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2009/06/20
エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
でもまあ結局のとこ、
凄く今回分かったことは、
この花形装飾活字にしろ、
デザインに全部言える事なんでしょうけど、
その背景がなんなのかが凄く重要であるという事です。
きっかけというか、
要素の部分が何なのかというのが、
完成に大きく響くことが確認出来ました。
どんなに優れたデザインも、
きっかけや要素が足るものでなくてはならないし、
その始まりがどこにあるかで、
デザインとして機能するかが決まってくるというのを体験したように思います。
個性があって独自なものをワザとして構築するという在り方も、
バカとハサミは使いようてなもんで、
かといえばクライアントさんみたいな職能だけをひけらかす在り方も、
バカの1つ覚えてなもんで。
花形装飾活字はその点でいうと非常にバランス調整の必要なもののように感じています。
どれだけ技術を持つ人が要素を持つ人が互いに寄れるかにかかっているみたいな。
今回のはその成功例の1つだと言わせてください。
要素として在り方と個人としてワザとして在り方が、
丁度良い塩梅で形になったのが、
この花形装飾活字であり全体のアートワークでもあるように思います。
ここらへんの事は別のログの方でツッコンで書ければと考えております。
そして今回の目的であるイメジストをより良く紹介するという事について、
これは何故今回の花形装飾活字の、
1つ1つの図案がこのような形になったのかにも由来しています。
全てが同じ形で構成され比率で変化させる。
図案の1つずつとしては物足りないものでもあり、
その理由もまた書いてきた通りです。
同じ形とてそれが一様に同じで有り続ける訳ではないという、
商品コンセプトを汲み取る事で、
それもまた1つの形に帰属するのだという新しい価値を生み出す事にも成功しました。
具体的な図案にしなかったのは、
もちろんイメジストのシルバーアクセサリーが抽象的な表現だったから。
ならば形そのものをモチーフとし、
それを花とする事で構成という咲き乱れる演出を付加させる、
花形装飾活字だからといって、
それが花である必要はないし、
やはり要素として何を汲み取るか、
汲み取った要素をどのように扱うか、
どこまでをルールとし創造するのか、
技術はどうか…etc
全てが合致してこそ完成に至るのだと痛感した今回の作業でした。
出来上がったものは間違いなく花形装飾活字でしたし、
それをやはり第三者の方に使って欲しいと感じています。
イメジストの為に作ったものですが、
それが広告や宣伝や別の物と考えるのではなくって、
イメジストを構成する1つの要素として在り方として存在させてたいと考えています。
ブランドという考え方でもなく、
またはブランドがあってアクセサリーがあるのではなく、
アクセサリーがあってブランドが発生するような感じ、
これについてもログの方でツッコンで書いていければと思いますが、
あくまでも1つの形から生まれたものであるというスタイルは貫き通したいと考えています。
図案としての個性については次回に続きます。
2009/06/19
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
ひゃー、とうとう100回逝ってしまいましたね。
よくもまあこんなに語れるもんだよねまったく。
とまあ、
失敗話の続きです。
だんだんと失敗というよりも気配りや意識の出来なかったところに及びます。
これがもし自分以外の第三者が触るとなった時に使えるかどうかについてです。
既に実験は進んでいたりします。
内容はうっしっしーなので秘密なのですが、
来月くらいに公開出来ると思いますのでお楽しみに。
それは置いといて、
やはり少し難しいようです。
自由度を挙げた反面、
ルールや役目に対する機能が低下したのが原因やと思います。
一定の造形に意欲がある人間であれば、
ある程度の説明かマニュアルさえ用意すれば使用は可能であるでしょう。
逆に説明無しでも自由に使って貰うのはありかもしんないですけど、
汎用性については逆に犠牲になってるように感じます。
わざわざ花形装飾活字という体裁を作ったからには、
