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    Works 225
  • 足踏み期間

    2011/07/02

    maro日記

    足踏みする、かつてそんな期間が私にはあった。

    気も弱い私は、やりたいことを探して、
    そこに向かいたい気持ちは十分にあったんだけれど、
    何もできない期間、ずっと不安だったのだ。

    その期間は1年や2年じゃない。
    短大からだ。親元を離れてから、
    『何とか自分になりたい!』
    って思っていた。
    ずっと自分を捜して、
    ずっと足踏み…

    『何かをしたい』なんて言っても、
    その『何か』もわかっていない私。

    学生生活が終わって、
    実家の仕事を一緒にしてほしいと頼みこまれて、
    帰ってから、経営自体がうまくいかないことから、
    給料をもらえず、バイト生活へ突入…


    学生の間トントン拍子に行っていた
    私の最初の落とし穴にはまった。

    たぶんそれが普通と呼ばれる道を
    それていったキッカケだろうか…

    フリーターは周りの目がキツい。
    もちろん周りは『甘い。就職しろ』


    でも、私はその『何か』を探し続けた。
    今も方向しかわかっていないけれど…

    私が実際似顔絵を描いたり、
    イベントにでたり、
    ウェルカムボードを描いてみたり、
    そういうことをし始めたのは3年前からくらいからかな。
    それでも、もちろん今もまだまだ道の途中なんだけどさ…


    それまで数年間あがいていた。
    自分はこのままでいいのか、
    逆にそれを全部捨てて就職した方がいいのか、
    引っ越しもたくさんして、
    バイトの転職も10を超える。


    そんな足踏み期間。
    本当に絵の勉強をしていたわけでもない。

    ただ、諦めるってことにはしたくなくて
    就職はしないでバイトに固執した私。



    でも、あの期間は、ずっとあがいてきた期間は、
    ムダじゃないと今言える。



    結局ムダやん。結局どんなに頑張ってみても、
    どうにもなんないやん。と思っていたのは4年前。

    あがいてあがいて、立ち止まったり逃げ出したりも
    したけれど、それでも、それだけ心を使った時間は、
    私にとっては必要だった。


    今やっと少し動けるようになるまで、
    気持ちに勇気が持てるようになるまで、
    私にはそれだけの時間が必要だったのだ。


    強がりじゃなく、これだけ精神的に揉まれたことは、
    もう2度としたくないけれど、
    それが、今の文章、絵、考え方にあらわれていると
    すごく感じる。

    今はその気持ちや想いが絵を豊かにすると思っているから、
    実はすごい勉強になったんだろうなぁ。
    とにかく、ものすごく濃い時間を過ごせた。

    ただ、死にそうに不安で、途方にくれ、
    もう終わりだとずっと感じていた私は、
    やっとちゃんと前に進めていると思う。


    誰かが道路を引っぱった道を歩くことが
    正しいと思っている人が多い中で、
    私は未開拓の道をかきわけかきわけ歩く。


    でも、その先は必ずある。

    うまく説明はできないけれど、
    想いを持ち続けて、あがきつづければ、
    ちゃんと道はできていって…



    その先はある。

  • 最強!ズッキーニぼうや

    2011/07/01

    maro日記

    こいつはなんなんだ?

    こいつは自由なやつなんだ。
    いつでもどこでもどんな格好しても
    全然平気!


    踊ったり、寝転んだり、笑ったり…


    『こんなん着てたら恥ずかしいんじゃないの?』

    『いやいや、これがいいんだよ!』


    そんなズッキーニぼうやには、
    恐いものなんてないのだ。


    最強ズッキーニぼうやに私もなるぜ!

  • ネコになった

    2011/07/01

    maro日記

    このところ、いろいろ考えて考えて、
    ちょっとアタマがいっぱいになってきた。

    一休みしようと思う。
    私はネコになった。


    いろんな考えていたことが
    フワフワ漂っているけれど、
    私は目を閉じることにする。


    グーグーといびきをかきながら
    寝たい気分だ。


    みなさん、よかったらアタマをなでていって下さい。
    …ネコなので。

    きっとヨロコブことでしょう

  • 透明人間がソコに座っている

    2011/06/30

    maro日記

    朝のブログ続き…ぽい内容かもしれないし、
    結構何回もブログで書いていることなんだけれど、
    人のキモチって生き物のように
    しっかり存在すると思うんです。


