣服を身に纏い、輝く色彩を見ることができるということは、とてもとても幸せなことです。

    だからこそ暗闇に棲む者にとっても輝く彩りにあふれた世界を与えたいと、
    「彩色切り絵」に思いを込めて、これからも表現して行きたいと思います。

    人の気持ちは変わります。
    自分の変わらない気持ちだけを見つめていけば良いと思うことに。
    変わっても良いのですが。


    来年が皆さまにとっても幸多き年となりますように。
     

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  • 切り絵・羽根のピッチ

     

    #切り絵


    Paper Cutting

     

    羽根のピッチ

     

     


    細かくする事は私にとって大して難しい問題ではないし課題でもない。

     

     

     

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  • いつでもそこに自分自身を見てください。

     

    日吉神社のななこさんのモデル七面鳥さん。

    2008年に撮影した資料の写真がちょこっとだけ。

    境内に持ち込まれた子たちはみんなどこか病気をしていたり、やっと引き取って貰えたような感じで

    決して寿命が長くないことを感じます。

    ななこさんもすぐに居なくなっていました。

    網戸越しに話しかけてのんびり微笑みかけると、穏やかに眠ってくれたり歌ってくれたり束の間の安息を分かち合ってくれます。

    ななこさんはもう手元にないので、色々勉強してからの後回しにしていたけど、良い機会に作り直そうかな。

     

    彼らが与えてくれた慈しみの瞳で見て、ただ真っ直ぐに彼らへの愛が偽りでなければ、何も恥じることは無いのです。

    いつでもそこに自分自身を見てください。

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  • オマージュという言葉を使うときは、常にその者の魂の救済者であってほしい。

    オマージュという言葉を使うときは、常にその者の魂の救済者であってほしい。

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  • 「その頭上に冠を戴くものはだれもがすべての王である」

    七面鳥やマンドリル、一見すると気味の悪く孔雀や犬、猫に比べておよそ愛らしさや華麗さにはかけ離れやすいモチーフを選ぶのは、古典文学のアッタール作・黒柳恒男訳「鳥の言葉」に記された文章より、

    (鳥の王を決めるとき)

    ”ソロモン(預言者)に求められる者(鳥)はだれもその頭上に冠(とさか)があればふさわしい”
    この言葉に深く感銘を受けたことによるものです。

    私は「その頭上に冠を戴くものはだれもがすべての王である」と唱えたい。
    例えそれがどんなにみすぼらしいと笑われても。

    うわべの姿だけで笑われてしまう者を、「美しいもの」と同等、あるいはそれ以上に魅力的に作ることが出来たならと切に願う心からのオマージュです。

    「たいせつなもの」に向けられるものは線の鋭角さや切り口の刃の「美しさ」ではなく、この一瞬の会話による慈愛でありたい。

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  • 対峙の向こう側

     

    この「対峙」の作品の注釈は、対岸に見ているものは決して「何者か」ではありません。
    それは「自分自身」の投影に対する内省の心象風景を表しています。

    ”高い場所から眺めている。霧の幻かもしれないし、そこに立っている岩の頂上が本当の限界かもしれないし、もっと遠くが見えるかもしれない。
    それは幸い。
    幻影か本当に見えているか、目に写るすべてが「自分自身」でしか無いのかも知れない。
    それを信じていられる事は「幸い」に他ならないと。”

     

     

    ------------------------------------------------------------------------

     

    あなたは鳥やタコのモティーフを制作する日本人で紙のアーティストを見たことがありませんか?
    ある切り絵作家さんがイグアナの「対峙」作品を出した直後に向かい合わせの作品を出されて、私側が「対峙」というネーミングを付けたことに起因してまるで私が相手の作家さんと対抗しあっている。とイメージされている方もいらっしゃるようです。

    はっきり申しましてこれまで相手の作家さんを意識したことは一切ありませんし、確固たる自分の世界観を干渉されることに心外でしかありません。

    そのことについて大変憤りを感じています。

    なぜならばその作家さんの私自身への執着や言動の引用やマウンティング行為がこれに限らないからです。

    彼女は私に対していつも理不尽な攻撃をしています。
    私が常に彼女の真似をしているような意図を仕組んできています。
    彼女は私の言動や作品についての言葉でさえいつも観察し、自分が考えたかのように発信して、私の表現を巧みに引用しながら私を否定することで姑息な手段を用いて陥れようと謀ってきました。

    そのことについて今まで耐えて静観してきましたが、今回はっきりと意思表示をして表明することにしました。
     

    何一つやましい事がない事を宣言して抗議します。

     

     

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  • マウント作家

    私は作品を生み出すという事に「あの人よりも勝ってやる」

    「このような脚光を浴びて楽しい思いをしたい」などという動機で制作に至っていません。

    それは常に「大切なものたち」への本当のオマージュによるものです。

    そこに不本意な相手からのマウントを挟まれることは不愉快で溜まりません。

     

    一人の作家の言動に依存し、当てこすりな表現と「模倣にならない程度」の作品を生み出すことで

    いかに自分が相手よりも優位であるかのマウントを取りたがる作家とは制作に至るベクトルが全く違います。

     

    そのような人からの一方的な干渉によって自分の大切なものたちへの表現がマウントの応酬に使われたくありません。

     

    あなたは鳥やタコのモティーフを制作する日本人で紙のアーティストを見たことがありませんか?

    ある切り絵作家さんがイグアナの「対峙」作品を出した直後に向かい合わせの作品を出されて、私側が「対峙」というネーミングを付けたことに起因してまるで私が相手の作家さんと対抗しあっている。とイメージされている方もいらっしゃるようです。

    はっきり申しましてこれまで相手の作家さんを意識したことは一切ありませんし、確固たる自分の世界観を干渉されることに心外でしかありません。

    そのことについて大変憤りを感じています。

    なぜならばその作家さんの私自身への執着や言動の引用やマウンティング行為がこれに限らないからです。

    彼女は私に対していつも理不尽な攻撃をしています。
    私が常に彼女の真似をしているような意図を仕組んできています。
    彼女は私の言動や作品についての言葉でさえいつも観察し、自分が考えたかのように発信して、私の表現する言葉を巧みに引用しながら私を否定することで姑息な手段を用いて陥れようと謀ってきました。

    そのことについて今まで耐えて静観してきましたが、今回はっきりと意思表示をして表明することにしました。

    何一つやましい事がない事を宣言して抗議します。

     

     

     

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  • 「オマージュ」という怠慢

    他の作家から刺激を受けることは大切な事だと思う。

     しかし古典以外の単一の現代作家から刺激を受け続ける事はどうだろうか。 

    その人が様々な経験や知識の収集を経て生み出した言葉や作品や感性を、

    「オマージュ」という自己弁護によって美味しい部分だけを手っ取り早く享受したいだけの怠慢に思える。

     

    時に行動、時に「どうしたら自分が勝てるか」 

    感謝の押し売りは気楽な商売だ。 

    その人が居れば一生安泰で居られるだろうから。

     

    鍵をこじ開けて空き巣に入った泥棒が「不用心だから戸締りをしておきました」と言って立ち去るようなものだろう。

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  • スマホ画面割れのヒビに見える木

    一昨年撮影したこの孔天の写真はよく見たらスマホのひび割れた亀裂に似ているなあ…と気が付いた。
    幸い歴代のスマホは一度も割れたことが無いけれど。
    大切に愛していた亡き愛鳥の写真をいつも待ち受けにしているから守って貰っているのかな。
    #スマホ画面割れ #ひび割れ #亀裂
    https://www.instagram.com/p/BcuIFAknuC8/
    一昨年のインスタにあげたもの

     

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