それが大勢の人に使われるべきで、
単なるそれがオリジナルを構築する為の柄や装飾であってはいけないと思います。
ただ、やっぱり今回の目的自体は成功している反面教師の部分でもあって、
なかなか悩ましいです。
別に古典的なものにこだわるつもりもないんですが、
なんちゅうか、
ギャラモンしかり、
ああいうのって新たに作るものとは違う色合いみたいなものがあって、
歴史の蓄積というかそういうのは意識した方がいいと思うんですよね。
例えば、
今回作った花形装飾活字にしても、
この時だけじゃなくって、
ずっと使いたい訳です。
10年後使った時に古臭さいけど使えるみたいなエッセンスが、
ちょっとでいいから内蔵されればしめたもんなんです。
いい古くなり方みたいなのも、
心地いい完成度みたいなもので、
完成域を深めすぎるとアカンやろうし、
浅すぎると残らないんですよね。
そういう願いを込めて今回のは設計しています。
単に2週間という実質的には短い制作期間でしたが、
全体で言うと地味に半年ほどかかっています。
ここまでのものを作れたのも、
イメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)の作家さんと本当の始めから話をいただいて、
とことん一緒にやった部分が大きいようです。
広告としての一部で花形装飾活字ではなくって、
ブランドの一部としての花形装飾活字まで高める事が出来たのは、
大きな成功やったと思います。
イメジストのブランド構築のみに使うのでもなく、
イメジスト書体として存在させるような意識で、
イメジストの他でいろんなシーンで使う事も出来ればとも考えています。
ロゴも英字全部揃えて使えたら面白そうですね。
これについてはもうちょい次回へ続く。
2009/06/18
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
相変わらず、
イメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)での、
花形装飾活字の話です。
そもそも、
今まったく違う新しい花形装飾活字を作ってて、
それが花形装飾活字設計デビューのはずで、
この花形装飾活字は想定外でもありました。
そういう意味でもこのイメジストでの花形装飾活字は過程なので、
決して手を抜いたり中途半端に仕上げたとかではない未完という位置づけになりそうです。
形になりましたがどうにも気になる点があって、
奇しくもそれを今回の失敗として例に挙げたいと思います。
それは線の太さの緩急です。
鉛筆でデッサンしてる時は気を配ってるつもりだったんですが、
というか気にならなかったんですが、
アウトライン化して他の版を組合した時点で、
しまった!と気付きました。
自分が想像してたよりもシビアやったみたいです。
もしくは気を配る観点が間違っていたんですね。
今、表示されているバージョンはある程度修正されたものですが、
それでもやっぱり気になります。
なんかズングリむっくりした形になっちゃってますよね。
1つずつ見た時にはそうではないのになあ。
こうなんというかメリハリが案外大切で、
中途半端に迷った部分は、
そのまま曲線の流れに組み込まれてしまうように思います。
修正してもやっぱり修正したものでしかないので、
じっくり見るとイカン部分が気になってしゃあないです。
あと、
直線がいるという事でしょうか。
曲線だけで構成しても花形装飾活字として機能しづらいようです。
もう少し直線を増やせば良かったと反省な感じです。
でも、まあやれる事はやった感が強いので、
現時点での限界でもあるのかもしれません。
別で作ってる花形装飾活字の為に、
後、数回、実験で作ってみたい気もするので、
なんかゆっくり打ち合わせしてお話をしてくださるのであれば、
是非頼んでみてください。お待ちしてます。
次回へ続く。
あ、まだ失敗編は続きそうです。
2009/06/17
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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お待ちしております。
なんだかんだいって、
結局いろいろ実験しました。
「花形装飾活字」だから活字にこだわるべきじゃないし、
