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2016/12/02
HARADA・J個展「想いこみの世界」に寄せる
●はじめに。
原田氏と出会ってから8年ほど経った。
私がギャラリーを始めると決めたばかりの時、ぽんと展示したいと言ってくれたので改めて私からお誘いして今回の個展を開催してもらう流れとなった。
頼んだ理由は、ブキミルームという少し怖い展示のあとにがらっと雰囲気を変えたかったこと、原田氏の作品をもっと見てみたいという興味、縁、本人の意欲があったこと。タイミング的にもベストにはまったと思っている。
準備するにあたって私のできることはなんだろう?
なんとなくの会場作り片付け掃除、広報、そして原田氏の作品について考え出来る限り書いておくこと。
以下、イラストとしての評論ではなく、1人の作家の人生をかけた表現として原田氏の絵を捉えていきたい。
●全体性のファンタジー
カラフルで賑やか。ひたすら可愛らしい印象で多くの方が深く考える余地を感じないかもしれない。
動物や女の子や不思議な生物が仲良く暮らしている独自の世界の断片のようで。時にはメッセージ性のあるシチュエーションでこの世を憂いたり応援しているようにも見える。
密度のある画面はモチーフ全てがビビットな色を放ち、主役が何なのか判然としない場合もある。全体性というキーワードが浮かび上がる。個体が集まって大きな全体を形成している。みな一様に水彩による点描が施され、描かれているキャラクターの表情は基本無邪気で悪いことを考えてはいけないルールを課せられているのかと思う。
今回のフライヤーにも登場するピエロとクジラが合体したキメラ的な夢の生物も異なる要素が融合して生まれついたみたいだけれど人を癒し笑わせるという因果がその存在にはあると思う。女の子の微笑みはすっかりこの世界に安心しているのが見て取れるし、これが彼らの日常であることも伺える。
空には星がこれでもかと広がっているのにベッドの下には更なる夜空がクジラの中にある。大きい月と小さい月。別の存在なのか鏡なのかスクリーンなのかわからないがそこには意味を問う理由を感じない無秩序ファンタジーをごく自然に見ることができる。
原田氏の絵には無意識が多く存在する。長く向き合うと降ってきたイメージが脈絡のないまま画面に素直にそのまま飛び出してくるようで登場キャラクターのチグハグな関係性に混乱する。
そしてクリーンな画面を見せられるほどに置いてけぼりになってしまう気持ちが人にはあると思う。原田氏の絵の魅力はサンリオ等のキャラクター展開にも見られる「安心安定の可愛さクオリティ」なのかもしれない。一方でその「可愛いと思う何か」の彼独特のセンスが世間とズレていくほど、迷路に入り込んでいくような不安も勝手に感じてしまう。
負の感情が抑圧され、まるで世界は綺麗で、それが嘘で固められたありえない理想の世界で、原田氏の「こうであってほしい」想いは表現上あらゆる陰惨な現実を無視していることは否めない。けれど決して差別的な訳ではない。計り知れない平和フィルターによって、神の天啓なのかもわからないイメージ力によってファンタジーに突入しまるで子どものような価値観で世界を再解釈していく。
デフォルメされたフォルム。たくさんの生き物の群れ、仲間たちが一堂に会する絵が多い。仲は悪いようには見えない。「同じ世界に存在していること」「全体の一部であること」が重要でありなぜ集うのか?何をしているのか?わからなくてもそれはそれで良いのだと思う。都合よく余白が埋まるように存在しているキャラクターや自然物が私はなんだかとても絵を描き始めたころを思い出すのであった。
家があって太陽があって女の子がいる。純粋に、ただそれだけなのであった。
描くことが好きで楽しさ以上のことを求めたりはしなかった頃。
きっと原田氏はそういうピュアな動機を今も持ち合わせているに違いない。
●あなたへのプレゼント
