揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 汚れたハンカチ

    いくら血が有って先祖だといっても、

     

     

    みんながみんな、すべての全員がまるまる守ってくれることではないかも知れないのだ。

     

     

    明らかに命を傷つけて悪意をまき散らす浮遊霊として、

     

     

    墓に入れないヤツ。

     

     

    わたしの身体や、精神のいつも「外」におり、

     

     

    そんな影から自分(?)の知識の中に呼び込み毎回人を「死」へと運ぶネガティブレイン。

     

     

    普通の人は知識もなく、そんな神だと

     

     

     

    いい加減な理解しかない。絶望して研究をする。

     

    何も感じなかったら潔く殺されて居る所、少なくとも世の納得を得ただろう。

     

    そうして亡くなったのが母だから、痛切なのだ。

     

     

     

     

     

    幽霊が自分から剥がれる時、勝手に流れる涙が、いままで自分が何をされていたかというのを、

     

     

    具体的な事はわからないが、知っている。

     

     

     

     

     

     

     

    もし輪廻があり、

     

     

     

    精霊があるなら、

     

     

     

    マイナスがほんとうにあるなら、

     

     

     

    そいつは必ず神と「はち合わせ」をしているはずだ。

     

     

     

     

     

    「見え」たときは、はだいたい遅いものだが、

     

     

    すこし汚れてしまったハンカチは、どのようにも

     

     

     

    持っていられるし、時代が時代でも使用できなければ。

     

     

     

    私は私の生命を維持する。

     

     

     

     

     

     

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  • 法律

    何か有っても、

     

     

    それはちょっとした煩いであるが、社会的な大きさにより、

     

     

     

    憤怒にこらえるような苦しみを感じる。

     

     

     

     

     

      被害を受けたから法律に関わる以前に、法律に触れていない自分を自尊するように、

     

     

     

    気高い気持でなにかを、「無題」と命ずる。

     

     

    理想を描くようなそんな冷たさを持って居るのは、

     

     

     

    何に人生をかけるかを、選ぶのは自分だと

     

     

    結局そんな日はあるから「大変」だ。

     

     

     

    「もし、なにかされたら」

     

     

    そんな不安は世界中にも、日中にも、ありふれてい過ぎる。

     

     

     

     

    詩がもっと単純で、純粋な時間を運ぶから、

     

     

     

     

    理解する読み手とは、その時は全員が詩人なのだ。書くことではなく。

     

     

     

     

     

    友人には黙り、彼氏には怒られキスをしてもらう。

     

     

     

    「何か有る自分」としてではなく、

     

    今のこの時間に何か有る自分として言葉をわける。

     

     

    無駄が多く、実際そんな頭脳だが、

     

    しかし「考えていること」が文学として絵画として成り立つなら

     

     

    生えてしまったものでも、有るもので養いたい。

     

     

     

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  • 白い花

    night、と云うだけで毎日がクリスマスかの様に、

    きらきらする 響いている。


    夜に咲く花にはなにがあるだろう?



    ゲッカビジン、マツリカ、サガリバナ、キダチチョウセンアサガオ



    夜行性の花は白いものが多く、それは何だか夜空のごく紺の光を囲う少ない色彩のようでもある。



    まっさきに真珠を連想させるような、


    幼少に読んだ本のような。




    花の色とは、内部で小爆発を起こした「光」そのものなのだ。



    互いが、こつんこつんとかち合い、何度も葛藤した痕跡が


    その少し疲れたようなフォルムの、形としての色彩が


    宇宙を抱えるような白い花として表現し、優しく輝いている。




    ここにはやっぱり湿気が必要だ、と



    この夜のまほろばを可愛くいろどるような、きのこの匍匐をイメージする。




    雄雌が有れば、森のたたずまいが大事だ。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    _____________________________

    夜とは、太陽はおやすみしているもの。

     

     

     

     

     

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  • 神木について、幽霊について

    2021/12/03

    神様の話

    これについては何度も書き直す。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    楽しい妖怪も有るが、精崩れである。

     

    嫌な妖怪は、堕天使や、ものを考える悪人とも違う。

     

    それがよく嫌な妖怪と間違われる。

     

    それとその嫌な妖怪が善や美だと見間違われる。

     

     

     

    この「幽霊」とは最下層である為、実は弱いのだが、逆に人が神を語る為の材木となる為今敢えて置かれて居る。人だったのなら一縷は良いとこがある、と思うのだがそれが本当にないのが噂の幽霊である。

    ようは、人格がないので傷つかないらしい。

     

    種類に、

     

    ミスマルノタマ (身分に寝転ぶ)

    ウマシ タカカム(一度は人に褒められるが鷹をかむ)

    アシカヒヒコ(名も知らない)

    トコロチマタノ(ちまちまとアリバイをつくる)

     

    何か小さな負があって、

     

     

    哀しみや、人のわけで攻撃してくるなら、有るが、

     

    幽霊はその行動を繰り返す。何故か?ということがとても気になっていた。

     

     

    神と違うのは、名前の波長が弱い。

     

    口裂け女など、整形で失敗し立ち往生してしまったというまだ実感がある。

     

     

    トコロチマタノは何して生きていたんだろう?