あ、活字という技術を背景に置いた上でという意味です。
そうなのです技術とグラフィックデザインは時代という後ろ盾とともに、
ずっと影響を与え合った要素の1つなんですが、
当時の技術に合わせて新たに作るというのは、
いささか抵抗の感じるものでもあります。
せっかく、
大きくしたり何個も複製出来たりクルクルしたり重ねたりくっつけたり、
当時じゃ考えられなかった技術が目の前にあるのに、
活版印刷というものにこだわりすぎるのもなんだかなあというのが、
今回の制作実験の1つです。
当時出来なかった事を出来るのは快感やし、
つまりそれはグラフィックデザインとして新しい可能性を広げたと言えると思うんですね。
まあ、知らない人はその快感をラインを知らないままなんだろうけど、
せっかくだからねえ、
やっちゃったほうがいいよねという具合での今回の花形装飾活字です。
イメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)のシルバーアクセサリーにしても、
新しい技術の銀粘土を使用している訳やしね。
あ、それは置いといて、
で、今回重きに置いたのは埋めるという方法です。
オブジェクトの形が一緒という事は曲線も同じという事です。
サイズも比率さえ維持しておけば曲線は変わりませんので違和感は生まれないという寸法です。
大きいものの中に小さいものを入れたりしても可能になります。
1つ1つの図案が満たされていなくとも、
組み合わせ次第で無限の図案を構築出来るという仕組みです。
自由度のアップというか、
本来のルールに加えて出来る事を増やした結果でもあります。
同じ並べるでも実際には無限の創造に広がる訳です。
ただ、
どこまでやるかというのは、
使う側の裁量なので、
前回にアウトライン化したエンスヘデ活字鋳造所のやつにも同じ事が言えるんですけどね。
なんというか、
組むという底辺を少し掘り下げて何を図案としての完成域にするか、
は、次以降にしきます。
そんな訳で、
版として並べる美みたいなものを追求した、
今までの花形装飾活字をリスペクトしつつ、
一定の要素を掬い取る事で、
「花形装飾活字」とし、
それに加えて時代や技術、モチーフにマッチングさせたのが、
今回の完成形であり大きな実験でした。
結果としては、
大部分は成功したと言えると思います。
どうでしょうか、
実際に見てみてどういう印象か教えていただけると嬉しいです。
今はまだイメジストの作家さんと調整中ですが、
こちらの花形装飾活字もどんな形になるか分かりませんが、
実際に使ってもらえるような事に出来ればと考えています。
要素の追求と技術からの脱却(もちろんリスペクトしつつです)、
もちろん失敗していると感じている部分もあります。
失敗というかもっとここはこうできたかなという部分です。
それについても含めて次回へ続く。
2009/06/16
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
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お待ちしております。
ええと全容です。
うむ2週間でよくやったもんだ、と自分を褒めておきます。
ただやっぱり完成度の底は甘くって、
角度やサイズは調節をしながら使わなくてはいけないし、
活字のように並べて使うのではなく、
オブジェクトを埋めていくように配する事で、
その魅力は最大限に生かされるんですけど、
それが花形装飾活字と呼ばれるかどうかは、
なかなか悩ましいところな感じです。
それでも全力投球でもあるし、
決して中途半端ではなくって、
やれる事はやった感のある「花形装飾活字」です。
モチーフとしては、
今回アートワークを担当する事になった、
シルバーアクセサリー(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)の形を元にして、
1つの同じ形のデッサンを重ねて、
その中で図案の比率を変える事で、
変化を与え、
繋げた時にはチェーンのように細く出来たり、
対称に配した時(重ねた時も含む)には、
それがオブジェクトに変化するように設計しています。
もちろん通常のルールでの使用も可能となっています。
タイルのように並べたり、
