揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • もしもし?

    また良い詩を見つけた。

    数日前、

     

     

    ジーコロ、ジーコロ…
    ジリリリリン!
    ジリリリリン!

    ”もしもし?
    王子様ですか?
    こちら遠方のお姫様です”

    ー壊れた古い黒電話を使って、
    女が一人遊びしています

    ”ここはサラサラと砂漠の果ての、
    棘だつ白巻貝の奥、
    螺旋階段を上がった、
    塔の奥の部屋から掛けています”

    ”砂の舞う日々に豹のしなやかさで
    スムースに心を盗む獣のように
    風が躍り出て、
    その調べに乗っては知らせが
    ムスクのように香ります”

    ”ああ、あなたの孤独と愛を思う心が
    灰枯れた天空を舞い、疾駆して、
    絨毯爆撃する無数の平和の鳩です
    金管楽器が高らかに鳴りたくて
    指揮者の指示待ちをして、
    神妙な顔でスタンバイしています”

    ”世界が気配に満ちていると教えてくれたのは
    雨を聴く少女のような老母です
    冬の閉ざされた窓の傍で
    私たちは刺繍をしながら何杯めかのお茶を飲みます
    すると澱んだ雲が垂れこめて
    頭上に雨を降らすぞ、とえばるので
    私と母は腕まくりをして、
    次々と雨戸を閉め
    この白巻貝の城を守ります
    私たちの心は閉じられ、開いています
    雨となって滲むなら
    冷たさと体温の両方を感じられるでしょう”
    ”風が強くなってきました
    世は情け
    濡れた指や頬や唇を甘く感じるのは雨が冷たいから
    私が温かいことが輝くと思われますか”
    ”おちこちで微笑みが羽をつけて呼吸しています
    あの呼吸する扉は蝶番が涙で出来ているそうです
    女が炎や桃や桜を思い
    頬を染める代わりに微笑むと
    マニキュアを塗ります
    それを知る優しい男は
    皆、胸に懐剣とハンカチを折りたたみ
    顎を引いて子供時代の夕暮れを惜しんでいます”
    ”姫や王子の祝福は幼心の、
    シロツメクサの王冠の祝福です
    夕暮れがその白を朱に染めるとき
    口寂しくて飴を噛んでしまう女の心に
    迷い蝶がそっと留まることでしょう”
    ”この塔は夕暮れに朱く身を捩らせて
    ひたぶる慈悲の雨の幻影を
    まぶたに思い出し、
    その先の解ける蕾と少女の面差しを手毬して鳴り続けます
    そして巻貝の塔は
    そっと冬枯れた砂漠に瞳を戻し、
    ただ静かに細かな風砂に打たれ続けるのです

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  • 日本の不良

    喜んでいるが表情がわかるだろうか?

     

    興奮を手に付くものにするために、

    自分を冷やしすぎたかも

     

    しなければならないことなんて

     

    あるはずなくて

     

    そんなレベルなら、とうに精神を語れないはずだ

     

    喜び過ぎて始まったのだから中盤はあれども

     

     

     

     


    人生一回、という意味でやや不参加を希望している

    そんな風が支えるものもあるなと思う


    ハングル語に純粋に興味があって

    でも人って下を見るやん

    韓国の友達にも、
    強くなってなぁ


    とは思う、


    至っていつもどおり で

    単に「仲」とか


    ヤーマン

     

     

    空に落ちるってことが、

    空っぽにするってことが罰だと、

    問題はどこからが上辺なのかそのラインで、

    地があやふやだから

    性格に裏と表が「有る」のが辛過ぎるのか、

    理論がなされていないのか。

     


    上辺の仲で、分かち合えないとしても、

    ある日は、同じ涙が流れる なら、

    後もごたごたすることも省くのが日本的

    すいすい泳ぐ人が、多いが、

    一方、町文化の人は、あれこれ風呂敷に詰めて

    話し合いを待っている

    そんなことは駄目だ、と抱えている人もいる

    何を動かさず、この景色を

    ずっと目の中にキャプチャしてたい

    このまま進む海なんてどうだろう

    海は、不浄なもの、つまり心の溜まりが集まるらしい

    不浄なわたしたちは、いつか成仏するまで

    きらきらしてよう

     

     


    哀しいくらいが仲間だと云うが、


    今わかったのだが、日本人と言って纏まって戸を開けたまんま、消えたくはない、「自分」はいつも泣いてる人が、全員だろう。なら、それは捨てれなくて、

    こんなに不幸な心だけど、自然に馴染んですぐに溶けてしまう

    それが妙な艶や光を放って

    恥ずかしいことはあるけれど、

    喜んだらしまい、

    障子に穴をあけるのが、神的だ、海っぽい

    などと髪型を気にするやつばかり

     

     

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  • 仲間VS恋

    それについて面白い例題である。

     

     

    精神のぼろぼろな部分は、「架空上の彼氏」に

     

