岡田千夏

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京都府京都市

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  • みゆちゃんの新しい猫じゃらし

     今までに何度か、細い棒の先にウサギの毛とか鳥の羽のついた猫じゃらしを買ったことがあるけれど、こないだ、雑誌のおまけについてきた猫じゃらしは、なかなかつくりがいいと思った。ホームセンターなんかで二本セットで売られている猫じゃらしは、30センチくらいの長さのプラスチックの棒がほぼ一様な太さで作られているのだけれど、このおまけの猫じゃらしは、長さがそれの二倍ほどあって、太さも、グリップの部分が程よい握り具合で、先へ行くほど細くなっているからよくしなり、軽く振ると、先端についた毛の部分が、面白いように揺れる。猫じゃらしを振れば自然、猫が飛び掛りたくなるのと同じように、この猫じゃらしを握れば、自然と振りたくなる。
     さっそく試してみたくなって、そのときみゆちゃんはソファの上で寝ていたのだけれど、頭とか、首の辺りを猫じゃらしでこちょこちょとくすぐってみたら、すぐに目を覚まして、前足をひょいひょいと繰り出してきたので、にんまりした。
     みゆちゃんが乗ってきたので、猫じゃらしを離すと、起き上がって追いかけてくる。足元をくすぐってから、ひょいと上のほうに持ち上げると、つられてみゆちゃんも、二本足で立ち上がった。
     形状に関しては申し分ないのだけれど、先っぽの毛が純毛100パーセントでないところが欠点で、そこが、もうひとつみゆちゃんののりがいまいちな理由だと思われるが、それは、アイロンのあて布と組み合わせることで克服される。
     100円ショップで売っているような、ナイロン地のあて布だけれど、メッシュになっていて透けてみるから、みゆちゃんはこの下で紐とか猫じゃらしをこそこそ動かしてもらうのが大好きで、これをやると、どこにいてもたまらなくなって飛んでくる。勢いつけて布の上に飛び込むと、ナイロンだから布がじゅうたんの上をスーッと滑るのが面白いらしい。たぶん、一度遊んでいるうちにたまたま滑ったのが面白くて、それ以降、わざとよく滑るように飛び込んでくる。
     新しい猫じゃらしは、この遊びをするのに非常に使い勝手がいいから、重宝している。

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  • 五つ星レストランの味にゃ〜(行ったことないけど)

     お昼前に、表で郵便配達のバイクの音が聞こえてきて、家の郵便受けに何か大きなものが入るような音がしたから、そろそろ、月刊誌の「ねこのきもち」が届く頃かしらと思って見に行ったら、郵便屋さんがまだ郵便受けにそのかさばった配達物をねじ込んでいる最中で、こちら側ではみゆちゃんが、郵便受けの口からじわじわと押し込まれてくる「ねこのきもち」を、これはにゃんだとばかり、そばまで寄って観察していた。
     そのみゆちゃんは知っていたのかどうか、袋を開けると、本と付録のドアストッパーのほかに、モンプチの試供品が三種出てきた。ドライフード二種類と、レトルトパックになったウェットフードが一種類で、ウェットフードの方は、「本日のお魚 まぐろ 海の香るソース添え」とまるでどこかの高級レストランのメニューみたいな名前がついている。
     まぐろの切り身にカニカマとソースが絡めてあって、見るからに美味しそうだから、さっそくお皿へ入れてみゆちゃんに勧めたら、さも美味しそうに、ぺろぺろと食べ出した。目を細めて、もう本当に幸せそうに食べるのである。
     最後まできれいに舐め尽して、もうないの、という顔をしている。モンプチのパッケージでご満悦の表情の、公爵みたいな白猫と見比べると、なんだか、不相応にセレブのディナーを食べた庶民、といった感じだが、満足して前足で顔を洗う様子は、こころなしか、いつもより優雅であるように見える。
     普段から贅沢はさせないようにと思っているのに、こんな幸せそうな顔を見てしまったら、時々ならいいかななどとついつい考えてしまうから、まったく猫好き相手の商売というのは、うまいものだと思う。

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  • 猫の絵本「ともだち」(文・松谷みよ子、絵・渡辺三郎)