繰り返しのパターンのようにパーツを作り上げるような、
古典的なやり方でもオッケーやと思います。
あまりにも出来が良かったので、
イメジストではキービジュアルとしても使う事が出来ました。
苦労したのは、
元が立体のオブジェクトなので、
それを平面するという事は角度が重要になります。
最初はその角度を変える事で、
オブジェクトに変化を与える事を考えていました。
あ、最初の時点で、
モチーフをシルバーアクセサリーを直接的に連想出来るようにする事は決まっていました。
何故なら、
シルバーアクセサリーのデザインは抽象的で掴みどころが無かったからです。
具体的なオブジェクトでの設計は避けようとも考えていました。
で、
角度を変えながらデッサンを始めたところ、
なかなか完成が見えて来ず、
そりゃそうで、
なによりも花形装飾活字を設計する上で重要なのは、
形の変化ではなくて、
その曲線の繋がりにこそある訳ですから、
立体的なものを角度を変えれば、
平面にした時にその曲線が個々で変わってしまいます。
それでは失敗です。
で、
考えたのが、
一定の一番いい角度でルールや役割を与えながら、
図案の比率を変えるという方法です。
曲線を変えずにベタの部分や線の長さを工夫する事で、
シルバーアクセサリーのイメージを与えつつ、
そして壊さず可能となった訳です。
だからどんな組み方をしてもそのイメージは維持し続けるし、
その中でフットワークの軽さを発揮するんですが、
それは次回以降に書くとして、
設計の段階として、
今回は鉛筆で描く作業をした訳ですが、
あくまでフリーハンドにこだわりました。
常々、曲線についてはフリーハンドで描いてきた経緯もあって、
とくに定規に頼った設計は今回は避けました。
今回のシルバーアクセサリーに関しても、
銀粘土という焼いて銀を精製する素材を使用しており、
作家の方が手で作る、指先で作るという事にこだわっているという事で、
その曲線を定規で設計する事は真っ向勝負じゃないなという気がしたのも、
大きく影響しています。なんか青臭いですけどね。
今日はこのへんで。
2009/06/15
紹介しておりますエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
詳しくは
http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
お待ちしております。
最近ですが、
花形装飾活字をオリジナルで設計する事がありました。
設計に際して学ぶことがたくさんあったので、
こちらでその事について書いていければと思います。
別で新たな花形装飾活字を設計中なのですが、
それについては今年の秋頃にはお見せできればなと考えておりますので乞うご期待です。
さて、
今回の設計についてです。
IMAGEST(イメジスト)
http://www.miwakazuki.jp/imagest/
というシルバーアクセサリーのブランドを構築する際に必要なりました。
IMAGESTについては、またLOGの方で書いていければと思いますが、
シルバーアクセサリー以外のアートワークについて全て担当させていただく事になり、
その1つの要素として花形装飾活字を用意するというものです。
モチーフが予め決められており、
実際の制作期間も他のアートワークと同時進行という中での設計でした。
作業の流れとしては、
まず、鉛筆で大量のデッサンをし、
それらの中からピックアップしてブラッシュアップしていきました。
後はエンスヘデのものと同じ肯定です。
曲線としてある一定の完成度が得れた時点で、
イラストレータでアウトライン化し、
何度も何度もサイズの変更や様々な角度組み合わせ、印象も含めて調節しながら、
完成に至りました。
地味にオリジナルでの花形装飾活字の設計は初めてでしたが、
既にその作業プロットは頭の中にあり、
ただそれを重ねて行ったというものです。
ただ1つ工夫をしたところは、
完成度としては、
期間が決められており、
その完成の底を何処にするかを定める作業です。
なんだかんだいって、
デッサンから完成まで2週間程度で完成させましたから、
2週間で出来る事なんて限られています。
作業の比率も然る事ながら、
何を花形装飾活字にするかという点には凄く悩まされました。
これらもこれからガシガシ書いていくと思いますが、
今日のところは置いといて、