     

    こうした要は「諸霊」と有るものではなく、

     

     

    足のない幽霊を、見定める。

     

     

    古い言葉で「キツネ」と言って、

     

     

    神の前にいる稲荷との大きな違いとして、稲荷はこれを見てきた精や仏眼に起因がある。

     

     

    彼らの起因が、精神の若さや、「軽さ」として

     

     

     

     

    何と、恩人を食べることに疑問がない。

     

    何と、人のかっこいい姿を「自分」として思っても、まさかの思い込みを覚ますことが無い。

     

    そういう死ぬほど小さな事で、

     

    異変なのは、それらの悪を必ずある時に誰もが見てるまえにしちゃうのだ。

     

    れっきと「くぱあ」だったのだ。

     

    生きた人間が付かれる場合、ダイイングメッセージとしてそのままその人に表現され、人目に映る。

     

    その不安感や、見えない攻撃なども、人の優しさにたいしては小さな事だから

     

    自分が悪いのだと許してきた。

     

     

    湧いた感情の何もかもは、その上でのことなのだ。

     

     

     

     

     

     

     

     

    「幽霊」の出現として、元気がなく波長の低いことが理由だとよく云われるが、


    彼らがいつも神の近辺にいる理由が上記に有り怒りを買っているとして、

     

    私の、近くにいる理由として

     

     

    神木が私にあり、それが二酸化炭素のようにしてポイントだけを吸い取る。


    木であるからに時を良く持っているので、現れるのがいまここだ。

     


    我らが語ることの出来ない「神」を我らに、人に語らせる手立てとしても、神木は祀られる。

     

     

    間違って「幽霊」を憎んで何かしたら、

     

    幽霊の気が満ち、庇っても罰を被る、鎮静のように祀っても復活する。

     

    悪意であるので、だから幽霊って怖いんだなぁと学ぶ。

     

     

    人も霊界に及ぶのは、わずかもがな神の仕業。

     

     

    災いにたいして人として辛かったが、経験して神から話された希望や痕跡とも云えるのだ。

     

     

    どうにか一つに。

     


     

     

     

     


    この「幽霊」故に日本人にとって、長らく神の存在が危ぶまれたのだった。

     

    我々が知って居て、噂があるのは、鬼神ばかりで名を誰も知らない状態。


    ひょんなときに、愛は繋がれて

     

    こうも新しく物語となって立ち現れ、完全を感慨深く思うばかりだが

     

     

    間違っていけないのは、決して人間は神でないのだから、

     

    注意しないと。

     

     

    一方、「現に生きていて」いいとこがないというのも、珍しく不思議で気になるが、

     

     

    色んな人に憎まれ過ぎた場合、なくなってしまうのはまた全然自然だろう。

     

     

    これが、子供か孫に子供くらいの、

     

     

    それくらいのスパンの話だと私は思うのをどう思われるだろうか?

     

     

     

    幽霊について、今は「文化的」とさえ思って居る。

     

     

    文明、と云おうとしたが喜んですっかり忘れてしまいそうになる、

     

     

    「明るい、」とは彼らのことを決して云えないで有ったことを。

     

     

     

    「カタカムナ」

     

    ひふみ(天皇)は善い人

     

    回りて巡る、虚しいことや、事件。

     

    人は、人間は、海の末を知れ。

     

    形は咲く。

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  • 戦後のわたしたち

    色んな考えが,多岐でありそれが、良く伸びます様にと祈ってる。

     

     

    一色に剪定される、その日は

     

     

    戦争の悲しみついては忘れられないからだ。

     

     

     

    こんな、

     

     

    悲しみを抱える辛さを受ける大地のない我々は、思いの失敗をしたが、

     

     

     

    その時にしておくべき失敗として、現に今向ける初めての世界体験を

     

     

    それが、「今」だと当然のように見つめる中国の学者かな。

     

     

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