サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

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大阪府

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http://www.fengfeeldesign.org/
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  • 花形装飾活字を愛でる その167

    http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
    http://twitter.com/fengfeeldesign

    クオリティについてです。とりあえずドドーンと拡大画像。なんでこれがエンスヘデに寄ったという表現をしているのかの1つの答えです。もちろん表現としてのコンセプトとしてのデザインは重要ですが、そうではない、もっと物質に添った考えをするなら、今回の「fuji」は水草よりもエンスヘデにしたと言えます。まず、彫るという作業をアウトライン上で行なった事と、曲線の在り方として、ググッとエンスヘデのものに近い仕様になってます。彫りのぐら付きやガタツキを「再現」ではなく、本当にそうなったという程度の感覚としての彫りを目指しました。水草との比較としては、それが1つで成り立つように版そのものを曲線として完結させています。意識したのは真円で、設計の段階で四角の版ではなく真円を描き、それを版として設計をしました。なんというか、活版としての機能面は置き去りにしつつ、やはり技術という側面においては現代にコマを進めるべきだし、活版という制限から生まれた産物であるにしろ、それは制限する人の意志に委ねられるまでの自由を得た今としては、そこにこだわる理由は無いと判断したからです。要するに暴力的に書けば、活版なんて時代遅れの技術にこだわるつもりもないし、だからといって、過去の技術を捨て去る勇気も無いという具合です。何を拾って、何を捨てるか、そして何が新しい要素かをキチンと、どれだけ見極めて意識して設計するかで、この花形装飾活字は深度を変化させる訳ですが、「fuji」に関していえば、結構、大胆に切り捨てを行なったと言えますし、何が必要かという意味では、かなりピンポイントで選び取れたように思います。結局のところ装飾でしかないし、元を正せばホントそれだけの事なんだけど、ただ1つ言えるのは、これはクリエイティブではないという事でしょうか。どちらかというと、やはり印刷の一連の作業に似ていると感じます。図案があって文字があって、それに付随する技術で、紙を選びインクを選び、目的に合わせて刷っていく。この花形装飾活字というのは、その印刷という技術の一旦であり、目的を意識しないで技術や研究といった概念のみで構築した際に、「fuji」という存在は、その一方の到達点であるような気がします。つまり、これはクオリティとしての分岐点でもあって、このまま、歴史や技術を継承したものを追及していく事も出来るし、現代のシーンに合わせた利用の実験的制作も可能なんですね。「fuji」の版そのものとしての完成は追及と利用の丁度中間地点にあるように思います。と、版そのもののクオリティについて言及しようとしていたんだけど、遠回りになりつつも、どんなもんでしょう。「fuji」そのもののクオリティの在り方と位置については伝わりましたでしょうか。そりゃもう品質という意味では、まったくからして自信を持って贈らせていただいております。そんなの書いてもしゃあないですしね。版、1つずつの目的、完成度は非常に素晴らしいと自負しています。見た目も美しさも。どっちかというと今回は可愛い感じにも仕上げているんですが、エンスヘデのやつよりかは、重くない感じを目指しましたし、かといって、水草よりかは装飾色の強い設計になっています。ルールも単純だし、見た目こそシンプルですが、まず実際に組んださいの使用のバリエーションに驚かれると思います。とりあえず花形装飾活字というものの要素は、ボクが今まで研究してきた発見や気付きも加えつつ、良い部分の全てを託した、新しい試みではない、継承という意味での、まったく新しい花形装飾活字です。まあ、まずは見てみろよな。是非使ってみてください。

  • 花形装飾活字を愛でる その166

    http://printersflowers.fengfeeldesign.org/
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    重力の方向について。この花形装飾活字『fuji』には重力の方向が定められています。重力の方向を一定にする事で自然なアプローチでセッティングする事が可能です。1つの連なる要素を見つける事が出来れば、後は繋がる方向に配置するだけです。この装飾には「葉」と「花」の2つがあり、それらをバランスよく繋げたり離したりする事でアクセントが付き、より心地の良い配置になります。もし「自然」に配する事を希望するなら、例の画像のように少し斜めを意識すれば「自然」な感じ、いわゆる日本の友禅の雛形に見られるような配置に近くなります。この「fuji」には水草と同じ「外」と「内」のルールがあり、今回の「fuji」の肝でもあるんですが、「外」と「内」を一定の制限で誰もが気軽に使えるように仕組んでいます。それがつまり重力の方向を意識するという事になります。コツは「違和感」が無いように繋げるだけ、それだけです。後は対象に合わせて変化を与えるだけ。簡単です。そもそも、この繫がりの発想の着眼点は平仮名の「連綿」から来ています。なので一度、縦に真っ直ぐ繫がりに気を配りつつ並べてみると確認出来るかと思いますが、まさしく平仮名のあの連綿そのもの(遠いけれど…)です。それが「水草」であり、「fuji」への継承でもありました。結局、日本の装飾や画というのは平仮名的なんですよね。極論なのかもですが、なんというか、動いている「動」の存在を記憶媒体のように移行させるのが日本的な美であるんじゃないかというのが、ボクの考えで、つまり不変的なものを絵として描くのではなく、まるでそれが動画のような動きそのものであるんじゃないかな。というよりも「fuji」そのものが、もしも、西洋人がこの発想に気付いていたらという元で生まれたというのもあるし、組むという発想そのものを日本的な要素を強める事で変化させ、いわゆるエンスヘデのもののような「流れ」や「空間」そのものを圧縮させて不変化させつつ配置する完結型の配置方法ではなく、「重力」という紙面では絶対に完結が起こりえない発想での配置。そして対象の文字が醸し出す情緒の内包。もっと言うと、西洋の花形装飾活字が、文字の情報そのものを限定付けて整理するいわゆる「箱型」であるとしたら、今回の場合というのは「受け止め型」という事になる訳です。「魅せる」「飾る」の整理ではなく、紙面に現れない文章の美しさ、「萌え」や、それこそ「情緒」のようなものの整理を目的とした装飾。それが花形装飾活字「fuji」であり、重力で組むという発想でもあります。

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