    「手厚く保護してください。」と明白に指示。

     

     

     

     

     

     

     

    菜趁は、私に会えなくても納得した。

    後は自分だし、私はもう何でも見える。

    私が、私自身が幸せだった。

    そんな愛が理由にしろ、もっとしっかりしてほしかった。

    あなたを、全肯定する… そんな夢をみたのが日蓮であったのだ。

    私は恥ずかしくも単に心を奪われ、帰還したのが「家族的会社、令和、埴輪」の

    青い空。南無妙法蓮華経。


    コンビニの前で月を見た。今(ボクノセカイ)は不幸である2021.09.23

    ふわふわの猫に触るときに、「おいおい、お前みたいなふわふわのやつに出会えて私はなんて幸せなんだ。清潔だし。」と思う。

    あなたがいても、前へ足を動かしてるのは私で、「愛」という現象が、

    助けるにせよ、

     

    あなたは鉄火の恋をしてる時に料理をするみたいに、

     

    周りだけしゃしゃっとレタスっぽい感じで飾っているだけじゃないか。

     

    おい、飾りじゃないんだよ涙は(怒)。ちゅちゅ

     

     

     

     

     

     

     

     

     




    私はどうやら最後に最後の、「人の恋」ってやつをしている。

    神族の私であるからどうせ別れるが、別れるまで菜趁に愛されたいとおもう。
     

     

     

     



    仏たちよ、私は一人で笑いたいとかじゃなくて、

    ただ、もう恋をしないこと、なんだ。

    その上で、ふたたび「その人」に会えたら、

    どうなるだろう。

    そんな探求がしたいんだ。



    実らない季節が、サイクル有るはずだ。

    記憶を喪失しているが、私は「前略、人を好きだ」という名前らしい。


     

    21

     

     

    驚き過ぎて

     

     

     

     

     

    ハイヤーセルフが、日本人の感覚のいかつさに不安が止まらない、と云って居る。

     

    自然で育つとは、たんに山、川ではなく、苦労に対する姿勢だ。

     

    物事が済んで「ありがとう。」で終わらせられない、凸凹道や、

     

    哀しい何かをただ感じ取る。

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  • フライヤーを作ってる

     

     

    詩は、そのひとが理解している時に、そのひとが詩人なのだ。第三者的客観性が初めて、詩を創作して「作品」と云う。

    roco氏の、学生時代に斧を振り下ろしたキャンパスの作品を見て、
    私の、自分の小爆発を起こしたときに、素のままだった彼女の絵が動く。


    マティス、ゴッホ、シャガール、ピカソ、モネ、を鑑賞していた描き始めの頃、油絵の具に自分が触る事でそれら絵が間近になり、色彩感覚が破裂した。それが絵画の美しさだ。

     

    大澤さんのこれはその時の様子を表現したものである。

     



    日本でも色んな人が、抽象によって自由
    を探していた。

    長方形を見抜く事だ。
    何も変わらないキャンパス自身のことを絵が刳り貫いて、光を求める。

    美しさを走らすのは私は全然先。

    プラモデルを作成する気持ちに似てる。更にプラモデルで、アニメーションを作る事に似ている。思考にレイヤーが幾つもあるからだ。

    私の芽も咲いて来たぞ。


    Mさんがどんな世界?いやや。と云う。

    「何にも変わらない。価格が絶対的に無やねん。売れるとして私はノータッチで関与出来ない、ということは、わりと莫大でなきゃ意味がない。
    そりゃ金銭は嬉しいし歓迎もするが、誰が見るのか、買うのか、
    正直どこに出せば良いのかも知らない、わからない。「感情を考える人」がどれくらいいるのか謎だが、絵が明日の方へ歩いてくれなきゃ納得出来ないから、売らずに、年に2回は日(ギャラリー)に干して負担していたい。
    と、何も持っていない今は恥らしく黙って、
    私はいつも通りだよ。芸術家は気取れないからややも気違いになるのだ。ただ、私の使う言葉には美しさを感して、(Japaneseだとか云いたいのではない。)数多のかつて天才にたいする主観的に立つ鳥肌を、感じていない。」



    芸術をやりたい、お金を知りたい等、思うのなら「美しさ」に興味がなければいけないよ。

    絶望していたのなら、少しでも地に足が着くように、脂肪に対してダイエットの努力を。

    憧れはいつかの自分だし、別の人間でもいいんじゃないか。

    足りない栄養を、焦げてる部分が教えてくれてる。


    戦争、他人の容貌、それに焦がれたとしても、

    大抵は自分が見たその行為ではなく、本質は優しさ、満ちた涼しさ、思考の量(ビカソは百枚のデッサンをする)

    いづれも時間がかかるから、“仕方なく生きる”事が、大事です。時間はある方が良い。

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  • 昔の絵

    2021/10/21

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    昔の絵が出てきた。

     

     

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