    例えば、恋人と遠距離恋愛なのです。
    寂しいのです…

    そんなとき、確かにあまり考えていても仕方ない、
    考えないようにしよう…
    …いやいや、もう寂しいサンは存在していると思うんです。


    大好きな人とケンカをしました。
    悲しいのです…

    でも、あの人が悪いんです。
    …なんて、必死に非難をして、
    なんとかこの悲しみをなかったことに…
    …いやいや、もう悲しいサンは存在していると思います。


    でも、なかなかこの存在は、
    見えないから見ないフリをしたり、
    気がつかなかったり…
    ましてや、相談相手になんか全く見ることができない。


    なかなかこのことを認めることはできない。
    だって、ネガティブなことだから忘れよう…
    なかったことにしよう…

    …いやいや、もうそこに座っているんです。
    でも目には見えません。
    持ち主にさえ見えません。


    でもいると思うんです。


    なかったことにはできません。
    だって、すぐそこにいるんだから。


    だから、話し合いにそんなキモチさん達も
    参加させてあげたいのです。

    もちろんそれらは、
    本人が作り出したものかもしれないけれど、
    作ろうとして作ったんじゃなくて、
    わいて出たたくさんのキモチ達には善も悪もない。

    ただそこにいる。

    そうして、そいつらの存在なしに
    問題が解決することはない。


    ただ現実に起こった問題だけを見て、
    その解決方法を見つけても、
    キモチさんは、置いてけぼりで、
    やっぱり、そこに座っていると思うんです。


    一番本人が痛いのは、
    何かが起こったことじゃなく、
    悲しいサン、寂しいサン、
    たくさんのキモチさんの痛み。
    存在を否定しても、事は動かない。

    それをすべて透明人間じゃなく、
    ちゃんと存在する人として、
    大切にしていくことが、
    相手を大切にするってことなんじゃないかなぁ。



    何とか私の想いが伝わるように、
    誰かを大切にできるように、
    ちょっと変な話だったけれど
    頑張って話してみました。



    …でもたぶんこれが真実なんじゃないかなあ…

  • 『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    2011/06/30

    maro日記

    結構悩みごとをしていて、
    私が誰かに相談するときって、
    もう始めから、言ってほしい言葉ってたぶんある。

    『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    この言葉はよく聞いたし、
    その『何かを』言ってほしい自分も
    確かにいた。

    一体どんな言葉を私は望んでいるのか、
    何かを待っているくせにわからない…
    けれども、相手が言ってくれていることが、
    その『何か』ではないことに気づいていた。

    この私にとっての『何か』は、
    誰でももっている、
    誰でもできることじゃないことを
    だんだんわかってきた。
    そして、誰彼かまわず話していた自分の悩みを
    話すことをしなくなった。

    この人ならその『何か』をもっているかもしれない人か、
    よっぽど、この人に話してもわかっては
    もらえないことを前提とした上で
    話すようになった。
    優しい言葉であったとしても、
    その『何か』をもっていないことによって、
    私は傷ついてしまっていたから。


    私は相談じゃなくて、
    聞いてほしいのだ。
    だけど、ただ言いたいわけじゃなくて、
    やっぱり『何か』が聞きたい。

    それで、ずっとその『何か』を探し続けていた。
    で、思ったのだ。
    同じ対等な目線で、私の立場にたって、
    一緒に感じてほしいし、考えてほしい。

    一時期わからないときには、
    いっそ自分は単に慰められたいのかと思ったけれど、違う。

    正論とも違う。
    だって、頭で考えている私は
    その内容はとっくにわかっている。
    その正論でこうだ!ってことでも、
    自分の気持ちに折り合いがつかなくて
    痛いんだもん。
    それをひっくるめて、
    その土俵の中で話がしたかったのだ。

    例えば私と母親の場合、
    母は母の立場で話をする。
    私のことを子供の立場で見る。
    子供扱いとかじゃなくて、
    自分と違う立場から、
    なんとかしてあげなきゃ…ってなる。

    例えば友達同士、
    大変だねえって、
    今の私のしんどい立場とは別の、
    安全な位置から、
    他人目線でのアドバイスをする。
    私は痛くない、痛いあの子を助けなきゃ。

