揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 聞いたら神社に行ってお清めをする、



    天災については、


    昔のひとや古代の人は私らよりは強いねん。

    それだけはさらに言うときます。









    大阪に、カオのいい悪い人間がいて、その人災を天災にしようとして、

    コロナがなにが原因かというと、「非常に強い憎しみ」だそうだ。

    憎しみ、ではなく、有ることの無い「憎悪」だ。

    またそれが空に穴を開けて、空を通して、ばい菌になるのだから、宇宙の理って凄いなぁとか思う。

    大抵の痛み憎しみは耐えるし、心は理解ができる。
    霊媒師の人は常に体の痛みと苦しみに耐えている。私もそうだ。それが修行なのだ。

    その人だけが、自然の理に逆らい過ぎたのである。


    建物だって、「造形」を省けば、自然(動物)である人間の自然だ、と尊敬する詩人がおっしゃっていた。

    私は、自分にたいしてよその人間が何が誰をどうしようとかたくらんだりすることに汚さを感じたのではなく、

    私の愛す虫の「コオロギ」を、自然が成すものを、目の前で殺され続けたり、残酷なのは、それを「ゴキブリである」といってみんなにその虫の足を、さらに病気を浄化する龍の背中にわざわざ付けて一緒に撒き散らす。

    それらを隠れてやっていて、誰の指示があったのか、自分のこのときの震えた感情がばい菌と繋がるとは全く予知はない。






    嫉妬や悲しみ、怒りでは簡単にはそうならないのは、


    コロナで反省したとして、本当の菌にしようとしてそう実行したが、海外の若い人が多く死んで、
    その波長を、受けたんだと思う。
    ある人は感じやすい、繊細すぎた、事を、計算に入れなかった。

    賢いなぁともどこかで思っているけど、賢い気がする予感だけで、そのあほさが許せなかった上に、頭にのる、

    信じられずで、

    私が怒るのは、気があった無かったを理由に、女や被害者のせいにしてしまう頼りなさだ。




    その上に2回目があった。

    別人の全く他人の、大阪のひとで陰謀で、前話したように遠隔で神経を切り刻んだりして、

    人は、今における高い想像力を、霊に織り込んで形を成す、そのまま天へ上がる。これは自然で、

    人は自分が分からないから「善っぽく」いることが、かひしく、ある姿なのだが、

    そんな誰もしない

    彼は何の「字」も既に歪んで読めない。

    恨みは簡単に、笑い飛ばしたり生活をして忘れる。

    「天に上がった事が、天災だ。」と彼だけに言われるが、天と歯向かって、一つになった。神がいるなら道理があって、これをやり抜いた人が何を云っても、コロナのようにころころと変わるわけがないのだ。

    それをどこかで知っていてそうした人が、悪いのだ。


    「天地」がたしかに有るのに、理論が曖昧で定める事が出来なかったのは、生きている人間だ。



    ゴキブリだ、といった人は大学の自分の同級生で、善い人だったので、愚か過ぎて、何か情けなくなって、うつむいている。


    これを言うと、口にしてしまうと、



    「では、これをされたらどうなんだ。」
    と言われるが、
    そんなことじゃなくて、
    この時、ただ哀しい。
    怒りにさえ変えるつもりはない。
    心にないものを自分から出すことがない。
    だから昨日も今日も明日も、何を感じていても良いと思うし、
    「人」の思いなら止めなくていい。
    告げ口を軽蔑してていいし、横から入って自分の何かを止める必要もない。


    聞き慣れない天というのは、

    神が怒るのと、人間が怒るのでは、レベルが違い、人間が怒るようにはなってない。

    私は火災を経験したが、悲しみが多かった家だし、長屋であったのに、自分とこだけ全焼して済み、隣も全く無事だった。住んでた友達の置いている物置や、ピアノ、生花の花瓶、着物、母の撮ったアルバムは残って、
    家も、そのまま売れた。

    20万くらいで買ったガネーシャの銅像が、水浸しの部屋の真ん中に、何の姿も変えないでいた。







    何が天災で祟りであるかというと、神木の在るひとを切りつけた、のではなく、

    ばらばらに「してしまった」、のではなく
    「わざと」ばらばらにした。





     

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  • 私が修行を始めたのがその後の一年。


    私の修行が始まったのはその後一年で、ハンターハンターのゴンのごとく、傷だらけでにへら笑いをする力を得て、周りを安心させる。


    呪文はこうだ「辛いです!苦しいです!痛いです!」そう手を合わせて光の方にくっと持っていくと、何だか自分なりにオーラが見えてくる。


    何を言いたいかとひび云うと、だから、人もまた遅くない。

    すべてを感じ取るのである。感情、優しさ。




    東京は粋が激しいので、自意識を無くすが、関西は自意識を残したままより成長を望む違い。
    実感として、東京風より出遅れるが、るんるんである。

    関東よりも「出ていかない」ので、我(われ)を述べる事がない。足りているだけだ。


    それがまた急ぎすぎたペースに、時刻を云ったりする。

    なんでもたった知恵を争奪する。

    私の目指していたのは、町の鞄の職人である。大阪の伯父を手伝って、いつか工房を継ぐとしていたが、世間になんやの色々あったし、騒がしく「私には出来ない」という言葉にて。

     

    字を書くことも、今はそれにそそいでると伝えたい。

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  • 数年前ー現在

     

