浅野拓

流木人形絵本作家

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東京都稲城市
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    Works 60

浅野拓

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浅野拓

流木人形絵本作家

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  • 日常これ懇意真意、不意寓意。

    あーあ 我慢できずに昨日にさかのぼって蜂の写真だしてしまった。

    どうやら女王蜂ではないようだが、私はそう思い込みたかったという証拠写真。

    だってね その日の朝、自宅庭で見たこともないプロポーションの蜂が飛べずに地面を這いまわっているのに出会って、午後に奇妙な山中の「終わり始まる広場」で、謎の蜂屋と蜂談義してしまうなんて人生にそうあることではないだろう。

    そう、不釣合いな組み合わせの男女は、蜂屋さんだったのだ。 

    あえて養蜂家と書かないのは、仕事ではなく 実験的な遊びっぽいものらしいから。だが本業ではないといえ、本格的な巣箱、特におじさんのほうはもう何年も養蜂経験あるとのこと。 


    私が、女王蜂らしきものを見たと話すと、それはありうる、一匹で這い回っているのは、巣を追い出された女王である可能性あり と。

    え?女王が?そう卵を産めなくなった女王は働き蜂たちに追い出されてしまうのだ。巣は
    女王のものではなかった。主役は働き蜂だった。

    うん やはり こう記憶たどると写真という客観的判断材料あっても、庭をよろめき歩いていたのは主観的には、女王蜂でしかありえないな、うん。決定。あれは権力をほしいままにし さんざん悪行をつくした女王の末路。

    ここまでで寓意を感じたりなかったかたのために まだ蜂のはなしを続けようかな・・・

  • 日常これ暗示啓示、表示指示。

    山の中の奇妙な造形の公園に、迷い込んだ。 

    そこの終わり始まる広場で、林業従事者風の作業服姿がぎこちないような

    華奢な美女と、対照的に作業服を着て生まれてきたのじゃないかみたいな

    おじさんの二人連れにあった。カップルではなく仕事仲間のようである。

    私がシャクトリムシの写真を撮ってると、おじさんがはなしかけてきて、

    山の中でそんなこともあまりないのだが、話が弾んだのだ。

    これ書いていて思い出したのだが、その日の朝、庭ではじめての生き物を、

    見つけていたのだった。

    たぶんニホンミツバチ類の女王蜂。全然違ってるかもしれないが、こんな腹部の長い

    の、そうでしょう。ただのオスかな? 

    とにかく私は、そう思い込んでいたので、話がはずんだのだな、いま分かった。

    というのも・・・               つづく

  • 日常これ童話寓話。神話民話。

    この写真そのものは 別のところで 絵本に使ったのだが

    この写真撮ったときの話。

    ある日、といっても最近の平日。多摩丘陵の山の中をいきあたりばったりに、

    ほとんど彷徨っていたんである。

    すると山の中であるよ雑木林をかなり歩いた山のまん中、 

    なのに突然天地反命だったか逆転だったかみたいな

    曲がりくねりまくった木の階段が続く公園とも素直に思えぬ公園に入り込んでしまい、

    そこにこんな標識が。

    私自身は、極めて現実家で、超常現象なんぞは嫌いだが、やっぱり奇妙な感じだった。

    誘われるように、その終わり始まる広場にいってみたら、そこは半端に変なとても広場

    とは呼べぬ広さの行き止まり。ここまでなら公園デザインの問題か、の話なんだが、

    そこで地味な作業服をきた若い美女と、その美女に不似合いなおじさんの二人組に出会っ
     
    たのだ。その二人と話したことが・・・     つづく

  • アートと社会性

    この落書きそのものは おもしろくて好きなのだが

    これを こうして紹介するだけでも 反社会性、公共物損壊

    の片棒を担がされるのかなとの思いがよぎる。

    いきすぎた管理社会なんかぶち壊したいほうなのだけれど。 

    渋谷の岡本太郎壁画へのアート?と比べて考えてるところ。

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