    全部とても優しい気持ちから
    きていることはわかっている。

    でも、そういうんじゃない。
    だから、『じゃあ、なんて言えばいいの?』になるのだ。


    私は一対一のただの人間同士の話がしたい。
    家族、恋人、友達の立場はすべて取っ払って、
    話し手の立場に身を置いての話をお互いでしたい。
    別に全くアドバイスがほしいわけでも、
    結果がほしいでもなく、私は聞いてほしい。
    それは、ただ耳を通過するんじゃなくて、
    今の私の気持ちを一緒に感じてほしい、
    わかってほしい…
    その、相手に私を体感してほしい。
    そしてその上で話がしたい。
    ああだね…こうだね…って。
    でないと、この矛盾だらけの気持ち、
    正論では説明がつかないし、
    リアルじゃない。
    そう思う。



    これは全部私目線で
    あくまで、私がそうしてほしい、
    その『何か』を探した結果。


    もちろん全員には当てはまらないだろうけれど、
    私はそれを望んでいた。
    それが、人は私じゃないから、
    私を体感するなんて100パー無理だけれど、
    それでも、そういう位置で話がしたいと思う。

    逆に相手が痛いなら、
    私も痛い人の立場になって話をする。
    そして、その人を知ろうとすることが、
    私にとっての『何か』。
    こんなに痛かったのか…ってことを
    深く知ろうとすることが、
    私にとっての優しさだった。



    あなたにとっての『何か』は何ですか?


    私はそういう想いを過去に考えてきました。
    今は痛くはないけれど、
    そういう場合…どんな想いを持つか
    話させていただきました(o^-'')b



    そして、絵と文、合っていません。
    絵の方は、『私は私で積み上げていくもーん…』て感じの内容でした。

  • でも実は誤解なんです

    2011/06/29

    maro日記

    今日やっと気づいたことがある。
    このブログを読んで下さっているみなさんに、
    すごい心配をかけてしまっていたとは…

    『でも実は誤解なんです』


    今悩んでいることは、一つ。
    突如暴れだすカイジュウ君は、
    今はおとなしくしている。

    その内容はこのブログに書いたことはない。
    これは不可抗力だから、
    もし100%の言葉をもらったとしても、
    解決はしないだろう。
    だから、この問題には触れないでおく。


    今までたくさん書いた私自身の意見は、
    すべて実際踏みしめてきたことだ。
    全部苦しい思いをして考えてきた。
    そんなときに言ってほしかったことであり、
    これが私にとっての答えだった。

    だから、全部『どうしよう…』
    てカタチじゃなく、
    言い切り系だったと思う。
    『私はこうしたい、こうする』
    …みたいな。


    内容全体はちょっとネガティブな
    問題を取り扱ってきたけれど、
    思考回路としてはポジティブだったはずだ。
    強がりじゃなく、私にとっての真実だから。


    いろいろあったけれど、私のことは、
    周りもちゃんと認めてくれるようになっている。
    絵もちょっとずつ、
    私の似顔絵を大好きでいてくれている人も
    増えてきている。支持してくれる人もいる。
    そして、このブログを通して
    いろんな人が私の話に耳を傾けてくれる…



    私はいろんな問題にぶつかったとき、
    それが、堅実な生き方ではなかったから、
    私のほとんどの周りの人とは、
    正論でしかやり取りができなくて、
    実際の私の気持ちは置いてけぼりだった。

    でも、人間って、
    ちゃんとしなきゃいけない場面で
    できないってこともある。
    例えば、相手を頭では許そうと
    思っていてもできない…とか。
    矛盾が起きてしまう。

    そういうのをひっくるめた上での
    これらの問題にたいする私なりの意見を
    聞いてほしかったのだ。


    そして、それにたいして、
    みなさんがどんな意見をもつのか聞いてみたかったのだ。


    いつもくっつけている絵も…
    いろんな想いを噛み締めている、
    そんな人が私は好きだ。
    必ずしも笑っている顔だけが、
    いい顔とは私は思っていない。

    そんな私の中にある、
    今までのいろんな想いをもった、
    そんな子達を描かせてもらっている。


    そんな私、今は割と元気だったりするんです(-""-;)
    ブログの内容に入り込みすぎて、
    えらくみなさんにご心配おかけしました。

    本当にありがとうございます。
    また聞いていただけると嬉しいです(*^o^*)

  • 何もすることがないのはしんどいのだ

    2011/06/29

    maro日記

    仕事というか、やんなきゃいけないことがあるって、
    ホッとすることだと思う。


    例えば『仕事、しんどくてやめて今はまだ何もしてません』
    なんて言う人がいたら、
    『おいおい気楽なもんだなあ…』
    とか思われちゃったりするけれど、
    本当に気楽でいられるのは、
    よっぽど金銭的に余裕があるか、
    よっぽど働けない事情があるか、
    よっぽどずぶとい人じゃないだろうか。