まず上のリンクから見てもらえると嬉しいです。
そしてたくさんの学ぶ事がありました。
もちろん失敗した部分もありますし、
成功して次の新しい花形装飾活字に生かしたい部分もありました。
そこらへんもこれから書いていくので置いときます。
多分、
もしかしたらですが、
花形装飾活字の設計というのは底辺の定め方によっては、
なんともフットワーク軽いグラフィックデザインの在り方なのかもしれません。
今まではずっと、
花形装飾活字の捨てられた可能性としてフットワークの重さを説いてきました。
が、どうやらそうではないようです。
その要素たるはなんなのか。
むしろそれが日本的な場の作り方の本来の在り方を考えさせられるヒントになるかもしれません。
そういうのも含めて次回以降お楽しみに。
いつもの如く1日一回は更新出来ると思います。
ていうか100回またぐなこりゃ(笑
2009/06/01
IMAGEST(イメジスト)
http://www.miwakazuki.jp/imagest/
ええと無事この日を迎えれて安堵です。
アクセサリー以外の全てのアートワークを手がけました。
まさか自分がシルバーアクセサリーに関わるなんて!ていう感じですが、
現時点出来る技術を全て投じました。
パッケージまで全て凝りに凝ったので、
是非買ってみて確かめて貰えると嬉しいです。
ま、買わなくても単純に見て貰えると嬉しいです。
これからこのブランドを中心にアートワークを手掛けていくと思います。
いろいろ企んでいるのでどうぞ展開をお楽しみに。
2009/05/19
もう既に気づいている人の方が多いのかもしれない。
なんかごっちゃになっていて、
全てひっくるめて1つになってしまっているような印象を受けていたりする。
デザインで何かをするという事。
凄く今、これが流行っていて、
この5年でたくさんの方に声を掛けられて誘われる事があった。
この5年っていうのは、
ナガオカケンメイのD&DEPARTMENT PROJECTが、
一般化し有名になっていった時間と合致してる。
D&DEPARTMENT PROJECT自体は2000年からのスタートだけど、
その高まりは一瞬のものだったように感じる。
なんかちょっとカッコイイシーン。
デザインというなんだかわからないものが、
これのおかげでわかった人が増えた訳だ。
その一方で、
もの作りをしている人達が、
自分の作ったものに対して自信を無くしている会話にも、
度々出くわした。
生活の両立が図れない。
今の時代というのは既に原型が出来上がっている場合が多い。
その最初になる事が難しい事で、
模倣という懐疑的な視点を、
自分で作ったものにでさえ目を向けなくてはいけない。
前提という壁。
楽器というものを作る行為。
漫画というものを描くという行為。
楽器と定義されているものを楽器とし、
漫画と定義されているものを漫画とする。
そして自信を無くしてしまっている現状。
作る側がこれでは弱すぎはしないかな。
技術。
この2文字にも注目した方がいいのかもしれない。
で、
日本的発想の着眼点。
「作らせて貰っている」その幸福感。
全体主義の社会性。
どれも何も当てはまっていない。
咬み合っていないともいうのかな。
前提が全面に押し出されている現実。
正直、
ナガオカケンメイのやってる事、
やってきた事は好きじゃない。
実際に、いろんな勘違いした人を増やしてしまっているし、
その影で置き去りになっている重要な部分が、
蔑ろしすぎてるから。
考え方は変わっていない。
それが絶対に「デザイン」である必要なんて無いし、
意味がある必要も無い。
それが前提であり発端なのだから。
だから、
これからも「デザイナー」なんて名乗らないし、
「デザイン」というもので何かをしようとする動きには絶対に反抗心しか持たないと思う。
デザインで何かが出来るというものではない。
あ、大体からして、
作る人が自信を持つという事は、
何も威張るではなくって、
むしろその逆に気付く事なんじゃないかな。
逆に威張っている間は自信なんて絶対持つ事はないと思う。
自分の作ったものを愛せない人でしかないんだから。
自分で作ったものに絶対的な自信があれば威張る必要なんてないんだもんね。
あ、
最近の面白い会話から抜粋。
ボク「いっそガレージから1人の人が始めなアカンわな」
A君「それって才能のある人の特権じゃないですか。
