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2009/05/30
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2009/05/16
以前にCASOでグループ展をした際、同居別部屋には東京工芸大学写真の卒展が。
場合良くなり私のデジカメで被写体にさせてもらい絵を起こしたのがこのF4号リテイクというシリーズ。
こちら被写体のK氏の容貌にかかっている幾筋の波は、カメラで比較的容易に撮影できるブレ一種だ。一つながりに筋上の光芒が頭上から体内へ降り注いでいく写真と一体になった合成物を表している。
光にまつわる性質をテーマとしてそれをモチーフにするために一通りの光学機器を配備しての意欲作に順次とりかかっている。
私のモチーフは「光」である。まず、油彩画とテレビを見比べてみた。
このような物体を透層や透明な塊で包みこんだものそれから得られる感じ方と、液晶などの発行するモニターを見つめる感じかたとの、これらの視認に前傾の姿勢でのぞんだ。
それらの結果次第では、発行する画面と典型的古典絵画との、これら二つに関連する項目、有り得ないように思われるが共感する光の性質、これらに期待したが、ままままま。実際には前者が減光混色で視覚7万色以上、後者は屈折または乱反射と加法混色でありこれらはまったく異なるものであったのだ。
主な調査のなかでいつも不思議に思っていたのだが、神話寓話民間伝承なんでもかんでも伝えられてきた物語の文化のなかに、このような光自体が明確な偶像になった事実には未だ通じていないことである。
「光」をキャラクターイラストにしようとする難題を掲げるのは、それが触れることが困難であるのにも関わらず、テレビの混色ノイズによって実に容易に視覚化しているからである。つまり目の前にご馳走を並べてあるのに決して手が届かない、この感覚はアニキャラに萌えたことがある人にはわかってもらえるのではないだろうか。
光が現れる時のさまざまなエモーションが起こっており、また激しい脳波の振幅ではあるだろうが、それでも実態は見えてこず、っていうのは神々に伴った後光や、奇跡の瞬間に伴うまた後光、トランス内部での友人体感のときには光に包まれた不思議な舞台でまた、などど現れては神秘的なことでもその場の雰囲気を残していく。
こうのような感じる光を、テレビ上で効果として撮影した光のカットを合成するれていくの光源と同列に見なされ見過ごされるのも近いだろう。私たちは非日常的な奇跡体験の数以上に、大量の発行する光源を見つめ続けている。
万古にあらず近代での不思議な夢体験の例としてはアインシュタインが電線の中を電子とともに泳ぐ夢想にふけった感覚も、光を認識する人類の発見ではなかろうか。私の前にはもうすぐそばまで光がありもう少しで手で掴めそうな気さえする。
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2009/05/15
記事は今しばらく省略して画像データを掲載します。
この作品の裏面はこちらから見れます。
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2009/04/05
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2009/03/25
「ペツェッティーノ」
レオ=レオニ(Leo Lionni)著
ほんとうに今の今まで疑いもしなかった。ええ年こいて未だ自由人気取りの独居族であるペツェッティーノは今、人生の際に立ちとても重大なことに気が付いてしまう。
過去幾多の稚拙な振る舞い、その厚顔無恥を遺憾し真実を求めてホームグラウンド関西を離れ自分探しの旅に出奔する冒頭、いきなり自分という存在っていうのはどういうものなのか標準語で静かに語り出した。
実のところ「私」という存在とは、「私」より小さな無数の部品によって構成されているのだ。したがって「私」という部品がたくさん集まり、より大きな集合体となる存在なのだ。
つまりこうしたホロン構造のうちにあり、「自分」とはこのような都市高層ビルの何階層の次元かに入居している部分であるのだ、などどといってペツェッティーノは突然自答をし、それを杞憂など露程も感じず、その真相を追求する悟達の書をもとめて、すべての人々に究極の問いを投げかけ始める。
未曾有の大不況のなかで親親戚兄弟その他どのような血縁とも縁なき衆生であるペツェッティーノはまるで判を押したような不思議ちゃんの様子を装って二者会談を申し出る勇ましい問答の姿、その一球入魂にして誰もが強く心を打たれる名作。素晴らしい絵本である。
http://www.kogakusha.com/leo/leo008.htm
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