    『今働いていません』
    よっぽど他にやりたいことがあるなら別として、
    こんなに精神的にしんどいことはない。
    漠然と自己嫌悪を心の片隅に常に置きながら、
    やることもない。

    体力的に楽?
    いやいや、精神的には息がつまってくる。
    普通に大学を出て、
    就職して、忙しかったり、
    それなりに大変なことはあっても、
    心はそれほど痛まない。


    毎日をただダラダラすごし、
    そんな自分を
    『自分ってダメだ』
    なんて思いながら
    将来に対して漠然とした不安を抱え続けることは、
    思いのほかキツいと思う。

    だから、気持ちの安定として、
    『これでいいんだ。私はやっている』
    って思えていて、周りからもある程度そう認識して
    働くことは、精神的には逆に楽だ。
    良心の呵責が全くないんだもん。


    結構勘違いされている。
    『働かないことは楽だ』
    おそらくニートの人も
    そんな思いを飼って
    生きているんじゃないだろうか?
    精神的にかなり追いつめられる
    道だと思う。


    …何でこんなこと言いはじめたって?

    よくわかんない。
    ふと思ったんだ。


    でも、そうした時間を持ったとき、
    精神的に追いつめられたのは、
    私だけじゃないはずだ。


    結構しんどいもんだ。
    それほど長期的な何ヶ月も…みたいな経験は
    ないけれど、1.2ヶ月間が空いたとき、
    漠然とした不安と自己嫌悪が
    ずっとやまない頭痛みたいに
    ズキズキする。
    痛み慣れ…みたいにだんだん慣れてくるけれど、
    それは治ることはない。
    ものすごくイライラもする。

    だから、毎日どんなに忙しくても、
    頭を使っても、しかられても、
    それなりに働けている人は、
    それに気づかず、
    『自分の方が大変、お前は楽だ』
    なんて思っちゃうだろう。


    でも、きっと本当は、
    その方がずっと楽なのだと思う。

  • 失敗という地雷を踏んで歩く

    2011/06/28

    maro日記

    『失敗は成功のもと』
    なんて言ったりするけれど、
    失敗することって、
    思いのほか怖いもんじゃないと思う。


    まだ実家にいた頃、
    何かしようとするとき、
    やっぱり親としたら、
    子供のことはいつの間にか自分を投影していて、
    自分が間違っていると思ったことは、
    止めさせたいもの。

    子供の心配が、いつの間にか自分自身が
    失敗しちゃうような感覚になっちゃうのだ。

    私自身も逆に家族対してそういう感覚を
    持っちゃったことがある。
    それは、心配して、気遣って…
    …って気持ちも0じゃないんだけれど、
    それよりも、自分が失敗したくない…って感覚。
    本人以上に不安になっちゃって、
    不安を本人にぶつけちゃう。
    本人が一番不安なのに…

    『どうせ…でしょ?』
    から始まって、
    『ほらね!やっぱり…だったでしょ?』
    みたいな感じ。


    私は言ったことがある。
    『失敗くらいさせてくれ!』
    失敗は失敗だけれど、本当の失敗じゃないのだ。
    失敗から具体的な何かを得られるかといわれたら、
    ないのかもしれない。
    でも、失敗するってことは、
    『実行した』ってことなんだ。
    それって失敗よりすごいことだと思う。

    私は今でも、失敗してもいいから、
    とりあえず実行するところまでは行きたいと
    思っている。
    そう、失敗という地雷をことごとく
    踏んで歩けばいいのだ。
    全部爆発させても、私は死なない。

    それでも不安には、ものすごくなるんだけどね!