毎日描くということは驚異的だ。原田氏に描かれたい絵たちがつね日頃列をなして押し寄せているのか。絵描きとしての自覚が彼に描かせるんだろうか。
エネルギーが渦巻く。イメージをアウトプットする。氏の絵からはとてもポジティブな印象を受ける。毒々しいネガティブな諸々はいつしかフィルターにかけられた。
制作するときに他人の喜ぶものを作ることを「プレゼント意識」と名づけた。これがあると「なんだかいい感じのもの」をコンスタントに生産し、他人に喜んでもらうことで自分も嬉しいハッピーな循環が生まれる。
一方で表現者として絵を描くということは、プレゼント意識だけでは成り立たない「自分の中の何か」がなければ外見ばかり発達したスカスカな贈り物になってしまう。中身が入らないプレゼント意識はどんなに相手のことを考えたとしても作者の「何か」と表現が結びつくことはなく、とてもサラッとした印象の作品が生まれ続ける。
形になる前のドロドロの素材は原田氏にも感じる。しかし思うに作家HARADA・Jの表現としてそれは完全に解放されることはまずないだろう。プレゼント意識が発達した者がその意識を崩すことは容易ではない。もっと言えば崩す必要もなく幸せな循環を続けることでイラストを生業にしていける可能性はたんまりとあるのだった。
●熱量
この文章ではイラストレーターではなく表現者としての原田氏を語りたいしそういう側面を見出したいのだけれど、それは彼の本意ではないかもしれない。「自己表現」としての絵を、もしかしたら氏は好まないのかもしれなかった。
自画像は女の子の格好をしていることもあるけれど、自分のプライベートはあまり影響させない、子どもも大人も喜ぶ、夢のある世界を描いている。可愛いこと。安心できること。社会性。全体性。即興性。慣れた独特の技法。サービス精神。少しの怯え。
原田氏はファンに囲まれ「いつも変わらないようなそれら」を提供しているようにも見える。待っている人を裏切ることはできないのだろう。
信頼関係を築いていくこと、期待に応えること。
長く実演販売をしてお客さんと接している彼のコミュニケーションは十分な熱量があると思う。
そしてやっぱり無意識的なことが多いタイプと思う。どこか巫女的体質でそういう側面にシンパシーを感じて応援、こうして執筆している次第です。あんまり頭で考えず、インスピレーションで次々と創造するんじゃないでしょうか。
●題名について
「想いこみの世界」とはどういうことなんだろう??
原田氏の作品群はきっと何かしらの「想い」が大いに入り込み「外面」「内面」に意識的にも現われているのかなとは思う。
作品を並べてみないとわからないこともあるし何も断言はできないけれど。
この世界の正しさを思いこみながら、その想いはどこまでも伸びていこうとするだろう。そういう素養がちゃんとある。育っていく想いだという感じがする。そして思い込んでいる自分を知ることによりまた新たな世界が開け明るく灯り、これから先の未来を照らしているだろう。
「想いこみ」している誰かのための癒しの世界になったり、この世界を「想いこみ」している私のこの文章をも取りこんで大きな大きな全体性を築いていくのではないでしょうか。
作品たちにはたくさんの想いがこめられていて見る人の人生の中に入り込んでいく。飾られた絵はでかける時にはいってらっしゃいと背中を押してくれ、疲れて帰れば優しくおかえりと言ってくれる、そんな日常に溶けてほっこりとさせる面が「癒し」なんじゃないかなぁと思う。意図的な癒し。
「こういうのが、癒しでしょう?」思い込まれた「癒し」的な何かたちは時にトンチンカンに迫って私を笑わせてくるのでそれはそれで癒しなのであった。
●終わりの言葉
たくさんの個性ある絵画イラストを「想いこみの世界」というひとつの空間表現にするべく、私はただこうして考えてはお手伝いしていきたいのだった。
最後に。
私は動物たちや季節の絵も好きですが個人的には女の子の絵が良いと思っています。プリティ!読んでくださりありがとうございました。
2016年10月記 おが たかお