    私の修行が始まったのはその後一年で、ハンターハンターのゴンのごとく、傷だらけでにへら笑いをする力を得て、周りを安心させる。


    呪文はこうだ「辛いです!苦しいです!痛いです!」そう手を合わせて光の方にくっと持っていくと、何だか自分なりにオーラが見えてくる。


    何を言いたいかとひび云うと、だから、人もまた遅くない。

    すべてを感じ取るのである。感情、優しさ。

     

     

     

    怖れと気合いをもったまま、

    いややったらはけてね、とか


    まとめたのちに
    こうこうこうしますので、お願いします、と

    この辺は無理です、通れません とか

    とめるとき
    誰かとめてください、とか

    それ以上に話があるらしい、きこう。


    居ててな、とか

    自国のひとに、ありがとうございますと、みんながいいや
    と、言ってたら、


    辛いことがあったとか、楽しい事があったとか、話ししたいなら各各でする



    精神科にかかっていたし、霊樟と合併してわけが解らないまま、

    出来るだけ自分のことば(魂)と正直を合わせる、相手に対してこう言いたい、と云う魂に沿って、正直を磨く感じ。
    つらかった、じゃなくて、相手は、自分のことが知りたいのだから、できるだけ芽をだしてあげる、自分にプライドとかあるからその為に、砕けておく。砕けている事を表現するために、質問(相手のある話)に悩み、耳を澄ましておく。いくら耳かせ言われても、感覚的に順序的に、持つ責任的に、違ったり合ったりする。

     

    何でも参考にする。
     

     

     

     


    何で生きてるかというと、その後警察に言って色々聞いたり話したら、核保持保有を教えてくれた、その後2時間かかる精神科にワゴンで連れてもらい、努力して治す事が(先生はなんてなかったが、患者が詩人ばかりで濃く、心をもみ合わされた、勝手に治った)
    前日アマテラスがみえて怖かったが、

    色んな高い想像力で、勘には形があって、全て破棄していた。
    ゆっくり休むが、高熱がでて、救急車で遺書を書いていて、子供の名前を書いたとき熱が引いた。

    病院ではずっと宇宙のことをかんがえていて、恐怖で一杯だったが、なんやりご飯を食べてやり過ごした。

    カーバンクルが夢に出てきて、エンディングてあったが、

    上皇様がお亡くなりになって、なんだか涙がとまらない。

    うたったり普段話しづらい人と話したり。

    安倍さんが辞められた、その背が姿が余りにまっすぐだったり。

    菅さんもまた、山々は詩とて、日本はまた老人は古きとして、文学では中国よりふるい。晴れるはずだったんだろう。コロナが何かよくわかるが、何て言葉にすれば、わっとならないのか、思うと口をつぐんでしまう。

    唾がとぶからマスクをしなさい、は、高貴な言い方で、古い文学をよく学び自国のことをよく知った。

    自転車で、交番にいった。

     

     

    理解をしないし、していない。適当に夢をみる。それだけが人間たと願う。

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  • 自分が何をされたのかしっかり覚えるように、何度もしつけをされるが、辛いのである。 憤りは憤りとして置いておく事。 人ともすぐいからず、抑えて。話をする。またいつても話せるように ありがとう、は云う。 腹を聞いて頂いた。 生きてる間、何度も練習をする。

    自分が何をされたのかしっかり覚えるように、何度もしつけをされるが、辛いのである。
     

    憤りは憤りとして置いておく事。



    人ともすぐいからず、抑えて。話をする。またいつでも話せるように
    ありがとう、は云う。
    腹を聞いて頂いた。
    生きてる間、何度も練習をする。

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  • 「わたしもやりたい」

    2021/07/12

    神様の話

    人が、正しい感覚と云うものを、覚えていられますように。

     

     

     

     

    周りは興味を持って話を聞いてくれたり、話かけてくれることもある。あれがあかん、これがあかん、自分の人生丸々教えてあげたいわ、あるが、そういうひととも苛立ちながら会話することも、

    すれ違ったままでいることも、要るし、流れかもしあるのなら、解きたいものもある。「解決」はじぶんの中にあり、他人は触ない。もやもやしてることが今に等しい答えかもしれないし、考えることが出来ない。

    ゴキブリだったら良いが、もしコオロギだったら。そんな時も、大阪さんは怨念でも憎しみでも一緒に泣いてくれる。

     

    神でないのに憤怒して一生を使うのは、出来ないし、仏像てないのに仏像だと云う意味もこんにちは得になく、様々な空気、時間の流れ、起こるべき出会いなど、尽くして怨や愛に在りたい。恨みだって少しはあるが、そういうのはすぐに忘れる。

     

    何事も巡るのだから、そうやって覚えつつ

    それよりも、

     

     

     

    ラーメンを打ちたかったり、

    厳しい心気を望む場合、

    「中国の神様、私もしたい。」

    と願えば、ずぐには叶わなくても、良いと思う。

     

     

     

     

     

    自分の居場所が、最もラク(楽)で、

    自分じゃないから受けれない苦しみがある。

    自分が、全部感覚を活かして、歩く(体と知)自分に戻らなければならない。

    その為に文化とか色々居って、人生もまた在るんだと思います。被害者さえ何か言われるが、そんな感じやとも思ったり、打たれたり、色々してたら良いんちゃうか。こうとも考える、吉本新喜劇は、変わらずに好きだ。

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