    (注意:ネタバレあります)
     猫の本があるとついつい手を出してしまうのと一緒で、子供に買ってやる絵本も、いろんなものを万遍なくと頭では思いつつ、やっぱり猫の絵本が多くなってしまう。
     「ともだち」(文:松谷みよ子、絵:渡辺三郎)も、アマゾンで出ていたのを、すぐに買ってしまった。
     港町に住む青い目の猫は、自分の目と同じ青い色をしたインコと友達になりたかったのだけれど、インコが飛んで逃げてしまったのでその後を追いかけて行って、インコと一緒に外国行きの船に乗り込むことになる。船の中で猫とインコは仲良くなるのだが、あるとき、船がインコの故郷の島のそばを通った。小鳥がたくさん飛び交う小さな島にインコは帰りたがる。猫は決心して、鳥かごを倒して逃がしてやるのである。猫にとってインコはたった一人の友達だったけれど、その友達のために、猫はそうするのが一番いいと思った。
    「ふねは あおい うみを どこまでも はしっていきました」最後のページに描かれた、広い海の青い色が、心に沁みるようである。もう、水平線の向こうに小さくなってしまった、猫の乗る船。
     松谷みよ子さんの文はもちろん、渡辺三郎さんの描く、猫の青い大きな目が悲しみをいっぱいにたたえていて、忘れられない。猫の目の色、小鳥の羽の色、海の色。その青と同じくらい透き通っていて、美しい物語である。
     最近、年のせいかやたら涙もろくなって、子供に読んでやりながら、声が震えないようにこらえるのが大変である。息子には、まだ青い目の猫がとった行動の本当の意味はわからないのだろう。読み終わるとすぐ、次はこれを読んでと別の本をもってきたが、今度はストーリーに起伏のない汽車の本だったので助かった。
     だけど、草原をどこまでも走っていく汽車の本を音読しながら、たったひとり船に乗って、知らない土地へと向っていく猫の孤独を考えたら、どうしようもなく切なくなって、やっぱりちょっと泣きそうになった。

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  • 日本全駅駅長猫化計画

     すっかり有名になった和歌山電鉄貴志駅のタマ駅長は、仕事をする猫の日本代表としてフランスのドキュメンタリー映画への出演も決まり、このあいだ、撮影が行われたそうである。
     ニュースなどで、タマ駅長の仕事ぶりを見て思うことは、なんと温厚なお猫柄だろうということである。年齢はもう9歳であるというから、もっぱら一日を寝て過ごすことが多いのかもしれないけれど、新しく作られたガラス張りの駅長室で大人しく執務など、しょっちゅうあっちこっちうろついて、屋根の上に登ったりするちゃめや、どんぐりを転がして走り回ったりするみゆちゃんでは、とてもじゃないけど務まらない。タマ駅長と同名の、実家のやる気のないタマや、デビンちゃんなら、ほとんど寝て暮らしているから、あるいは務まるかもしれない。ちゃぷりもほとんど寝てばかりだけれど、こちらは人見知りが激しいから無理である。
     タマ駅長に続き、この春には、福島県の芦ノ牧温泉駅の名誉駅長に「バス」という猫が就任したというニュースがあった。こちらのバスは猫らしいマイペースな無愛想さが受けているらしい。
     いつの時代のことだったか忘れたが、イギリスの駅には、駅構内のネズミを捕まえる役職の猫職員がいて、ちゃんと猫の名前の書かれた職員札もあり、俸給としてえさをもらっていたという。
     今の日本でも、一駅に一匹(以上)の猫を置くようにしたらどうかしらん。アニマルシェルターとか動物愛護センターから素質のある猫(温厚だとか、やる気がないだとか)をもらってきて、どんどん駅長を猫化させたら、それで救われる猫も増えるし、駅ごとに駅長の肉球スタンプを発行して(駅長への負担を減らすため、一回型をとったら、後はコピー)、それを集めたらご利益があるとかいうふうにすれば、猫好きはこぞって電車に乗るだろうし(私だって乗る)、鉄道会社も儲かって、双方万々歳ということになると思うのだけれど。

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  • タマ対トラ

     曲がり角の向こうから、猫のにゃあ、にゃあと鳴く声が聞こえてきたので、誰が鳴いているのだろうと思ったら、次には、ギャーッというけんかの声と同時に、道が曲がって消えていくその先から、かきむしられた毛の塊がふわふわとたくさん風に乗って飛んできたので、あわてて生垣の角の向こうへ駆けつけたら、ちょうど私の足音を聞いて、取っ組み合っていたタマとトラが分かれたところらしく、トラはそのまま、まっすぐな小道を駆け足で逃げて行った。
     タマはと言えば、すっかり怖気づいてしまい、実家の塀の上に駆け上って、やっぱりけんかの声を聞いて家の中から飛び出してきた父がいくらなだめても、なかなか降りてこなかった。飛び散った毛の模様を見てみたら、タマの白と茶色が混じった毛のようであった。
     少し前から、外猫用のえさを大きな茶トラの雄が食べに来るようになって、タマとしょっちゅう衝突するようになっていた。タマは弱いから、体のあちこちにけんかの傷を作ってくる。今までのように、家の中でずっと寝ていればいいのだが、縄張り意識があるのだろう、引き止めてみても、にゃあにゃあ鳴いて、外へ見回りに出て行く。負けるとわかっていてもトラに立ち向かっていく、そんなタマのうしろ姿は、今まで食べて寝るだけだったタマの株をちょっと持ち上げた。
     あるときは、けんかをして帰ってきたタマの首輪がなくなっていた。首輪のあった場所には、新しい引っ掻き傷が出来ていたから、トラにとられたらしかった。今頃、トラがタマのピンク色の首輪をつけてるんじゃないかなどと冗談を言って笑ったけれど、いつかタマが追い出されてしまうようなことがあっては困るから、トラにはかわいそうだけれど、余分に外猫用のえさを置くのはやめにしようかという話になった。
     その後、外へ出て行ったタマが一晩帰ってこなくて心配したりしたのだけれど、あるときを境に、急にタマは外回りをやめてしまった。トラとのあいだで決着がついたようであった。弱いなりにも縄張りを守って、駄猫の汚名を返上したタマだけど、もうすっかり以前のタマに戻って、ほぼ一日中、家の中でごろごろしている。そんなやる気のないタマに、父も母もひと安心である。
     ただ、この前の雨の夜に、トラがずぶ濡れになりながら、外の皿に残った十粒ほどのキャットフードを食べに来ていたらしく、タマの敵とはいえその姿がかわいそうで、今度はこちらを心配して、どこかタマと争わないところに、えさを出しておこうかと協議している。