    そして、とても難しいことだけれど、
    自分の近しい人が何かをしようとするとき、
    どんなことでも、自分の不安を押さえて、
    ちゃんと応援できる自分でいたいと思うのだ。
    地雷を踏ませてあげられる勇気も必要なのだ。



    でも、そんな私、実際実行したはいいけれど、
    失敗するとやっぱり凹むのだ。

    だけど、何も実行する前は、
    失敗は絶対にしちゃいけない!!
    って感じで、失敗することが極度に怖かったけれど、
    そこまで恐ろしいものじゃあないのだ。

    逆に、そこまで高いハードルじゃなかったのかと思うと
    達成感も小さくなったりはするのだけれど…


    似顔絵を描きにいって、ヤジがとんでも
    お客さんが来ない日でも、
    私は死ぬことはない。


    そして、いっぱいお客さんが来てくれる日がくると、
    それこそ全部吹っ飛ぶのだ。

  • 『無』からはいる

    2011/06/28

    maro日記

    絵でも文章でも、それをかくとき、
    最近は『無』からはいる。


    小さいときは、本なんかを読んで、
    可愛い!とか、かっこいい!と思った登場人物や、
    感動した登場人物の表情だったりとかを、
    描きたいと思って描いていた。


    また、ちょっと前…
    人生ドン詰まりのときは、
    そのときの気持ちを絵として表現したい…
    と言ったら聞こえはいいけれど、
    要は、自分の感情を叫びたい…みたいな感覚。
    紙に叫んでいたのだ。
    このときの絵は、
    自分のためのもので、
    誰にも見せる気はなかった。


    似顔絵描きを始めて、
    もともと自信も何もない私は、
    絵のスランプになった。
    『自分じゃなくて、他の人が『納得する絵』を
    描かないといけない!』
    なんて思いながら…
    自分から見てどうしても、
    うまく気に入った風に描けない!
    …でもやらなきゃ!みたいな感じだったり、
    こういう風に描けば、
    とりあえずお客さんも文句は無いだろう…
    みたいな、プラスを追い求めるんじゃなく、
    マイナスのない絵をとりあえず
    描いていたこともあったけれど、
    それは、そのときから
    『そんな自分、間違ってる!』とは思っていた。



    そして今。
    『無』なのだ。
    こういうのが描きたい!というよりも、
    とりあえず描いてみて、
    じゃあ、こうしてみよう、ああしてみよう…
    みたいな感じ。
    頭よりも心よりも手が動く。

    だから、全く想像…していないんだけれど、
    想像つかないようなものが描ける代わりに、
    失敗も多い。
    ただ、ブログを書いているみたいに、
    自分でも気がつかなかった
    自分の中にある気持ちだったり、
    感情、アイディアだったりが、
    ポロポロっと出てきたりする。


    さて、どれがいいのか…
    何かを描きたい!と思う方が描きやすいんだけれど、
    でも、『無』から始まっても、
    だんだん絵がカタチになっていくと、
    こうがいい、ああがいい…とはなっていく。


    今も昔も、私は表情に
    重きを置いている。
    私の描く子にソバカスが多いのは、
    もともとの美人だったり、
    ルックスの良さからくる『キレイさ』
    を避けたいからでもある。
    (単純に可愛いからでもあるんだけれど)


    そんな私の絵は描き手の好みから、
    よく泣いているのは、
    単にビジュアル的に好きなのである。


    水ってなんかいいよね(≡^∇^≡)

  • ちょっとコイバナ?!

    2011/06/27

    maro日記

    学生の頃…
    私は短大に行くまで彼氏はいなかったから、
    制服でこんな場面になったことは無い。

    気が弱いので、好きな人に好きだってことも
    知られたくなかったし、
    告白なんてしようもんなら、
    うまくいったとしても学校に来れないや!
    って思っていた。


    あんまりこの手の話は苦手なんだけれど、
    ちょっと私らしい感じで話します。


    あなたにとって、
    好きな人に求めることって何ですか??


    私は、やっぱりドキドキしたかったし、
    私より背が高い方がよかったし、
    年上がいいなあとか、
    頭いい人がいいなあ…

    そんな理想が学生時代はあった。

    でも、結構いろいろ問題を抱えてた私は、
    常々、味方がほしいと思っていた。
    それがいつの間にか理想になって、
    それで、今にいたる。


    ひと年まわると、『優しい人』がいいんだけれど、
    何をもって優しいとするのか?
    YESマンは嫌だ。とか思うようになった。


    ただ、前から、何か自分にできないことが
    できるような人がいいなあと思っていたんだけれど、
    私より若干身長が低くて(私が高いんです)
    年下のアートとはぜんぜん無縁系の旦那は、
    『人と比べない』ということができて、
    『自然体でいられる』ということができる。

    どっちかというと私がなりたい理想なんだけれど…



    人の数だけ理想はあると思うけれど、
    みなさんどんな理想をもっているか…

    ちょっと気になるところです。

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