才能が無い人は無視するって事ですか?」
続けてA君「1人よがりになるのもどうかと思いますよ。
1人で作ってる訳じゃないですから。
いろんな人が居て作ってる訳ですから。
それに、
目指せるとこがあるから、
1つの事にいろんな人が挑戦出来るんじゃないですか。」
と、
話は続くんですが、
面白い内容やったのでここだけ抜粋。
気付いてるのに気付けてないこの感じ。
これって今回のこの記事を書くきっかけになった会話で、
まさに的を得てて面白かったんですよね。
生み出す事と作る事。
今、圧倒的に不足してるのは生み出せる人なんすけど、
これは長くなるので、
http://yohaku.biz/mmgwp/?p=62
これでも読むといいよ。
2009/03/11
最近はイメージとデザインについて考える事が多いです。
イメージを構成するのがデザインなのか、
デザインを構成するのがイメージなのか。
「文字」という狭間と制約の中で、
度々に「表現」という言葉が用いられてきました。
イメージがもしデザインを凌駕するなら、
デザインは変化が求められます。
また、
デザインがもしイメージを凌駕するなら、
そのデザインも変化を求められます。
デザインが変化すればイメージは変わる必要がないからです。
ではイメージとはなんなのでしょう。
イメージは不変なのでしょうか。
不変であるならデザインは変わる必要はありませんし、
とっくに定義され方法論として語られているはずです。
そもそもイメージの存在がデザインを必要とした時点で、
デザインは変わるべき特質を持ったと言えます。
もし、イメージが変わるものだったらどうでしょう。
イメージとは人のイマジネーションそのものであって、
意識によっては変化が生じます。
変化が生じるという事は定義出来ないという事になります。
そうなのです。
イメージもまたデザインによって変化が可能であるという事なのです。
なのだとすれば、
イマジネーションという行動がデザインなのででしょうか。
デザインはイマジネーションという行動そのものなのでしょうか。
イメージは無限です。
制限や制約のあるものではないのです。
それを制限、制約するのがあるとするなら、
人の意識であると言い切ってしまいます。
イメージを思考として置き換えた時に五感とは違う物であると考えます。
そしてここが重要なのです。
人のイマジネーションの限界が、
同時にデザインの限界であるというのは、
つまり五感に裏づけされた感覚以上のものは人は作り出す事は出来ないと思うのです。
モノづくりしてる人で、
よく、
神が下りてきた!とか言ってるけど、
そんなの所詮勘違いであり、
単なる五感で手に入れた経験則とイメージとを融合させた化学変化でしかないのです。
人の意識や思考でさえ怪しいものです。
五感が無かったらこれ程までのイマジネーションは得られいたでしょうか。
ではデザインが関係する五感とはなんなのでしょう。
デザインでさえも、
偶然性を構成する要素の関係が五感で読み取る全てであった、
という事なのではないでしょうか。
モノづくりは奇跡ではありません。
人の意識が起こした行動で五感なのです。
しかしこの論にも不可解な疑問が生じます。
それは意識と意識の融合です。
つまりアイデンティティです。
1つの五感で得た意識を一定の数の違う人と共有するという行動です。
わかりますかね。
これこそが「デザイン」なんです。
そして「イメージ」の在り方の意味は、
この前後で変わってきそうなのです。
それはアイデンティティを構築する前なのかした後のイメージなのかで、
大きく変化が生じ、
イメージという概念が2つに分けてしまえるのです。
それをデザインするという事は一体なんなのでしょうか。
もしイメージとデザインが隣合わせなら、
デザインという行動もまた、
同じ言葉にも関わらず2つの違うデザインが生じます。
とくに注目しているのは、
アイデンティティを構築する前のデザインです。
共有意識を構築する前のデザイン。
これって一体なんやろ??って凄く思ってます。
2009/03/06
と言ってもメルマガですが、
二週に渡って掲載されます。
長々と答えてしまったので編集が大変らしいです。
印刷とかデザインとかそういう内容です。
来週の水曜日までに登録したら読めるらしいよ!!今すぐチェキナ!!
http://yohaku.biz/