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  • 煮干の顔

     みゆちゃんに煮干をあげると、たいてい、テーブルの上に置いてやるのを、わざわざ前足で突付いて、下に落としてから食べる。食べる前に、まず落下する様子を眺めて遊んでいるように見える。ほかに猫ライバルがいたらそんなのんびりしたことはできないだろうが、みゆちゃんは一人っ子なので、余裕がある。
     いつも頭とお腹のところは食べずに残している。みゆちゃんの食べ残しをみると、煮干の顔だけがきれいに残っていて、口しか使わないのに、よく器用に分別できるものだなあと感心する。
     みゆちゃんが食べているのを見て、息子が自分もほしいと言うのであげるけど、こちらは頭もおなかも全部食べている。二人が食べているのを見て、そんなにおいしいのかしらとときどき私も食べてみるが、やっぱり全部食べる。
     人間が丸ごと食べているのに、猫のくせに贅沢な、と思うけれど、猫と人の体のサイズを考えれば、猫にとって煮干は人が鮎を食べるくらいの大きさだろうから、頭とお腹を残すのも、猫にとっては妥当なのかもしれない。

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  • 乾しカマを所望いたす

     みゆちゃんはよく、カニカマを乾した「乾しカマ」と煮干をおやつに食べるのだけれど、乾しカマのほうは、しばらく前に切らしてしまってから、いまは家にない。
     ないのだけれど、みゆちゃんは乾しカマの味が忘れられないらしい。以前乾しカマを仕舞っていた冷蔵庫を開けるたびに、テーブルの上から身を乗り出してきて、うっかりすると冷蔵庫の中に入ってしまうから、私は、いまは乾しカマないんだよとみゆちゃんが冷蔵庫に入ってしまわないよう押さえつつ、マヨネーズやら、マーガリンやらを取らなければならない。
     乾しカマがなくてかわいそうなので、代わりに煮干をあげようと、部屋の反対側の上のほうについている戸棚を開けていると、テーブルの上に座ったみゆちゃんは、「違う」というような顔をしてこっちを見ている。
     袋の中から一匹取り出して、目の前に置いてやっても、やっぱり「ちがう」といいたげな、不満そうな顔をしているが、乾しカマが出てこないとわかると、ぼちぼち煮干を食べている。
     なるべくはやく、乾しカマを買ってやらなければならないと思う。

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  • 「デビンちゃん」という名の由来

    (前回の続き)
     やせ細ったデビンちゃんは、ふっくらした日本猫の体型とは程遠くて、まるで猫の図鑑に載っているオリエンタルショートヘアーにそっくりだったから、もしかしたらそういう東洋系の猫かもしれないと思ったのだが、毎日しっかりご飯を食べて、数週間後には、真ん丸い顔と白いおでこが愛らしい正真正銘の雑種猫となった。ばさばさだった毛並みも、黒光りするほどつややかになって、家猫の中の誰よりも手触りがよくなった。
     次の年の夏には、夜の窓明かりに集まってきた蝉を、食べる目的ではなく捕まえること自体を楽しんで捕まえたり、アマガエルを部屋の真ん中に運んできて、カエルが跳ぶ様子を眺めたり、びっくりしたけれど巨大なカマキリを私にプレゼントしてくれる余裕も出来た。ようやく飢餓の記憶から解放されたデビンちゃんが、蝉を食べずに捕まえて遊ぶ姿を見て、どんなにほっとしただろう。(もっとも、蝉に関して言えば、その後、今度はおそらく珍味のひとつとして、食するようになった。)
     ちなみに、デビンちゃんという名前は、やせ細っていたときの猫離れした細長い顔が、映画界の奇才デビッド・リンチ監督のデビュー作「イレイザー・ヘッド」に出てくる奇妙な生き物に似ていたので、監督の名前をとって「デビちゃん」、それがなまって「デビンちゃん」となったのだが、今から考えると、ひどい命名だと思う。
     先日、実家の裏に現れた子猫だけれど、こちらが用意した餌を食べている様子もなく、あれから姿を見せないという。頼りない子猫が、どこでどうしているのか、考えると不憫でならない。どこかいい家を見つけたのならいいけれど、もしそうでないのなら、終身ご飯とベッド付き、少々自由は制限されるけれど、決して悪い話ではないと思うので、ぜひうちに来てもらいたい。

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